第78話 底辺11(九竜サイド)
小紫の葬儀から2週間が経過したが、吸血鬼たちに目立つ動きはなかった。これまでの行動は、あのときの事件に結びついていると言われても納得できてしまうほどに音沙汰がない。尤もそのおかげでオレは彼女から継いだ太刀の修練に励めているわけだが。
「はあああああ‼」
振り下ろした太刀を葵は普段と変わらず綺麗に躱す。今回は距離を取ってきた。オレが次の攻撃に移る間隙を狙いに行くということを暗に物語っている。だが、これは何度も目の前で見ているおかげで次のアクションは概ね把握できつつある。嬉しくない経験である。
太刀を振り下ろし、次に左側に振り抜く。狙いどころは上ではなく下だ。下腹部のあたりを狙うつもりで切り返す。葵は即座に防御に切り替える。
長剣と太刀がぶつかり合い、耳障りな金属音が響く。だが、前回と違って押し切ることは出来ない。前回が枯れ木なら今目の前にあるのは大樹だ。ビクともしない。
オレが悪戦苦闘している間に葵は長剣の柄を利用して体を宙に浮かせ、そのままオレがいる地点めがけて踵を落としにくる。
目の当たりにしたオレは回避に移った。直後に元居た場所に葵の踵が落下し、大きく床が抉れた。しかも、舞い上がる埃の中から葵が飛び出す。
最初は踏み込みからの突き。紙一重で回避するが、連続で突きが続く。捌くだけで精一杯で、意識が前面にだけ集中してしまう。
それが陽動だったと気づいたときには、足が地面から離れていた。
「え?」と間抜けな声を出したオレは床に倒れていた。
目を下に逸らすと、喉元に長剣の切っ先が突き付けられている。
「勝負ありだね」
切っ先が引かれ、手が差し伸べられる。
「難しいですね…」
力なく笑みを浮かべてオレは葵の手を取って立ち上がる。
「ありがとうございました」
部屋を出ようとしたところで声をかけられた。
「このあと、第三支部に戻るよ」
先に続く言葉は、もう分かっている。
「分かりました」
オレは、太刀を握り締めた。
♥
第三支部に戻ると早速会議が始まった。
内容は予想通りに次の仕事についてだったのだが、前回とは少し異なる内容だった。
組織だった行動と思われる整然とした動き。それに死者がほとんど出ておらずに行方不明として処理されている。誰が仕切っているのかは不明だが、報告にある数字を見てみると上手く統率が取れているように見える。ここまで統率の取れた動きをしていると見るに指揮している者は高いカリスマ性、或いは長いこと部隊を指揮している者のどちらかということになる。
「ここまでで何か質問はあるか?」
パラパラと資料を捲っていると
「では、1つだけよろしいでしょうか?」
葵が手を挙げ、芥子川が許可を出す。
「今回は我々に前衛を務めさせてください」
葵の言葉に会議室は静まる。誰もが声を発するタイミングを掴めずに固唾を呑んでこの状況を伺っている。
「却下だ」
破ったのは言うまでもなく芥子川だ。
「前回の作戦を忘れたなどとは言わせんぞ」
中央から1グループ、第三支部から2グループ。そして、小紫。合わせて20名近くの死者を出すことになった。芥子川が言うように無視できる話ではない。
「決して忘れなどしませんよ。私が付いていながらこのような事態になってしまったわけですから」
そう言い、葵は頭を下げる。とても綺麗な姿勢だ。だが、与えられる言葉は所作への美しさをたたえるものではなく、結果への糾弾だ。
「そのような貴様に前衛などやらせられるものか‼」
頭を下げる葵を目にした男が唾を飛ばさんばかりの勢いで葵に批判の言葉をぶつける。
「そもそも吸血鬼など抱える方が間違いなのだ‼」
部屋の空気が昏く、淀んでいく。
頭を上げないでいる葵、一転して沈黙に入った芥子川。それから声高々に彼女を詰る中央の机に陣取る男たち。部屋にいるその他の者たちは誰もこの事態に巻き込まれることを恐れて顔を机に向けている。
このタイミングで
氷塊に罅が入るように張り詰めていた空気の最中の行動に全員の視線が集中する。
「議題に関係のないお話は止めていただけますか?」
凛とした橙木の声が響く。見える横顔は酷く苛立っているように見える。その迫力に圧倒されてか先ほどまで声高々に葵を批判していた男たちは口を閉じている。
「批判されるのは当然のことと理解しています。しかし、議題を逸らしてまで弦巻にこのような言葉を浴びせられるからには、何かお考えがおありなのですよね?」
怒っている。普段よりも低い声音は、知る者が聞けばすぐに理解できるだろう。
「私にはあるが?」
芥子川は怯む様子もなく真正面から言葉を返す。
「お三方はいかがでしょうか?」
「ない」などと言えばどのような事態になるかは、言うまでもないだろう。当然のように橙木は納得などしない。
「自分は弦巻隊長の意見に賛同します」
針の一刺しで破裂してしまいそうな風船を思わせる会議室によく通る、温かな声が一石を投じる。
「
2人は耳元で何やら会話を交わすと、天長が前に出る。
「全面的に賛同ということではありません。部分的にということです」
部分的にという言葉が引っかかる。答えはすぐに示された。
「弦巻隊長たちだけが前衛を務める。それで如何でしょう?」
「ふざけているんですか?」
当然のように橙木は黙っていない。普段のしかめっ面とは比較にならないほどに顔が恐ろしいことになっている。
「信頼しているのでこの役目を頼みたいと思っています」
「嫌味を許容できるだけの余裕はありません」
橙木の言葉を聞いた天長は困った顔をして微笑む。サングラスで隠された目にどのような感情が宿っているのかは伺えない。
「挽回のチャンスと受け取って欲しいのですがね」
「捨て駒にされることを名誉だとでも?」
「心にもないことを仰いますね」
「何か間違ったことを言いましたか?」
「ええ。間違っています」
天長の言葉が理解できずに橙木は黙る。実際には何かを言おうとしたのだが、何を言うべきか分からずに何も言えないという状態だ。
「思う存分に戦える状況を作る。そう言えばどうでしょうか?」
「その言葉の全てを信用しろと言うつもりですか?」
「信用してくれて構いません。吸血鬼を滅する。その目的だけに関してはお互いに嘘偽りなく協力できると思いますが」
机に向けていた顔を橙木に向ける。
葵は口を出さない。主役が橙木に移ってしまった以上は口を出すつもりは無いということだろう。次に天長に視線を向ける。
目が確認できない以上は表情から推察する以外に無いわけだが、ずっと表情が微笑の状態から変わらない。あの顔がオレたちで言うノーマルの状態とでも主張しているように思えるほど変化がない。
しかし、1つだけ断言できることは、この場で事を荒立てるような真似はしないだろうということ。仮に橙木が拒否しようとも武力に訴えることは無いように思える。
「バックアップは?」
「勿論全力で取り組ませていただきますよ」
橙木の目が葵に移り、彼女の首が縦に動く。強く引き締まっていた橙木の表情が僅かに緩んだ。
「では、当日の担当は前衛を弦巻グループが、バックアップにここにいる全てのグループが回るということでよろしいでしょうか?」
天長が最終確認に入る。実際には形式的なものでしかない。ここまで議論が進んでいる上に委員会の懐刀が立案した策である以上反対する者などいない。
「結論は出たようなので、これにて終了といたしましょう」
天長の言葉を締めに会議は終了した。
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