第87話 底辺20(ポルリルーサイド)

 思い返せば、弦巻葵を、カルナ・アラトーマを意識したことはなかった。

 輝かしい経歴、積み上げられた信頼、信用。

 裏切り者、天才、王候補の1人、英雄だったもの。

 向こうは知らないし、知る術はなかったのだから当然といえば当然だ。こちらだけが知っている一方的な関係。

 出会ったからか、見てしまったからか。

 こんな思いを抱くというのは、今でも不思議で仕方がない。

 しかし、悪い気分はしない。1つの自分だと思えば受け入れることが出来る。

 至上命題こそ変わっても根源的なものは何も変わっていない。

 戦いは最後まで生きていたほうが勝ちだ。伏していようが立っていようが関係はない。

 ただひたすらに、この女を跪かせたい。


 行動範囲を狭め、反撃の芽は尽く摘んだ。

 麻痺毒で暫く自由の利かない左足と神経にダメージを受けている右手。私たちと同類にカテゴライズされている限りは感知するだろうが、今だけこの状態が続いてくれればそれで構わない。

 愛用のナイフ「サベージ」を右手に弦巻葵つるまきあおいことカルナ・アラトーマに近づいていく。投擲すれば問題なく殺すことも可能であるが、それは許容できない。

「お決まりの台詞になってしまいますが、聞いておきましょうか」

 目の前で顔を伏せるカルナにルイは慇懃無礼な口調で尋ねる。


「降伏してくれませんか?」

 聞こえたらしい彼女は顔を上げる。

 敵意の宿った鋭い翠眼に女王程ではないにしても美しいブロンドの髪。この世の造形物とは思えない彼女よりは現実味のある姿をしているだけに美しいと感じる。

「お前はアタシを殺したいんだろ?」

「殺したいですよ。貴女が悔しそうな顔を浮かべる姿を見ながら、ですが」

「叶わない願いだよ」

 諦めていない。それが伺える表情だ。

 突き立てる牙、羽ばたくための翼の全てを奪われたにも拘わらず。


 見ていて、自分でも理解が出来ない激情が溢れた。この感情が何を意味しているのか分からないが、兎にも角にも腹が立った。

 頭を踏みつける。一時とはいえ美しいと思ったブロンドの髪がアスファルトに触れる。髪の繊細な足触りと頭蓋の硬さが靴底を通して足裏に伝わる。

「そんなことを抜かせる立場ですかぁ?」

「言わせて、もらうさ」

 顔を地面に擦り付けられながらカルナは諦めの言葉を口にしない。踏みつける足の力を強める。

「何故ですか?死ぬことが嫌ではないんですか?」

「とっくの昔に知っている。そんなもの」

 諦めているのか諦めていないのかよく分からない言葉を返される。


「ああ。腹立つなぁ‼」

 苛立ちを全く隠そうともせず、踏みつける力をより強める。

「何で?何で?何で参ったって言ってくれないの⁉」

 何故諦めないのか分からない。この絶望的な状況で全てを投げ出す言葉を口にしてくれないのかが理解できない。

「理由は…お前が一番理解しているだろ?」

「は?」と間の抜けた言葉がルイの口から零れる。

 地面に顔を擦りつけている女の抜かした戯言の意味を理解できずに言ってしまった。

「分かるんだろ?」

 顔に表情を出さないように気を付けつつ周囲に警戒を巡らせる。

 動きは止まった。人間どもの準備が完了したようだ。

 こちらも本格的に動かすべきと判断し、ポケットに仕込んでいた端末に指示を送る。


「笑わせないでくれるかしら?」

「図星か?」

「そんな子供だましに乗ると思いましたか?」

 強気に前に出ると、

「ハハハハハ‼」と高笑いが聞こえた。


 何かがキレた。

 何故嘲笑されたのか。何故嘲笑したのか。

 分からない。ただ、プライドを逆撫でされたという事実だけは、どうしようもないほどに確かで、絶対的に許せなかった。

 自分でも分かるほどに頭の中で理性が感情に負ける感覚が明確に理解できた。

「本っ当に‼ムカッつくなぁ‼」

 気が付くと、乗せていた足を下ろしてカルナの顔を蹴っていた。

 前歯が折れ、アスファルトの上を転がる。カラカラと乾いた小さな音が聞こえる。白い肌を鮮血が汚す。

「言えよ‼参ったって言えよ‼」

 無抵抗。何もしない。蹴られるがままになっている。罪人が懺悔をするようにカルナは抵抗しない。


 幾度蹴ったのか、時間がどれほど経過してたのか分からない。気が付いたときにはアスファルトが血に濡れ、肩で息を切らしていた。全力疾走をしていないにもかかわらずここまで体力を消費したのは久しぶりだ。顔に触れると薄っすらと汗をかいていた。

「どうかしら?少しは理解できた?」

 蹲っていた態勢は崩れて半胎児の態勢で伏している。前髪を掴んで表を上げる。

 整った美しい顔は見る影もないほどに傷と血で汚れ、歯も所々が欠けている。人目を引くブロンドの髪も頭に出来た切り傷から流れ出た血で汚れ、固まっている。


 空気を吐く音が聞こえた。何かを呟いているようだが、既に喋るだけの体力はないようで吐息と聞き間違えるほどに弱々しい。掠れる音が耳障りだ。

 ゆっくりと顔を近づける。

 もう、早くカルナの言葉を聞きたくて仕方がない。

 胸が高鳴る。体が火照る。頭が痺れる。

 抑え込んでいた高鳴りが溢れて、口元に浮かび上がる。

「ククッ…。ハハハハハ‼」

 ここまで追い詰めれば、言ってくれるに違いない。

 期待を胸に、口にする。

「さぁ、口にしろ‼」

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