結解

第113話 結解1(九竜サイド)

 蒼穹が終わりなく続く。カラカラに乾燥し始めている秋空に戴く日輪はあれだけの事件があったことが嘘だと思えてしまうほどに、普段と変わらわない日常を送るように強制していると思えてしまう。


 ボケーっとというほど間抜けな顔をしているわけではないが、外を眺めていると静寂を切り裂くような声が聞こえた。


「そこ、私語は慎む‼」


 授業中にもかかわらず…と言いたいところだが、今回に関しては教師が神経質すぎるだけだ。シャーペンの芯を使い切ってしまった生徒が間借りを頼んだだけ。チラッと見たところ怪しい動作は何もしていない。


「すみませんでした」と注意された生徒は平謝りして授業に戻る。ほんの少し乱れた歯車が調律者の手によって元の整然とした運びになる。


 退屈な授業をすべて終えると、オレは鞄を手に取った。本当は呑気に学校で授業を受けていて良い状況ではないのだ。


 今すぐに駆け出そうとしたところで、馬淵に呼び止められた。


 急がなければならないという焦燥感に呑みこまれそうなっているだけに、顔に出てしまいそうになる。だが、視界の端に入った彼女の顔がそんな感情をぶっ飛ばした。


「どうした?」


 彼女の大きな青い瞳とぶつかる。澄んだ水晶のような美しさはいつもと変わらないが、何処か揺れている。動揺していると言った方が正確だろうか。


「何か話があるのか?」


 チラッとさり気なく奥の方を見ると、やはり取り巻きたちは殺意に満ちた視線を向けている。これでは話が出来ない。


「最近、駅前に美味しいケーキを焼く店が出来たらしいんだ。行ってみないか?」


 オレが誘いをかけると馬淵は頷いた。


                  ♥


 道中はずっと黙っていた。借りてきた猫という言葉がこれほどピッタリな状況はないだろう。話を切り出す気になれなかったため、気まずい空気が続く。早くついてくれと願うばかりだ。


 そんな彼女の顔は、不安に染まっている。見ていると、オレまで飲み込まれそうになりそうで目を逸らす。


 女々しい。今のオレは、きっと情けない姿だろう。


 噂の喫茶店は雑居ビルの1階層を借りたもので規模はそこまで大きくない。


 足を踏み入れると、無用な装飾を取り払ったモノクロの世界がオレたちを迎える。


 1つの机ごとに天井からつるされたライト、席は全部2人席のみだ。床がモノクロームの色彩であるのに対して壁は染み1つない純白。流れるクラッシクと見事に調和している。


 直視していると、あの場所を思い出しそうになり、逃れるように席を探す。


 出た時間が放課後ということもあって座ることが出来るかどうか不安だったが、タイミングを見計らってくれたかのように窓際の席が空いた。オレたちはすぐに席へと移動した。

 直ぐに接客ロボットがお冷を2つ提供しに来る。


 メニュー表を取るとオレはすぐにエスプレッソコーヒーとミルフィーユを注文しようと決める。


 しかし、事はそう簡単に動くことが無いというのが世の理らしい。


「う~ん」と唸りながら馬淵はメニュー表と睨めっこしている。昨今はタブレット端末と紙のメニュー表の双方を基本的に用意している。オレは紙の方が好みである。馬淵はタブレット端末を使うらしくずっと端末をスライドさせては戻るを繰り返している。


「まだ決まらないのか?」

「うん…。全部美味しそうなんだよね~」


 眉間に皺を寄せ、時折眉を上げ下げする姿は可愛らしい。本当に悩み事があるのか疑わしい姿である。

 特にすることもないからお冷をチビチビに飲んでいると馬淵が「ねぇ」と声をかけてくる。


「どっちが美味しいと思う⁉」


 タブレット端末に映し出されているのは、苺のショートケーキと苺をふんだんに使った赤いタルトだ。この選択肢を見る限りに苺が大好物らしい。


「両方としか言いようがないな…」


 実際に口にしたことが無いため適当なことを言うことは出来ない。金を払うのは彼女だからだ。両方とも美味しいと思うが。


「う~ん。どうしよっかな~」


 頬杖を突きながらタブレット端末を前に悩んでいる。今にも頭から湯気が出そうなぐらいの悩みようだ。


 これ以上待つのは互いにとって有意義にならないと判断した。


「両方とも頼もう」


「え?」とオレの提案に馬淵は力抜けした声を出す。


「オレも食べたかったんだ。半分ずつ交換して食べるというのはどうかな?」


 タブレット端末を手に取ると両方を注文できる状態にする。このまま崖っぷちまで追い込んでおかないとまだまだ迷走を続けることになりそうだ。


「いいの?」


 躊躇いがちに聞きながらも目は輝いている。とても食べたかったらしい。


「いいよ。オレ自身の希望だからな」


 頼もうとしていたメニューはミルフィーユだったがあのタルトも候補だった。別に食べたくないわけではない。


「じゃ、じゃあ、注文するね‼」


 断りを入れると馬淵はタブレット端末を使って注文を済ませた。


 しばらくすると、注文したコーヒーと紅茶が到着した。受け取ると盆をテーブルの上に置き、それぞれのメニューを取る。


 ゆらゆらと白い湯気が立つエスプレッソコーヒーの香りを味わうと口に含んで、ケーキに手を伸ばしてフォークを使って半ばで切る。馬淵もタルトを半ばで切る。


「じゃ、交換しよっか」


 顔にエフェクトを付けることが出来るなら顔にキラキラを付けたくなるほどの喜色満面だ。この笑顔を見ることが出来ただけでも報われた気分だ。


「分かったから落ち着きなよ」


 少し勢いに気圧されながら切ったケーキを渡し、向こうからタルトが渡される。

 ショートケーキのクリームが付いたフォークを舐めるとタルトを刺す。水気のある苺の感触とタルトの硬さに涎が湧く。


 口に含むと苺の甘酸っぱさと生地に含まれる卵と砂糖の甘さが口に広がる。


「美味しい‼」


 今にも騒ぎ出しそうなほどの喜びようで馬淵は声を上げ、そのままタルトに齧り付く。それからショートケーキにフォークを向ける。因みにお世辞なしで美味しい。


 しかし、そこまで来たところで、手が止まる。


「…食べないのか?」


 ショートケーキを前にして悩んでいるからには何が原因かは凡そ見当がつく。


九竜くりゅう君は、てっぺんの苺は最初と最後のどっち?」


 再び眉間に皺を寄せている様子は見ていると可愛い。本人に言ったら口を尖らせてしまうそうなため言うことは止めておく。


「先に食べる」

「その心は?」

「別に大した理由はないよ。後に取っておくと食べ損なうかもしれないからだよ」

 実際には小さい頃に百葉に食われたことが原因という今にして思えば些末な理由だ。当人は、食べ残しと勘違いしたとのことだ。


「ふ~ん」と言葉を返すと馬淵は少し思案してから、苺にフォークを突き刺して口に入れた。


「美味しい‼」とタルトのときと変わらない反応を示し、同じようにケーキへと手を伸ばしてあっという間に平らげてしまった。


 呆気に取られていると、馬淵は再び端末を手に取ろうとした。


「…まだ、食べるのか?」

「え?うん。そうだけど?」


 何を当たり前のことを口にしているんだと言わんばかりの反応を馬淵は示す。ブラックホールかと思わずにはいられない。


「ダメかな?」


 首を可愛げに傾げる。費用はオレ持ちではないためどれだけ頼もうと構わない。前回のデートで奢って借りはひとまず返し終わっている。


 そこに至って、1つの可能性にぶつかる。


「話し、聞かせてもらえないか?」


 オレが口火を切ると、さっきまで騒いでいた馬淵が黙る。晴れやかだった顔にも翳りが刺す。


「嫌だったら話さなくていい。でも、」


 そう言いかけて、言葉が止まる。


「力になりたい」と、軽々しく口にして良いのかと思ってしまい唇が開かない。


 一言一言が、これまでとは違って途轍もなく重い。前なら、軽々しく口にしていたであろう言葉だ。


「…助けてくれる?」


「え?」


 先を制され、聞こえた言葉に戸惑う。間抜けな声で答えてしまったことに気づいたのは少し後だった。


「わたしを…助けてくれる?」


 念押しするように、言葉を重ねてくる。目が赤みを帯びて見えるのは気のせいではないだろう。


 そんな、苦悶に満ちた顔を見たくない。見たくなかった。


 胸が、酷く痛む。ズタズタに裂かれてしまったかのように痛い。


 助けたい、助けさせてほしい。今のオレにとっては、とても大切な人だから。


「オレでいいのか?」


 コクンと頷く。直後に、ゆっくりと手が伸び、触れる。温かい手から熱が伝わってくる。


「九竜君がいい…」


 閉じた目から涙が一筋流れる。


「分かった。やるよ」


 涙を見た瞬間に、閉じていたオレの心と口が解ける。


「聞かせてくれるか?」


 話すように促すと、馬淵が口を開く。


                 ♥


 話の内容は、ストーカーだった。


「いつ頃から?」


 オレは普段と変わらない口調で尋ねる。下手に同調することは避けたかった。自分の感情を抑えることが出来なくなることが理解できている。


「1週間ぐらい前…。誰かに見張られてる気がして」


 両手で腕を掴んで、馬淵はガタガタと震える。


「学校の中、通学路、家の近く。何処でも視線を感じるの…」


 遂には顔を抑えて啜り泣く。


 ケーキを食べ、はしゃいでいたことがカラ元気であることが悟れてしまった。


 見ているだけで、相手への憎悪が膨れ上がる。自分の爪が掌に食い込んでいることが分かるほどに力が入っている。


 ダメだと理性で理解していても、激情に押し流される。


「方法は、オレに任せてもらってもいいか?」


 顔を覆っていた手が離れ、馬淵の泣き顔が見える。因みに顔は全くと言っていいほどに不細工ではなかった。


「何するつもりなの?」

「オレなりのやり方だ」


 答えると抑えようのなかった昂った精神を落ち着けようとコーヒーを煽ったが、激情が爆発したオレはカップに入っていたコーヒーが砂糖とミルクなしのエスプレッソであることを見事に失念していた。


 結果的に、耐えられなくなって咽て盛大に咳き込んだ。


 苦い。とても苦い。直さないとダメだなと反省していると馬淵の口元がにやけているのが端に見えた。


「フフっ…」


 普段とは違う弱々しい笑い声だったが、見ていて一安心した。

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