第99話 女王7(橙木サイド)

 外に出ると、突風に襲われ、髪が酷く乱れて顔に当たった。鬱陶しさに顔を顰めて真理は手で払う。


 攻撃地点はヴァルキリーを受け取ったホテルから少し離れた場所から行うことを選んだ。補給や援護という観点に関しては問題ありと言える判断だが、拠点を抑えられるという事態を避けるためにはやむを得ない。

 背筋に寒気が走る。ビル群の只中にあるだけあって風は強く、肌を容赦なく撫でる。お陰で自分が臆病風にでも吹かれたような錯覚を覚える。


「しっかりしなさいよ。私」


 深呼吸をして、両手で頬を挟む。程よい痛みが行き渡って自分に戻る。


 第三支部を見渡せる地点を見出して、真理は駆け出す。

 しかし、右側面から伝わってくる殺気が肌を突き刺した。


 野生の勘。そんなものがあるのか分からないが、体が勝手に動く。

 予感が間違っていたなかったことは、顔があったはずの位置を何かが通過したことによって証明される。

 身を屈めた真理はホルスターに納めていたデストロイを抜き、引き金を引いた。残念ながら当たることはなかった。

 目の端で誰が攻撃を仕掛けてきたのかを捉えた。


「渉猟してる暇があるらしいわね」

 現れた人影に向けて真理は銃口を向ける。

「これが今回の役回りなものでね」


 バルカ・サードニクス。

 あの夜と同じ姿。

 自分の命を脅かした、吸血鬼。


 動悸が早くなる。胸を押さえてしまいそうになるも、指が食い込むほどに力を込める。自分が少なからず怯えていることを誤魔化すために。

 それでも、1つの可能性が、頭を擡げる。


ー死ぬかもしれない。


「暇なのね。案外」

「うちの軍師様は堅実なんだよ。外堀から埋めるってことでな」


 あのときと変わらない余裕のある顔。見ていると心底腹が立ちそうになる。

 しかし、単独で戦ったところで勝ち目のない相手であることは、殺されかけたという実体験で証明されている。

 生き残れているのは、増援が間に合ったからでしかない。


 運が良かった。それだけの話だ。


「出来れば遊びたいところだが、今回は時間が無いんだ。大人しく死んでくれよ」

 レイピアを抜く。あの夜には持っていなかったものだ。

 報告には聞いている。あれを使うことによって更なるパワーを得ることが出来るとのことだ。


 甘楽の顔がよぎった。


 余計なことを考えないように、甘楽のことを今は思い出さないように唇を噛む。痛みで神経を落ち着け、眼前にいる吸血鬼がどのように動くかをつぶさに観察する。


「そうだ。前にお前と一緒にいたガキ…。名前は何だったか?」

「自分で調べれば」

 ヘラヘラした態度で話しかけてくるサードニクスに真理は明確な拒絶の言葉を返す。

「喋ってくれた方が助かるんだよ。俺としてもな」

「何であいつを?」

 意味が分からず真理は条件反射の如く言葉を返す。

「個人的な興味だ。奴のことが知りたい」

 自分が知らないものを人が抱えているというのは、別に不思議なことではない。人間というのは本音と建前で出来ている存在である以上は驚くことではない。


 しかし、吸血鬼に興味を抱かれるというのは、尋常な事態ではない。


 勘が、そう訴える。


「知らない。もし、知っていても喋るつもりはない」

「じゃあ、死んでもらおうか」


 動く前に、真理はデストロイの引き金を引いた。

 火薬の破裂音が連続で続く。だが、前回ですら全く通用しなかった銃撃が、今回都合よく通用するはずもなかった。


「どうした?動きが止まって見えるぜ?」

 冷汗が流れる。感情を顔に表さないようにしながらも体は正直に反応する。

「チッ」と軽く舌打ちすると、真理は潜めていた手榴弾を投げた。

「おっと」

 サードニクスはまるでボールが飛んできたと言わんばかりの反応でレイピアを振るい、手榴弾を真っ二つにした。勿論不発だ。


 火器は全く通用しないという現実を目の当たりにした真理はデストロイを捨ててリッパーでの迎撃を選んだ。勝利の可能性は低いとしても、銃撃が通用しない以上はこの手段を取る以外に選択肢が浮かばなかった。地上10階から飛び降りて逃げるという選択肢は残念ながら取れない。超人ではないのだ。


 右手に握ったリッパーを始めに振るう。これは陽動だ。

 本命は左手。動いた瞬間に、心臓を貫く算段だ。


「見えすぎだ」

 振ったリッパーがレイピアに弾かれ、屋上に落ちる。更に無防備になってしまった首を左手が捕える。

 力は非常に強く、クランプで固定されてしまったかのように動かない。

 押し倒され、真上にサードニクスが乗りかかる。


「話をする気になったか?」

 問いかけると同時に力が強まる。ミシミシ、ミシミシ。容赦なく、手首をへし折らんと言わんばかりだ。更に左手が首に添えられる。

 力の入り具合から察するに殺すつもりは、今のところ無いようだ。


 苦痛に耐えかね、僅かに口から空気が漏れた。代わりの酸素を取り込もうと喘いだところで、締め上げられた首はその機能を十全に果たさない。

 サードニクスの瞳は、今まさに獲物を掻っ捌こうと言わんばかりの色を帯びていた。血の味を知り、渇望している。


「10秒だ。猶予は」

 完膚なきまでの敗北。取り繕うことも出来ないほどに、無様な姿。

 生き恥を晒すぐらいならば、ここで死んでしまった方がマシではないかという考えが浮かび上がる。


ーああ、でも、嫌だなぁ。


ー死ぬのは、怖いよ。

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