第94話 女王1(九竜サイド)

 騒がしかった蝉の声も無くなって秋風が吹きすさぶ季節に突入している。 

 学生服は既に長袖になっているが、今日は一段と冷え込んでいる。マフラー、手袋が必要だなと思いながら手をさすって待ち人を待つ。


「お待たせ」と言った直後に馬淵はくしゃみをした。オレでさえ寒いのだから女子は尚の事寒いだろう。冷えた空気に晒されている素足は見ているだけで寒そうだ。


「待ってないよ」


 背中を預けていた校門から背を離し、持っていた端末をポケットに仕舞う。直後に門を通り抜ける他クラスの生徒がオレに好奇の視線を向ける。中にはオレのクラスの生徒もいた。


 つい先日まで人を避け続けていた根暗な生徒とマドンナ的な立ち位置にいる生徒。釣り合うか否かと言われれば否だろう。とはいえ、オレは別として彼女の意思を他人が曲げられるかと問われればこれもまた無理な話であるだろうが。


 あの醜態を晒した日から、オレと馬淵の距離は縮んだ。そう言っていいのか分からないが、オレ個人としては素直に受け取っている。


「行こっか」と彼女はあのときと同じように手を出してくる。握ることを躊躇ったところで無理やり掴んでくるため抵抗するだけで無意味だ。素直に手を繋ぐ。


「寒いね」


 歩いていると馬淵が口を開く。


「ああ。そろそろ、防寒具が必要になるな」


 ちゃんと受け答えが出来ているのか不安になる。


「今度、一緒に買いに行く?」


「そうだな…」とオレは思案する。仕事との兼ね合いを考えると安請け合いをすることに気が引ける。


「そっちの都合次第でいいよ」


 オレの沈黙を読み取った馬淵が先の言葉を言う。


「すまないな」


「別に謝る必要はないでしょ?言い出しっぺが合わせるのは当然のことだもん」


 謝罪の言葉に馬淵は笑って答える。


 相変わらず笑うと可愛い。だが、雲で陰るように笑顔が消える。


「ねぇ」と前置きして馬淵は何かを言おうとしているが、言いにくいのか口に出す気配はない。あまり触れない方がいいかと思って言うまで待つことにした。


「随分と傷だらけだけど、何やってるの?」


 予想していた質問だった。オレの顔や姿を見れば無理のない話であるが。


 顔には絆創膏とガーゼが連日に渡って貼られている。服の下も例外ではない。百葉ももはについては約束もあって言及はしてこない。


 このことについての言い訳を言うのは、久しぶりだ。


 しかし、当初は言い訳にしても嘘を述べることに罪悪感を覚えていたのに、あまり痛みを感じなくなっていることに自己嫌悪を覚える。


「女の子1人を守れないとなったらかっこ悪いだろ?」


 自分でも随分と歯の浮く台詞だなと思う。言われた馬淵は「え?」と間の抜けた声を上げ、目をパチクリとさせている。


「で、でも、この前みたいな…」


ー危ないことをしないで。


 言おうとしていることは、分かっている。


 それが出来ないことをオレ自身が最も理解している。本当のことを言うわけにはいかないから、しっかり蓋を閉じる。


「しないよ」


 そう言うと、馬淵の顔が少し明るくなる。見えていなくとも、内にある感情は安堵だ。オレの偽りが安らぎを与えた。


ーまた、積み重ねた。


 それでも、まだ痛みを感じることに、安心した。


 話をしていると目的地である駅に到着した。


「じゃ、わたしは買い物して帰るから」


 断りを入れると馬淵は「またね」と手を振って来た道を引き返す。姿が見えなくなるまで見送るとオレは駅に足を踏み入れた。


                   ♥


 電車を乗り継いで第二支部に足を踏み入れ、そのまま地下に向かう。扉をノックすると「どうぞ」という声が聞こえた。ドアノブを回して部屋に入る。


「コーヒーでいいかしら?」


「いえ、すぐに戻りますので」


「ちょっとぐらいいいじゃない」


 断りを入れようとすると琵琶坂びわさかが強引に引き留める。何か企んでいるのだろうかと真っ先に疑いの念が浮かび上がる。


 先日見たばかりであるが、顔色が良くない。前よりもやつれたように見える。


 青白い肌に隈のある青い目。ただ、目はまだ十分に開ききっていないようで口元には僅かに唾液が垂れた痕跡が見られる。つまり、昼寝をしていたらしい。白衣が乱れていることからも大慌てで着たのだと推測が出来る。


「ありがとうございます」


 礼を言うとオレはマグカップを受け取った。


 デスクは作業に必要と思われるスペースはしっかり確保されている。目の見える範囲ではデスクトップとキーボード、何らかの設計図と思われるものが置いてある。設計図の方は書きかけのようで蓋をしていないボールペンを乗せたままになっている。


 ただ、それ以外のスペースは棚に収まり切っていないファイル、上手く綴じることが出来なかったのかA4の紙が散乱している。その向かい側に設置してある本棚には英語やドイツ語、ロシア語などとても読めそうもない書籍が所狭しと収められている。


「あまり時間は取れませんよ?」


「別にいいわ。15分ぐらいで」


 気怠そうに琵琶坂びわさかはコーヒーを口に運ぶ。何か気の利いた言葉をかけた方がよさそうな雰囲気ではある。ただ、オレは最初に交わした会話の記憶から琵琶坂に対して葵とはまた違う苦手意識がある。


「…体調悪そうですね」


 結果として会話のキャッチボールになるのかならないのか曖昧な言葉を口にした。


「そりゃあ、もうね。ふざけんじゃないわって話よ」


 嫌な予感は見事に的中した。今更思ったところで後の祭りである。


「愚痴ですか?」


「そうね。愚痴よ。悪いかしら?」


 ジジジッと導火線に火が付いている爆弾が目の前にある。

 逃げ遅れた以上は、運命を共にする以外はない。


「いいですよ」


 諦めの言葉を、オレは口にした。

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