第64話 離別21(葵サイド)

 時は少し遡る。

 共鳴リベラス。上位の者だけに制御することが出来る力の開放。その証たる『導器ミーセス』と担い手の融合によって為される1つの絶技。許される時間は最大で10分。それ以上は制御が利かなくなって敵味方どころか周囲にある有象無象の全てを破壊衝動に任せるままに灰燼に帰す絶大な力。文字通りの破壊の化身。


 アタシの内側が侵される。概念的な表現ではなく物理的にだ。

 突き刺した『導器』が解け、赤い紐ともリボンともつかない姿になって刺した個所から体内に侵入してくる。その度に体中を内側から掻き回されるような不快極まりない感覚が駆け巡る。その感覚は一瞬で終わる。時間にすれば3秒に満たない一瞬の出来事だ。

 それから、外部との接触を一切遮断する皮膜が形成される。液体に満たされたその中で肉体の作り直しが行われる。

 この筆舌に尽くしがたい感覚は同じ体験をした者にしか共有できないだろう。それほどまでに不可思議な体験だ。

 体感で5分ほど。肉体は、作り替わる。

 暗闇に閉ざされた場所から、血とも水とも言えぬ物質と共に飛び出る。瞬間に光を浴びるというのは、新生と言えるのではないかと思う。

 全て、凡て、総て。

 以前までのアタシではない、新たなアタシを世界は迎える。

『OooooAaaaaaaaaa‼』


                  ♥


 共鳴リベラス。それ自体は王の具足メンブラル全員に与えられた力。仮に追放された身の上であったとしても保有していたところで不思議はない。だが、目の前にいるそれは、明らかな規格外だ。

 一言で形容するなら、悪魔かドラゴン。この際どちらでもいいか。化け物が目の前にいるという現実に変わりはない。


 山羊を思わせる角と目、全身を覆う刺々しい黒ずんだ赫の装甲。檳榔子黒びんろうじぐろのラインは気品を感じさせると同時に容姿と合わさって攻撃的な印象が強まっているように見える。血管のように体表に張り巡らされたそれは脈動するように仄かに光っている。

 前腕部と一体化した翼に尻尾。見た瞬間に恐怖を覚えるほど鋭利な爪は驚異的な攻撃力を持つことがすぐに理解できる。

 四つん這いになり、床に爪を立て、歯を軋ませる。

 装甲に覆われた顔の一部がずれて鋭い牙が露になり、白い吐息が漏れる。

 無機質に見えると同時に、生物的に見える。

 ちぐはぐでアンバランス。自分の物とは、何もかもが違う。


「醜いですね」

 ルイは平静を装って言う。そう振る舞わなければあの怪物に圧倒され、吞まれてしまう。実際に今は意識を繋ぎ止めるだけで精一杯で緊張のせいで口内がカラカラだ。

「強がるのなら最初から捕まらんことだ」

 フォスコはルイに苦言を呈する。実際にその通りであるため反論の余地はない。それ以前に完全に余裕が顔から消えている彼を目にすること自体が初めてのためそんなことをしている余裕がないことぐらいは否が応でも分かる。


『OooooAaaaaaaaaa‼』

 カルナが再び吼える。さっきよりも一際大きな咆哮は空気に強く伝搬し、皮膚を痺れさせる。

「来るぞ‼」

 フォスコが言うやカルナが飛び出す。対処すべく構えるが、その矢先に姿が消える。見えたときにはフォスコと共に上にいた。


 圧倒的という言葉が相応しいのはこの状況を示しているのではないかと思う。

 変貌したカルナが指先を始めにコーティングされた右手を突き出す。それを皮切りに猛攻が始まる。

 間断なく続き一切反撃の猶予を与えない。攻撃対象に選ばれたフォスコは完全に防戦一方になっている。だが、圧倒的に攻撃力が上にあるカルナの攻撃は防御を瞬く間に崩していき、状況が不利と判断したフォスコが上に逃げる。それをカルナが追いかける。ここまでのやり取りで30秒も経過していない。


『Aaaaaaaaa‼』

 カルナが叫び、右手を振り下ろすとフォスコが落ちて来る。よくよく見ると全身が傷だらけで血が滲んでる。

「クソが…」

 血を含んだ唾を吐き出しながらフォスコは毒づく。その姿を見ていてルイは導器ミーセスを抜こうとするが、目にしたフォスコが止める。

「止めておけ。抜いたところで奴には勝てん」

「…何故?」

 2人で挑めば勝率は大きく上げることが出来る。揃って共鳴リベラスを使えば、あの規格外を相手にしてもチャンスはあるだろう。ここで勝つことが目的であるはずなのに何を言っているのか理解できない。

「これ以上続ける意味はない」

 尚も抜こうとしているルイの手をフォスコが握る。力は強く厳然たる決意をもって今の行動と言動に臨んでいることが伺える。

 みすみす勝てる勝負を捨てる理由を見出すことが出来ないため承諾しかねるとろだが、カルナであろうとフォスコであろうと挑んだところで勝機はないため従うほかにない。

「では、どうするおつもりで?」

 ルイの問いかけにフォスコは答えない。その間にもカルナは再び四つん這いになって攻撃の構えを見せている。


 腕部と脚部に展開したブースターから大量のエネルギーを放出して破壊力を大幅に上げる構えだ。正面から受ければ、肉体は四散するだろうことは容易に分かる。

 衝撃波が発生し、床の一部が砕ける。真っ直ぐ、ミサイルのようにカルナが突貫してくる。

 推進力、突撃の際に含まれる運動エネルギーが加わることによる一撃は最早受け止めることなど出来ない。

 ルイとフォスコはすぐさまその場を離れる。巻き込まれた空気でルイの頬が深く切れた。対するカルナは止まることなく突き進み、壁を粉砕していく。


「まさか…初めから?」

 ルイは目の前で起きた光景に暫し理解が追い付かなかった。

「奴には初めから勝つつもりがなかった」

 フォスコは戦斧を壁に立てかけて腰を下ろす。

「刃を交えて初めて分かったことだ。奴の目に元より儂らの姿はなかった。壁の先。分断された部下の救出を優先した」

 俄かに信じがたい行動だ。同族ならば塵芥ほどの理解が及ぶところではあるが、相手は人間だ。格下で消耗されるだけの存在でしかない。

「その割に使うのが随分と遅かったですね」

「使いたくても使えない状況に追い込んでいたのだ。時間の問題ではあったろうがな。それにあのような手段を奴は好まんからな」


 何もかもが自分とは違う。加えてこれまで抱いていたカルナ・アラトーマという女に対する評価が塗り替わる。

 裏切り者は圧倒的な実力者へ。卑しい者は誇り高い者へ。

 胸が疼く。これまでに抱いたことのない感情。

 トクン、トクンと刻む鼓動に変わりはない。

 それでも、小さいながらも確かな重さを持った感情がある。その温かさがゆっくりと胸に、頭に広がっていく。

 こんな経験は今までになかったが、悪くはない。寧ろ心地がいい。

 姿を消した恋人の面影を追い求めるようにルイは穿たれた壁に近づく。

「いつか、必ず…」

 跪かせたい。最後の言葉は口に出さなかった。

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