第95話 女王2(葵サイド+吸血鬼サイド+九竜サイド)

「では、後のことはよろしく」

 そう言うと芥子川けしかわは席を立ち、天長あまながが後に続く。

 姿が見えなくなるとこれまで締め続けられていた紐が緩むように部屋の空気が一気に緩んだ。


「これでようやく帰れそうですね」

 張った肩の筋肉を伸ばすように白聖びゃくせいが体を伸ばす。

「そうだね。すぐにってわけにはいかないだろうけど」


 壊滅状態に陥っていた第三支部の人員は中央こと第一支部、第二支部、後日補充された第四支部によって再構築が為された。その間に中央待機の補充部隊が派遣され、当初遣わされていた葵たちはようやく古巣へそれぞれ戻ることになった。必要だった引継ぎ作業もようやく完了した。


「ひとまず、ご飯でも行く?」

 葵は真理、白聖に問いかける。

「結構です」と真理は答え、「是非とも」と白聖は答えた。緩衝材を務めていた甘楽かんらがいなくなってしまった以上は真理の反応は当然だろう。


 時間は20時に差し掛かっている。残業するグループも少なからずあるだろうから備えについては心配する必要はないだろう。

「じゃ、行こうか。何食べたい?」

「肉でいいですか?」

「別に構わないよ」と口にしつつまたかと苦笑しそうになる。

 食べるものが決まると葵は白聖と共に会議室を後にした。真理は少ししてから部屋を出た。


                  ♥


 カルナが出てきた。別に殺しに行くつもりはないのか武具の類は持っていない。横に付いている男と離れたところに歩いている少女も同様だ。仮に武器を持っていたところで脅威の度合いで言えば大したレベルにはならないと予想できる。


「予定時刻まであと15分です」

 エウリッピが時計を確認しようとしたところでヴェローナが先に時間を告げてくる。右手に握っている懐中時計を一瞥すると言ったとおりに19時を示している。


 グラナートの控えているところまで行くとエウリッピは跪く。後ろにはサードニクスが控えている。フォスコを始めとする残りのメンバーは備えとして青ざめた宮殿フルレギアの守護に残っている。


 一房垂れたブロンドの髪を弄りながらとてもつまらなそうに端末を触っている姿は年相応の少女のようだ。紛れ込ませても違和感は無さそうである。


「もう間もなくお時間です」

 エウリッピの言葉を聞くとグラナートは端末を弄る手を止め、向いていた視線を前に向ける。


「そう」と短く答えるとグラナートは控えている給仕から長らく使用している通常の倍はある歪な形状のバスタードソードを受け取る。更にティアラと赤いマントを纏った。導器ミーセスは通常装備として常に身に着けている。

「始めようか」

 血に飢えた獣、悪逆に酔いしれる悪魔のような笑みを浮かべて、グラナートは言った。


                   ♥


「聞いてくれてありがとうね~」

 さっきまで見せていた死人のような顔は何処かに吹き飛び、清々しい顔をしながら琵琶坂びわさかはオレを見送った。溜まりに溜まった膿をまとめて一掃できたのだから当然といえば当然といえるか。

 対してオレはその膿をドストレートに受ける羽目になったため気分がげんなりしている。鏡で顔を見ればげっそりしているだろうことが容易に想像できる。頬がこけていないか心配になる。

 とても、2時間で話しきれるのかと疑いたくなるほどの質と量だった。


 愚痴の内容は、結局のところは仕事にまつわることだ。

 1つは、ここ最近は吸血鬼の攻撃が激しさを増したことに対抗して装備のアップグレードと量産化を委員会から申し付けられたとのことだった。芥子川けしかわではなかったらしいが、彼からは別個の仕事を押し付けられていると言っていた。こちらに関しては、愚痴にしてはいたものの、内容は明かさなかった。少し気になるところだったが、芥子川が個別である以上は聞かない方が良い気がしたため言及するのは止めておいた。


 しかし、琵琶坂びわさかに言わせれば、装備のアップグレードは現状オレたちが使用している固有の逆鱗リベリオンが限界らしい。

 理由はシンプルにこれ以上のスペックへ押し上げてしまうと人間が扱うには手に余る代物になってしまうとのことだった。

 つまり、今ある物でやる以外は無いとことだった。


 或いは、扱う人間のスペックを、人を超越した存在にする以外にはない、と。


 ため息が出た。銘を新たにした太刀『死不忘メメントモリ』のチェックだけのはずが下っ端が耳にしていいのか分からない話を耳にすることになった。


 危機がひたひたとではなく、怪獣が迫るようにズシン、ズシンと大きく歩みを進めて来ている。

 影から忍び寄る脅威ではなく、眼前から迫って来る脅威。目に見えている方が恐ろしいということを初めて知った。


「行くか」と自分の背中を押すようにオレは言葉を出し、足を前に出そうとしたところでポケットに入れていた端末が揺れていることに気づいた。


 ディスプレイの表示には「橙木とおのぎ」と名前が記されている。見た瞬間にどん底の気分が余計にどん底に突き落とされた気分になった。だが、私情で電話を出ないという選択肢はない。

 スライドして通話状態にする。


「もしもし」と答えると、すぐに言葉が返ってこない。新たな嫌がらせかと思い、少し強めの口調で再度問い返す。そして、ようやく言葉が返ってきた。


「すぐに来て」

 普段と変わらない淡々とした口調で橙木とおのぎは短く命令を告げる。ただ、言葉には少なからず揺れを聞き取れた。

「…何かあったんですか?」

「第三支部が、吸血鬼に占拠されたわ」

「は?」と間の抜けた声が出た。何を橙木が言ったのかまるで理解できなかった。

「二度は言わないわ。装備を整えてすぐにこっちに来なさい。急いで」

 一方的に用件を告げると橙木は電話を切った。事態を吞み込めずに呆然と立ち尽くしていると背後から慌ただしい靴音が聞こえた。普段運動を全くしていないことが分かるほどに危なっかしい。


「よ、良かったぁ~!」

 炎天下の夏空を全力疾走したかのように汗を滂沱と流しながら琵琶坂びわさかがオレの前までやって来る。肩で息を切らしている姿も痛々しく見える。


 橙木とおのぎの言葉に半信半疑だったオレは、琵琶坂の姿を見て疑いようのない事実であることを悟った。

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