第86話 底辺19(葵サイド)

 つまらないという主張を烙蛇おろちに乗せて葵は飛び出す。

 本音は少し違う。こいつは、途轍もなく嫌いだ。

 慇懃無礼な口調、パーソナルスペースを堂々と侵す図々しさ。自分の内側に手を突っ込まれているようでうすら寒さを覚えた。

 ポルリルーは足を動かす素振りをみせない。

「お喋りもお嫌いみたいですね」


 羽が体を包む。

 動く素振りは見られない。カウンター狙いか敢えて受けることが狙いなのか。

 分からないことの方が多い。だが、攻撃を浴びせなければ話は始まらない。

 上段から烙蛇おろちを精一杯下ろす。空気の抵抗が刀身から手に伝わる。

 触れるその寸前で、ポルリルーは動いた。

 白炎が爆ぜた。視界があっという間に白で埋め尽くされる。

「ちっ」と舌打ちをして葵は後方に跳ぼうとする。それを逃すまいとポルリルーの羽から触手のようなものが幾つか伸びる。


 身を翻して回避する。空中という自由が利かない環境でほぼ全てを回避することに成功するが、一発だけ頬を掠めた。そこで違和感を覚える。

 炎であるはずのなのに、熱くない。

 触手が触れた場所を触る。火傷はしていない。自分の肌のすべすべした質感と弾力が返ってくるだけだ。

 しかし、不安だけは膨れ上がる。

 何もないはずがない。共鳴リベラスはそれぞれの特性に合わせた具足を与える。形は違っても相手を傷つけ、害するという在り方から外れることはない。


「困惑、していますね?」

 色っぽい声音が聞こえた。まるでペットを愛でるような甘い声だ。

 続けて羽に包まれていたポルリルーの顔が露になる。

 アイシャドウの引かれた赤い瞳。白い肌。薄い黄色のエスニックな服。

 さっきと何も変わらない。変わっていないように見える。

 それが今は、違う存在に見える。

 覗き見されているような感覚。

 肌を舐めまわされているような気持ち悪さ。

 得体の知れない何かを目の当たりにしているような、嫌悪感を覚える。

 微笑を浮かべながらポルリルーはあのときと同じナイフを袖口から取り出す。それを見て1つ分かったことがある。

 あの炎には物理的に傷をつける能力は、恐らくない。となれば、精神に作用するタイプと分析して良いだろう。滅多にないタイプだ。


「考え事はそろそろ止めにして、始めましょうか」

 前置きしての行動。完全に舐められている。沸々と怒りが込み上げる。

「顔が赤いですよ」

 普段は怒りを露にしない。付け込まれる隙をわざわざ晒す行為に意味を見出せない。だが、ペースを乱される。意図的に行っていることだと分かっているのに。

 凄絶な顔と狂気を象ったナイフ。

 踏み込みによって発生した衝撃にアスファルトが砕ける。

 動き自体は読みやすい。だが、相手の能力が分からない以上は勝負を長引かせる理由はない。後学のための解析、真理たちの経験を積み上げという目的は果たせなくなることは惜しいが。


 構えなしの左一文字。一切の予備動作無しの一撃だ。加えて空気を絡めとった斬撃は回避をしようとしても手傷を負わせて動きを鈍らせることが出来る。

 左足を前に出す。直後に鋭い痛みが走る。何が起きたのか分からずに葵は目線を左足に向け、驚愕した。

 腿に針が刺さっている。じわじわとスーツに血が滲んでいる。しかも、少しずつ左足の感覚が鈍くなっている。恐らくは、毒。


 万全とは言えない状態。それでも、葵は迎撃を強行する。

 しかし、二度あることは三度あることを証明するように、刃はポルリルーを捉えない。

 肉を裂く感触は一切刃を通して手に伝わらない。空振りに終わった虚しさだけが手に残る。

「残念でしたぁ~‼」

 直後に右腕をナイフが縦断していく。プロテクターとスーツを巻き込みながら皮膚が切れる。普段は肉体を切り裂く側にあるだけに、自らの肉を裂かれる感覚は神経を弄ばれているようで言葉にならない不快感を齎す。

 ポルリルーが走り抜けるまでの間に葵は左足、右腕をほぼ機能停止に追い込まれた。


「どうですか?私の力は?」

 まだ真理たちが残っていることもお構いなしにポルリルーは葵に声をかける。声音からは圧倒的な優位にあるという余裕が感じられる。肌を舐めまわすようなねっとりした視線と物言いは目の前にいる怪物の本質を露にしている。

 予備動作はなかった。力みすぎた手足が僅かに前に出て読まれたと考えることも出来たが、そんなミスを犯してはいないと断言できる。

 ならば、何故か。

 精神干渉の能力ではない?しかしそれでは、先の炎に触れてしまった際に何の現象も起きなかったことが矛盾している。


「お前、随分と姑息な能力を使うようだな」

「姑息?便利と言って欲しいですね。曲がりなりにも私にとっては切り札ですから」

 ポルリルーは葵の左足と右手を指さす。

「絶対的、凡庸な存在では決して届かない力。ですが、全てはやり方次第でどうとでも転ぶ。そうは思いませんか?」

「たったの二発を決めた程度でお気楽だな」

「二発あれば十分ですよ」

 白炎の翼が散り、赤いリボンのようなものがポルリルーの手元に集約していく。導器ミーセスを握ったポルリルーは明後日の方に顔を向ける。

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