第100話 女王8(橙木サイド+グラナートサイド)

 生きているのなら、感じて当然のもの。望んでいた解放とは、相反する想い。


 どっちなのだろうか。自分のことのはずなのに、どっちを選べばいいのか分からない。

 自分がどっちを望んでいるのかさえ、分からない。


「時間だ。答えを聞こうか」

 サードニクスが、最後通牒を突き付ける。同時に首に添えられている手が離れる。


「ゴホッゴホッ‼」と咳き込み、供給不足だった酸素を求め喘ぐ。

 涙で目が滲んで、痺れていた筋肉が正常な運動を始める。


「もう一度聞く。答えは?」


 恰好を付けるなら、立ち上がるべき。

 伏したまま生きているのは、ただの恥だ。見栄えの問題ではなく誇りの問題だが。

 薄っすらと開いた瞳はサードニクスを睨みつける。


「レディに…狼藉を働くような、男に教えることは…ない」


 小さく溜息をつくとサードニクスは真理の頭を掴んだ。体が浮遊感に襲われる。


 ミシミシ、ミシミシと。力が加わって頭が軋む。


 このまま圧力が加われば、リンゴを潰すように砕け散るのだろう。飛び出すのは、黄色く美味しそうな果肉ではなく、見るに堪えないグロテスクな脳漿だが。


「戦場で狼藉を働かない奴はいない」

 正論だ。返す言葉もない。

「じゃあな」

 宣言される、終わりの言葉。間もなく訪れる死。


「イヤ…」


「何?」

 無意識に零れた言葉にサードニクスが反応する。


「死に、たくない…」


「は?」

 間の抜けた言葉が返ってくる。

「この期に及んで何を言い出すかと思えば」

 加えて嘲笑ではなく、呆れの溜息がブレンドされる。


「そんな生半可な覚悟でここに居たのか?」

 答える代わりに真理は唾を吐き、サードニクスの頬に付着する。尤も目が見えていない真理には見えていない。

「失礼したな。無礼な質問だった」

 低く落とされた声音は、もう遊びが終わりだと切実に物語っている。

 加わる力が強くなる。


 あと少し。背中を押されれば、死ぬことになる。


 ―ああ、嫌だ。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。


ー嫌だ…。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。


 ―死にたくない。


 頭の中が、混じりけのない拒絶で埋め尽くされる。


「じゃあな」


 最後の宣言だ。今にも狂ってしまいそうなほどに、神経が熱を帯びる。叫びそうになる。

 しかし、来るはずだったその瞬間は、訪れない。

 死と衝撃は、一向に振ってかからない。


 目を開けることが出来た。

 薄っすらと涙の膜が張った目に映る景色はぼやけていてよく見えない。

 それでも、自分を救った背中の人物を見間違えることはなかった。

「お待たせしました」


                  ♥


 ようやく本気になってくれた。胸が高鳴っている。


 この感覚はいつ以来だろう。思い出せそうで思い出せない。


 脈打つ間隔が少し早くなっている。胸に手を当てるまでもなく分かる。


 皮膜の内側から突き出た鋭い爪を伴いながら、バシャっと大量の水が溢れ出る。灰色の石畳が瞬く間に赤みを帯びた水に濡れる。


 現れたのは、悍ましくも強い生命力を放つ魔人。放つ眼光は戦意以外の何物も宿っていない。漏れ出る吐息は抑えきれなくなった殺意が形を持ったかのよう。


「ようやく楽しめそうだね」


 グラナートは突き刺したままのドラグラングを向ける。


 両雄、相対す。当事者以外の何人も立ち入ることの許されない領域が展開される。


 しかし、いつも張り詰めた空気が破れるのは、一瞬だ。


 グラナートの体が宙を飛ぶ。顎下から脳天を貫くような威力を持った衝撃が容赦なく頭をシェイクする。目は確かにカルナの姿を捉えている。空中で立て直そうとしたところで尻尾による一撃を受け、地面まで一直線だ。手足で踏ん張る。

 とはいえ、揺さぶりに揺さぶられた頭は強烈な衝撃にやられてしまって平衡感覚を狂わせる。フラっとしてしまって膝をついた。

 そこを逃すはずもなくカルナは怒涛の連撃を仕掛ける。


 鋭い爪にコーティングされた拳、丸太の如き太さを持った尻尾、異常な脚力を誇る足から繰り出される蹴りは容赦なくグラナートの体を蹂躙する。


 打ち込まれる連打で臓腑が、筋肉が、骨がズタズタになっていく。服と皮膚が裂けて鮮血が飛び散る。


『OooooooAaaaaaaa‼』


 最後の一撃が決まり、グラナートの体はグチャっという生々しい音を立ててビルのエントランスまで盛大に吹き飛んだ。


「あ…ぁ、A…」


 壁に叩きつけられたグラナートの体は力なく石畳の上に落ちる。

 体に付けられた大量の傷から鮮血が漏れ、地面を急速に赤く染める。


「ア、 ア…ァ…ハハハハハっ‼」


 立ち上がったグラナートはズタボロで、血塗れの体はとても生きていると言ってよい姿とは思えないほどに酷い有様だ。

 右目は光を失い、左腕は本来は曲がることのない角度に曲がっている。胴体の傷も凄惨の領域を既に超えており、腹部は大きく裂けてはらわたがはみ出ている。服と髪を赤く染め上げる傷も含めれば、間違いなく即死級のダメージだ。


「こうじゃないと…‼こうじゃないと、楽しめないよォ‼」


 哄笑が響き渡る。

 狂気に染まった左目が空を射抜く。

 右手は全てを抱くように広がる。

 時が止まったかのように、その場にいた者は誰も動けないでいる。


 ―楽しい。


 何がと問われると答えられない。言葉に出来ないほどの快楽と言うべきか。


 体を駆け抜ける痛み、流れる血の熱さ。


 生と死のボーダーライン。すれすれの勝負。


 醒めていく。これまでずっと眠っていた意識が。


 解けていく。快楽を求める欲求、戦いへの食欲が。


「本気でやろっか」


 ひとしきり笑ってから、グラナートはドラグラングの柄を左手で掴み、一気に引き抜く。剣身はバラバラと剥がれ落ち、内側に内包されていた導器ミーセスが露になる。

 腰に付けているものは、偽物。王殺しを目論んだ日からグラナートが出し抜くために用意している兵装だ。


 それを目撃した瞬間に、カルナは止めようと尻尾を伸ばして攻撃を仕掛ける。


「醒めろ。緋女王セリオン


 命中する直前で、皮膜が展開され、尻尾が弾かれる。

 そのまま、グラナートの体は皮膜に包まれていく。

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