第59話 離別16(九竜サイド)

 葵の姿が見えなくなってからオレたちはネガルと呼ばれていた存在を可能な限り倒していった。前衛を務めたのは小紫こむらさきとオレだ。


 前回は出撃こそしたものの、前線には出ていない。全て橙木とおのぎが引き受けてくれた。実質今回が初めての戦いになると言っても過言ではない。


 手が震えて止めどなく汗が流れる。呼吸も荒くなって視界が乱れる。


 汗のせいでスーツが張り付いて気持ち悪い。だが、その感覚に浸る余裕はない。


 敵を前にして纏まらない支離滅裂な言葉、記憶が浮かんでは消えていく。しかも、どれもこれも戦いに関係のない物ばかりだ。


「私が出張りますので止めだけお願いしますね」


 小紫こむらさきの普段と変わらない落ち着いた声でオーバヒート直前の頭が冷めていく。


 フラッと音もなく彼女は前に出ると、あっという間に1体のネガルの上半身が滑り落ちる。床に落ちると「バシャッ‼」と音を立てて液体に戻る。


 その光景を見えているのか感じているのかは不明だが、ネガル小紫こむらさきに体を向ける。


 彼女は先ほどと同じように不規則なステップを踏んで次々とネガルの体を撥ねていく。


 人体ならば「ザンっ‼」という擬音を付けたくなるほど力強くも華麗な一撃を小紫こむらさきは事も無げ気に決める。それを同じ速さと力強さで行っている。加えて状況判断も的確でネガルの攻撃を察知するや身を屈め、逸らして次々に回避する。


 他班の援護も的確だ。小紫こむらさきの死角をカバーするようにビーハイブでの援護射撃が行われ、銃声が鳴るたびに爪が動きを止める。


 オレも足手まといにならないために可能な限りネガルを倒していく。


 吸血鬼を殺したときとは違う硬質でドロッとした感触。奴らを殺した際に走った生々しい感触は存在しない。おかげで気持ち悪さや後ろめたさと言ったものは、全くと言っていいほどに生じなかった。


 全員でかかっていく。次々にネガルは数を減らしていく。


 相手が知性の高い生物ならばこの程度の手法が通用するはずもないが、幸いなことに学習能力はなかったのか同じパターンで事足りた。そのため、思ったよりもかなり手早く全てのネガルを処理することが出来た。加えて吸血鬼と違って心臓を破壊する必要はないことが唯一ありがたいところと言えるだろう。


「これで最後ですね」


 ここにいたのは全部で10体だった。


 最初にいたのは目視できる範囲で優に30は超えているように見えたが、尽くが葵の手によって蹴散らされたようだ。今はオレたちが倒した個体と同様に液体に戻って床を濡らしている。


「先に進みますよ」


 納刀しながら小紫こむらさきが言う。


「了解だ」と他の隊員たちも応じる。


「あとどれくらい戦えそうですか?」


「集団で来なければあと2戦ほどは余裕だ」


 それだけの弾数で凌ぐのは難しいだろう。ここが敵の領域でなければもっと楽観的に行動することも出来るが、残念ながらここは敵の領域というだけでなく分からないことがあまりにも多い。


 まず、たった今対峙したネガルと呼ばれた存在だ。


 材質を素直に受け取るなら液体金属を用いたものだと推察できる。それを人型にした挙句に動作に不備なく攻撃を実行してきた。見ていた限りは行動を含めて誤作動と思えるものは見られなかった。これほど高度な技術は見たことも聞いたこともない。


 次にこの建物だ。地下空間に2階建ての一軒家が丸ごと収納出来うるほどの大きさを誇る建造物が存在しているだけで驚嘆に値する。更に見た目は大理石で床にも壁にも繋ぎ目と言えるものが存在していない。1つの素材から作り出したと言われても違和感を感じないほどだ。建築には明るくないため詳しいことは分からないが、高度な技術を用いていることは分かる。


 これらの存在が、今の今まで誰にも知られずに存在していたという事実。


 吸血鬼。オレが知っていることと余りにもかけ離れている。


 体が得体のしれない存在を目の前にして震えた。


「綺麗だと思いませんか?」


 声をかけられているのが自分だと思わず見つめられてようやく声をかけられたと気づいた。


「この景色ですよ」


 一面の白と床に散らばる銀。だが、その白さは有象無象を遍く拒絶する潔癖の象徴に見える。美しいというよりは悍ましいという感覚の方が強い。


 しかし、この景色の中にいる小紫こむらさきの存在は際立っている。


「自分は…怖いです」


 ポロっと口に出てしまった。恐る恐る小紫こむらさきの顔を見る。


「そこは思ってなくても同意するところですよ?」


 言った小紫こむらさきの手が少し震えている。


「そうですね。すみません」


 怖いのは自分だけではない。小紫こむらさきも得体のしれない領域に足を踏み入れてしまって恐ろしいのだ。周りに不安を与えないために押し隠している。


 小さく呼吸をして表情が自然になるように努める。


「…綺麗ですね」


 オレは小紫こむらさきから目を離さずに言った。


 しかし、静寂は突然に終わりを告げた。


 大理石を叩く連続した靴音が聞こえる。


 徐々に、音は大きくなっていく。


 小紫こむらさきは合わせていた目を前に向ける。構えから見て居合切りの一撃で葬る魂胆のようだ。


 姿が見えてくる。目を凝らしてその姿を確認しようとして、愕然とした。


 あの夜出くわした、吸血鬼だった。

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