第112話 女王20(芥子川サイド)

 芥子川は事態が一旦落ち着くと着替えるという名目で自宅へ戻った。弦巻葵は姫川に指定した場所へ移送させた。詳細はあとで伝えるように手配済みだ。


「ご苦労」と運転手に労いの言葉を伝えるとすぐに自宅のドアを開けた。明かりが一切灯っていない部屋には人、ペットの気配は一切ない。


 玄関にはマットが1枚、ジョギングに使うスニーカーと予備の革靴が2足。その他には特に何も置いていない。よく言えば飾り気がない。悪く言うなら味気ない。


 壁にあるスイッチを押すと白い光が灯る。先ほどまで暗がりにいたため強い光に目が衝撃を受け、手でガードする。


 駆け足で書斎へ急ぎ、ドアを開けるなり机上の端末に手を伸ばす。普段使いしていない基本的に誰も知らない端末だ。


 手に取るやパネルに電話番号を打ち込む。電話帳には一切電話番号を登録していない。履歴も電話が終わるや常に消去している。

 10秒ほどで相手に繋がった。


「もしもし?」と呑気極まりない言葉が返ってきた。


「どういうつもりだ貴様」

 感情を抑え込んでいても怒りは息として溢れ出る。


「見てのとおりですよ」


 一切悪びれていない言葉が返ってくる。今すぐに怒鳴り散らしたいところであるが、外には運転手が控えている。聞かれるわけにはいかない。


「お願いをするからにはまずは段取りを踏む必要がありますでしょう?」

「段取りだと?」

 持っていた端末に力が入る。


「そうですよ。下手に出たところで貴方たちは言うことを聞いてはくれないでしょう?」

 一切悪びれる様子もなくエウリッピ・デスモニアは言葉を返す。


「要求はなんだ?」


 ここで反駁したところで話が進まないと判断した芥子川は言いたい言葉を全て引っ込める。そこで待ってましたとばかりにエウリッピの言葉が耳朶を打つ。


「『メルクリウスキューブ』、弦巻葵…。ああ、もうこの際、カルナ・アラトーマと言いましょうか。耳を揃えてこちらに引き渡してください」


 言葉が頭に入った瞬間に、酷いバーターもあったものだと思った。


 しかし、『メルクリウスキューブ』も弦巻葵も渡すわけにはいかない。どちらを失っても今後のパワーゲームに支障が出る。


「貴様らに渡す理由があると思うか?」

「では、いいことを教えて差し上げましょうか?」


 勿体ぶったように間が出来る。今にも激憤が爆発しそうな芥子川は椅子に座す。5分ほど経過してからデスモニアの声が聞こえた。


「弦巻葵は、女王の実妹ですよ」


 臓腑に氷塊を落とし込まれた錯覚してしまうほどに体中を寒気が駆け抜ける。文字通り、寝耳に水だった。


「女王の妹という大層な身分にありながら情けない落ちぶれぶりだな」

 手すりに力を込め、思いっきり握り締める。


「まあ、色々とありましたのでね」

 狙いは、言うまでもなく読めている。


「その程度の話で奴を切り捨てるとでも思ったか?」


 離間の計を仕掛けてきていることが理解できている以上は疑うことが命取りになる。まだ、事態が明瞭でないうちは耳を貸す必要はない。


「その程度の情報とは驚嘆に値する物言いですね」

「当然だ。駒に求められるのは過去の汚れではない」


 口では大層なことを言ったところで、本音は少し違う。だが、今それを詳らかに説明してやる必要はない。


「よって、貴様の話は世迷言に等しい」

「酒壺の蛇という言葉をご存じですか?」

「それがどうした?」

 意味は勿論知っている。ここに至りて、先の言葉が読めた。


「俺以外には既に通達済みという訳か」

「新参者は最後というのがルールなのでしょう?人間は」


 コロコロと笑うような言い回しに我慢の限界が超えた。そのまま電話を一方的に切ると、普段使いの端末を手に取って電話帳にある姫川の番号に繋ぐ。


『はい』という気怠げな声が聞こえ、少しだけ突き刺さっていた苛立ちが抜ける。


「予定変更だ。弦巻葵を最下層に移し、ロックを規定よりも厚くしろ」


 いつもよりも早口な上に矢継ぎ早の命令に姫川が戸惑っていることを察し、芥子川は咳払いをして再び言い直す。


『了解しました』

 電話を今にも切ろうとしている彼女に追加注文を飛ばす。


「明日の19時に全員を招集する」

『…分かりました』


 電話が切れると、芥子川は背もたれに身を預けた。疲れが一気に押し寄せたようだ。


 実際に頭は第三支部の崩壊、今の電話でのやり取りでパンクしそうになっている。


 とても、今から打開策を考えられる状態にはない。


 この日がいつか来ることは、予想が出来ていた。そのために、思いつく限りの手はすべて試してきた。


 悪魔と憚られても当然の所業を、神への冒涜と憚られても当然の所業を。


 手を血で汚すことを恐れる必要はなかった。


 全ては、叶わぬ身で見た頂を得るために。


 そう言い聞かせれば、問題はない。


 今回も乗り越えられると芥子川は自分に言い聞かせる。



                 ~予告~


 この度は『女王編』を最後まで読んでくださりありがとうございます!!


 序盤から首魁の殴り込みというギア全快の展開に加えて増えていく新キャラ。


 完敗を喫した葵の処遇、絶望の淵に立たされた九竜、掴みどころのない姫川たちがどのような選択を取るのか⁉


 次回より新章『結解』が始まります。


 血で血を洗う死闘、始まる思惑のぶつかり合い。


 地獄の中で誰が勝ち、勝利の女神に微笑まれるのか。


 今後とも『イノセンス・V』をよろしくお願いします!!

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