第80話 底辺13(九竜サイド)

 作戦はあの会議があった日から僅か5日後に決行となった。性急と言えるほどに性急だが、このことを予期していた、或いは示し合わせていたかのように準備はとんとん拍子に進んだ。そのことが、ずっと胸に刺さっている。


 葵の強さに疑いはない。紛れもなく本物で、ずっと高みにあるということぐらい。それを加味しても前衛をオレたちだけに押し付ける囮作戦、橙木とおのぎの言い方に倣うなら『捨て駒』をどうして許容したのか。


 知りたいところではある。


 しかし、それを知ってしまうと、何か触れてはいけないものに手を触れることになってしまうのではないか。そんな予感がする。


 揺れていたワゴン車が止まって尚、空想の海に浸っていたところで誰かに肩を叩かれたことに気づいた。


「すみません」


 何かミスをしたわけではないにもかかわらず謝罪の言葉が零れる。


「簡単に謝罪の言葉なんて口にするもんじゃないよ?」


 何処か地に足憑かない状態のオレを見かねた葵は短く溜息をつく。


「知りたいみたいだね」


 横にいた葵が声をかけてくる。


 乗っていたワゴン車から揃って降り、差し入れの缶コーヒーを受け取った。


 密閉された空間から出た直後に浴びる風はとても心地よい。普段はうっとおしい燦燦と輝く太陽の光でさえも。


 現在の時刻は午後5時。作戦開始まではまだ時間がある。


「まあ…その…」


 歯切れの悪い言葉で答えつつ、受け取ったコーヒーのプルタブを動かす。


「カチッ」という小気味いい音が聞こえたが、ついさっき買ったものではないようで中身は温い。ブラックコーヒーの苦みが翳りさす頭に手を突っ込むように頭をクリアにしていく。


 それでも、先の言葉が出てこない。


 オレの歯切れの悪い言葉に耐えかねたのか、葵が口火を切る。


「知りたいんでしょ?何でこんな無茶を引き受けたのか?」


「狙われているのが、隊長だからですよね?」


「ご名答」


 正解だった。推察するのはそこまで難しくはなかったが。


「あの2人は反対しなかったんですか?」


「しないよ。寧ろ嬉しく思ってるんじゃないかな?」


 その言葉で、橙木の顔と言葉が蘇る。


「あれは本心じゃないからね。仇が討てるかもしれないなら乗るよ」


 フォローするように葵が言う。助け舟を出してくれた彼女には悪いが、オレ個人としては本音であって欲しかった。


「昔から周りに対して厳しすぎるんだよね。実力、血統、性格。どれをとっても十分に評価できる能力を持っているのに全部打ち消してる。だから、前部たらい回し。本当は素直で優しいだけに勿体ない」


 橙木とおのぎのことだろう。あの性格では納得のいく話ではある。後者の方もオレが見ていないだけの話と考えられる。


「よく見てるんですね」


「そりゃあね。隊長なわけだから部下のことはしっかり把握しておかないと」


 今の言葉を当人が聞いたら、どう思うか。


 自分が嫌いな存在が、一番の理解者。オレでも認めたくない。


「だから、罰を真理に求めるのはお門違いだよ」


 極力感情を表に出さないようにしながら葵の顔を見る。


甘楽かんらが死んだのは九竜のせいじゃない」


 きっぱりと断言される。


 しかし、それは…紛れもなくオレのせいだ。


 力がなかったばかりに、守られて、死に追いやってしまった。


「ゲームじゃなくて戦争をしている。死ぬのは当たり前だよ」


「戦争なら、弱い奴から死んで当たり前ですよね?」


 オレの言葉に葵は何も言わない。


「なら、どうしてオレがここに居るんですか?」


「理由は知らないけど、あいつが選んだ。それだけだよ」


 あのとき、2人が揃って生き残れる可能性は無いに等しかった。いや、敵の詰め具合によっては、どっちも生き残っていなかった。


 1人でも生き残っていることは、正しく奇跡と言えるのだろう。


「償うには、強くなるしかない」


 葵が肩に手を乗せ、言葉を続ける。


「裁きをただ待っているのは、甘えだよ。贖罪は自分で歩まなければ果たされたことにはならない」


 本人は意識していないだろうが、肩に乗せた手に力が入っている。爪が食い込んで少し痛む。


 しかし、目に宿った激情はとても隠しきれるものではない。見ているとオレまで焼け焦げてしまいそうなほどの烈火だ。


 言っていることは、紛れもなく正しい。否定をするつもりなどない。

 だから、オレはこんなことを思っている。


「1つ、お願いがあります」


「何かな?」


「隊長を付け狙っている吸血鬼、オレに殺させて貰えないですか?」


「…アタシの話を聞いてた?」


 目が細くなる。戦場で見る彼女と同じぐらいの迫力を感じる。


 前なら引き下がっていた。だが、今はそれが出来ない理由がある。


「協力して欲しいんです」


「止めだけを譲れって?」


 大変なときを、安全圏で見ながら美味しいところだけ持っていく。それが一番いいに決まっている。その行為によって贖罪を果たせると言えるのならばだが。


「自分が…戦います」


「残念だけど、まだ無理だよ」


 前なら絶対にやらせないと言われても不思議ではなかったのに表現がマイルドなものになっている。


「鍛錬をするには実戦を経験させるのが一番効率的。これは確かだけど、今回は相手の格が上すぎる。勝負にならない。だから、全員で挑む」


「どういうことですか?」


「見ているでしょ?姿を変える連中を」


 頷いて答える。辛うじてサードニクスの変化した姿については覚えている。


「あれは全員が保有している能力。今後は、アレと対峙していくことになる」


「どれだけの連中があの能力を使えるんですか?」


 オレの問いに葵は逡巡する素振りをみせる。彼女にとって聞かれたくないことに足を踏み込んだことは容易に想像がついたが、知らないで通れる道ではない。


「あの能力は王と親衛隊にしか使えない」


 吸血鬼に王がいるということにまず驚きだ。取りあえずは、使い手の数が少ないという事実に胸を撫で下ろす。あれだけの強さに至ることの出来る能力を吸血鬼全てが使うことが出来ないと判明しただけでも十分な収穫だ。


「憶測にすぎないけど、今回戦うことになるのは、練度の低い奴だと思う」


「根拠はあるんですか?」


「やたらとアタシに執着していることかな」


 候補者として列挙できる存在はドレスの吸血鬼とエスニックの吸血鬼。


 前者の強さはパッと見でも底が知れない力を持つ怪物というイメージがある。後者は比較してまだマシだろう。実際に刃を交えていないため憶測でしかないが。


「徒党を組んで襲い掛かって来る可能性だってあるでしょう。そこのリスクはとても無視できるものではないと思いますが」


「心配しなくていいよ」


 オレの懸念を葵は真っ向から否定し、答えを言う。


「アタシたちにとっては戦いが全て。1人でやることに拘る傾向がある。強制すれば徒党を組むことはあるけど、常に獲物を仕留めるために抜け駆けを狙っている。必要となれば同族殺しも厭わない。だから、戦なんて大掛かりなことでもやらない限りは徒党を組むということはまずないよ」


 葵の説明を聞いていて、オレは無意識のうちに鼻で笑った。


「どうした?」


 訝し気な視線を当然のように投げかけられる。


「酷い矛盾だと思って」


「矛盾?」


「オレたちは命を懸けて挑むのに、奴らは戦いを何とも思ってない」


 我ながら何を言っているのだろうと思う。こんな言葉は思っていても口に出してはいけない類のものであると理解できているのに。


「アタシに言われてもどうしようもない話だね。そっち側の存在である以上は」


 咳払いをしてから葵は話を再開する。


「話を元に戻すね。余計なことは考えなくていい。手は打ってあるから」


 そう言って葵はワゴン車に戻った。

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