第101話 女王9(葵サイド)
遅かった。殺すつもりで放った一撃は殺すに至らなかった。
心臓を貫けば、間違いなく仕留めることが出来ていた。
焦ったのか、それとも情が手を鈍らせたのか。分からない。
しかし、悔いたところで、遅い。中途半端に手を出してしまったことで虎の尾を踏む結果になった。
皮膜はあっという間に破れる。本来必要とされる時間を満たしていない。
何が起きたのか全く分からない。もしかしたら、下手に刺激を加えた結果なのかもしれない。
それが結果的に自分の死期を早めることになったという現実は、嫌というほどに伝わってくる。
皮膜が内側から膨れ上がり、破裂する。
目に入るのは、最初と変わらない白い薄衣。装甲と言えるものは一切身に着けていない。グラナートが持つ強烈な自信がありありとうかがえる格好だ。一方で、水気が全く取れていない服は皮膚に密着して体のラインを強調している。
所々に金糸と赤い糸で彩られた箇所が可愛らしく見える。ただ、それとは裏腹に背後に控えている鮮紅色の大鎌は獲物の血肉を求める獣の舌を連想させた。
薄いプラチナブロンドの髪は水を滴らせ、大きな翠眼は気だるげな赤い瞳に変化している。背丈も少しだけ大きくなり、服を押し上げる胸の膨らみも増している。
「ふぅ…」と一息ついて、グラナートが前に出る。水を踏むピチャっという音が聞こえ、ボタンを連打するように連続する。
死が、迫って来る。
体から漏れ出る迫力に押しつぶされそうになる。
抗うように、爪を石畳に立てる。
「お待たせ」
完治した両腕でグラナートは大鎌を振るう。
付着した水が飛び散った矢先に衝撃で消滅した。
『Aaaaaaaaaa‼』
叫んで、カルナは飛び出す。手足のブースターも合わせた一撃に全てを賭ける。
ドスンという重々しい音が響き、2人がいる場所を起点に大きな亀裂が走ってクレーターが生まれる。まるで漫画の一面を絵にしたような光景だ。
「ちょっとはマシになったじゃん」
全力の一撃が、受け止められている。しかも、あっさりと。
「これでお終い?」
動かない。壊れた鍵穴に差し込んだ鍵が抜けないように手が動かない。
自分を見つめる焼けてしまいそうなほどに熱い瞳。
もっと、もっと、もっとだと。熱烈に訴えている。
試すような視線を受けてカルナはエネルギーの出力を上げる。
二発目を放つ。さっきよりも破壊力は上だ。
しかし、最初と同じように必殺の一撃はあっさりと受け止められてしまった。
直後に、カルナの体が持ち上がる。足が地面から離れ、暴れ狂う空気が体を襲う。
体勢を立て直そうとしたところで、グラナートが攻撃を放とうと大鎌を回している光景が目に入る。動かすたびに大鎌に巻き込まれる形で空気が収斂していることが分かる。動き自体は緩慢だが、込められている力は空気は多い。
「拙いですね」
グラナートが今にも大出力の一撃を咲かせようとしていることを察し、エウリッピは足早に退避を始める。人質は残ったままだ。
『早ク逃ゲロ‼』
対するカルナは出せる限りに叫び、人質となっていた第三支部の職員たちに逃げるように指示を飛ばす。今から攻撃すれば間に合うかもしれないが、今の状態でも放出することは可能だ。そして、あの状態でも十分に競り合うことが出来ると言うことは、さっきのやり取りで分かっている。
葵がこの状態であるため、この理解のしようがない世界を目の当たりにした彼らはすっかり腰を抜かして動くことが出来ないでいる。
「逃げられると思ってるの?」
愉快で、冷徹で、残酷な宣言がこの場に居る全員に告げられる。
「負け犬が生きてられるわけないじゃん?」
底冷えするような言葉と共に、鎌が一振りされる。
無理やりに一塊に纏められた空気は荒れ狂う獣を思わせる勢いでカルナに迫る。しかも、荒れ狂う空気は更に周囲の空気を巻き込んで大きさを増していく。
轟音と共にカルナを喰らおうとする
直後に、鼓膜が破れるのではないかと思えるほどの音が背後から聞こえた。直撃した第三支部のビルは、周辺にある有象無象が、風の乱舞によって次々に破砕されていく。
カルナとて例外ではない。
解放された風の刃が間隔を空けずに次々と背部を切り裂く。更に範囲が広がっていき、全身を覆っていく。
「アッガァァァ…‼」
余りの苦痛に声を上げる。受けて分かったことだが、出力がカルナが席を置いていたときよりも明らかに威力が桁違いに跳ね上がっている。
これまでに受けたことのないほどの激痛。装甲をあっさりと貫通して皮膚と肉を超え、骨にまで刃は到達する。
痛みに発狂しそうになりつつも、意識を無理やりに繋ぎ止めて殺戮の場から逃れようとする。それを察知したかのように、刃は執拗にカルナの体を蹂躙し、地面へ叩き落す。
傷口は深く、次々に血が失われていく。
視界が霞んでいく。立ち上がろうと四肢に力を込めようとするも、まるで回路を断ち切られてしまったかのように自由が利かない。実際に神経を破壊されていることは攻撃の威力から容易に想像がつく。五体満足でいられることが奇跡とさえ思える。
体が芯まで冷える。心臓を潰されない限り死ぬことはないにしても、痛みと現実感のない出来事によって頭が白く染まっていく。
「期待外れもいいところだよ」
辛うじてまだ動く目を上に向けてグラナートを見る。
失望。
向けられる視線はどうしようもないほどにこんな感情が籠っていた。
髪を掴まれ、視線を無理やり合わせられる。
「でもまあ、いいや。これからは、ずっと一緒だから。わたしが満足させてもらえるほどに、強くしてあげるから」
白い指が頬に触れる。さっきまで殺しに身を投じていたとは思えないほどに細く、滑々している。胡乱な瞳は生来の恋人に酔っていると思えてしまうほどに。
「何で…」
そんなことを平気に言えるのか。
分からない。どうして、自分を前にしてあっけらかんと言えるのか。
「何?」と笑みを浮かべたまま、グラナートは応じる。
どうして、無邪気に笑っているのか。幾つもの思いが、これまでの記憶と共に胸裏に去来しては消えていく。
全部、姉さんを思えばやってこられた。
全部、姉さんを忘れないためにやってきた。
全部、姉さんに報いるために、生きてきた。
「帰ろ?わたしたちの家に」
見ていない。目の前にいる
最初から、見ていない。
そんな現実を目の当たりにして、純粋無垢な言葉を受け、
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