第60話 離別17(九竜サイド)

 床を叩く足音が連続して聞こえる。足音が大きくなるほどに体が震えそうになる。


 あの夜よりも早い。しかも、吸血鬼の後ろは壁が閉じている。いや、閉じ続けていると言った方が正確だろう。壁から逃げているように見える構図のはずなのに、そのように見えない。


「速いですね」


 緊迫した声が小紫こむらさきから聞こえ、同時に後ろでビーハイブを構える音が聞こえる。


 距離が少しずつ縮まっていく。


 鼓動が早まり、汗が顔を伝う。迫る恐怖と強さの前に正気を保つだけで手一杯だ。


 吸血鬼が速度を上げる。前ならば衝撃波で罅が入っても不思議ではないほどの衝撃だったのに、ここでは何の変動も起きない。


 小紫こむらさきが振り抜く。


 位置的に見て狙う箇所は腹部。初撃で行動不能にして二撃目で止めを刺す。理にかなった攻撃だ。だがしかし、あの吸血鬼にこの攻撃が素直に通用するとは思えない。


 展開は、懸念した通りになった。


 小紫こむらさきの一撃を吸血鬼は身を屈めて回避した。しかも、その間にも移動を続けている。


 攻撃を加えられれば、小紫こむらさきは確実に殺される。


 その次に狙われるのは、オレのはずだった。


 吸血鬼は小紫こむらさきとオレを無視して進んだ。直後に背後から悲鳴が上がる。


 振り向くと、吸血鬼が中央と第三支部のグループを蹂躙していた。


 戦闘スタイルは以前と変わりがない。体術(蹴り技)を主体とした攻撃がメインだが、今回は以前と比較して動きが滑らかな上にアクロバティックだ。しかも、隙があるように見えて切り返しが早いためまともに攻撃を仕掛けるタイミングを摘まれている。


 加えてビーハイブが主武装だったことも最悪としか言いようがない。尤もこれがリッパーを始めとする近接戦闘用の武器であったとしても近接戦闘に持ち込んだところで、あの衝撃波を前に無力になっている可能性も否定は出来ない。


 悲鳴。怒号。銃声。靴音。風切り音。様々な音が交じり合う。


 赤。白。数多の音に対して色はたったの二色。


 結果として瞬く間にオレたち以外が死んだ。


「よう、また会ったな」


 返り血で顔を汚した吸血鬼がオレに声をかける。服装は以前と変わっていないが、纏う雰囲気が全く違う。前回が遊び人なら、今回は仕事人という具合に。ただ、オレたちを卑下する薄ら笑いは変わっていない。


「私は初対面ですね」


 会話を遮るように小紫こむらさきが乱入する。


「この前とは違うな。新しい女か?」


「恋人と思われてるなら嬉しい限りですね」


 吸血鬼のからかいに小紫こむらさきはにこやかに応じる。


「この前よりも年が上みたいだな」


「愛に年齢は関係ありませんよ。殺し合いも同様に」


「年と容姿と体つきが違っても頭の中は同じらしいな。物騒過ぎて笑えるぜ」


「人を容姿と言葉だけで判断してしまうのは感心しませんね」


「力関係ではっきりさせれば満足か?」


 やれやれというように吸血鬼は手を振る。


「健全に話し合いで決めるというのはどうでしょうか?」


「話し合いたいなら武器を捨てるところから始めたらどうだ?」


 その言葉に小紫こむらさきの口角が上がる。


「爪先一つで人を殺せるほどの技量があるのにこの程度のなまくらを恐れるのですね」


「恐れる?何をだ?」


 吸血鬼は腰に下げたレイピアを抜く。先日は持っていなかったものだ。

 

 吸血鬼が跳び出す。速度は最初のときと変わらない。


 小紫こむらさきは正面から受け止める。


 耳障りな甲高い音が響く。それが絶えることなく続く。


 目視できる範囲では小紫こむらさきが守りに徹しているようだが、近接戦闘を専門にしていることもあって橙木とおのぎと違って押し込まれていない。


 しかし、言いえぬ不安が胸中に蟠っている。まだ何かを隠し持っているのではないか。そう思えてならない。


 応酬を終えて小紫こむらさきと吸血鬼が距離を取る。


「驚いたな。少し本気でやっているのに押し切れないとは」


 心底驚いたという顔をしながら吸血鬼は言う。


「そんなに人を見下して楽しいですか?」


「お前はガキの頃に蟻の巣を踏んだことはないか?」


「さぁ、私には分かりませんね」


 あっけらかんとした返事を小紫こむらさきはする。


「それと同じだ。目の前にいれば踏みにじりたくなる。そこに意味を見出そうってことが無理な話だ」


「いい趣味をしているようですね。でも、賛同するつもりはありませんよ」


 小紫こむらさきの答えを聞いて吸血鬼は顔を顰める。


「見ていれば分かるぞ。お前はどれだけの人間を殺している?」


 その質問を聞いた瞬間に小紫こむらさきは小さく溜息をつく。反応から見るに何度も聞かれていることなのだろう。


「覚えてないですよ。一々覚えておけるほど私は優秀ではありませんから」


 考え込む仕草もしていない。恐らく本当に記憶にないのだろう。


 殺しておきながらあっけらかんとしている彼女に暗い感情を覚えるが、同時に普段の姿を少なからず見ているため否定したい感情が芽生える。


「嫌味ったらしい女だ。人間だてらにここまで切り結んでおいてその言い草か」


「殺した人数を勲章のようにひけらかす趣味は無いですよ」


「戦争で殺せば英雄…だったか?」


「それが何か?」


 吸血鬼が言わんとしていることがよく分からない。小紫こむらさきも同じようだ。


「人1人を殺したところで何故詰られる?」


「…何が言いたいんですか?」


 流石の小紫こむらさきも痺れを切らしたようで吸血鬼に問う。


「殺している数はお前らの方が上のはずだ。同種族で殺し合い、終いには星そのものを死に至らしめる力まで手にしている。人間1人の死がなんだ?こうして話をしている間に幾人が殺し、殺されている?」


 随分と飛躍した話にオレは何といえばいいか分からない。こんなことを吸血鬼が言い出すとは思っていなかったというほうが正確か。


 小紫こむらさきは溜息をついて太刀を持ち上げ、吸血鬼に向ける。


「勘違いなさっているようなので訂正しておきましょう」


 そう言って言葉を続ける。


「確かに私は数えきれないほど殺しています。女子供も含めて。ので、殺人を否定するつもりはありませんし止めるつもりもありません。ですが、私が取ったのはあくまで手段。己の趣向を満たすためでも快楽のためでもありません。変態ではないし、クレイジーでもない。同列に語られるのは、不愉快ですね」


 今までにないほど殺気立った声音で小紫こむらさきは言う。顔も普段の柔和な笑みを浮かべていたものから一転して無表情になっている。今の話は余程腹に据えかねる内容だったことが分かる。


「それはすまなかったな」


 謝りながらも吸血鬼は笑みを浮かべている。


 オレは自分にできることを考える。


 前回対峙した状況を思い出すと殆どが橙木とおのぎにおんぶにだっこの状態だった。だが、状況はつぶさに観察していた。


 出来ることはある。そう自分に言い聞かせる。


「謝罪なんて結構ですよ。ここで死んでいただければ溜飲が下がりますから」


「生憎と何度も死ね死ねと面と向かって言われ続けて黙っていられる質ではなくてな。次に口にしたら、確実に殺してしまうぞ?」


「それは失礼しましたね」


 話が一段落した段階で、オレは一歩を踏み出そうとした。


「手、出さないで下さいね」


 気配を察知されて小紫こむらさきに止められる。反論しようとしたところで言葉が重ねられる。


「言いたいことがあるのならこの場で言ってください。ただし、全て却下させてもらいますよ。私がこれから口にすることはお願い、質問、雑談のどれでもありません。シンプルに命令です。賢しくなくても分かることですよ」


 無意識に足が前に出てしまった。一呼吸を置いて、再び小紫こむらさきは口を開く。


「手を出すな。そこで大人しくしていろ」


 纏う空気が変わる。普段の見せている何処かのほほんとした柔らかさが完全に消え、研ぎ澄まされた刃のような迫力に変貌している。だが、一瞬だけ合った目は、事実をそのまま物語っていない。何かを伝えようとしているのが分かった。


「2対1でやらないで俺を超えられると?」


 呆れたと吸血鬼は顔の上半分を抑えて笑う。あのときと同じで見ていると不快でならない。


「そろそろ幕引きにしましょう」


 小紫こむらさきが口にすると吸血鬼も笑うのを止める。本気であるということが伝わったのだろう。


「お前、名はなんという?」


 笑うことを止めた吸血鬼が初めて口にした。


小紫甘楽こむらさきかんら。今はそう名乗っています」


 色々と突っ込みどころのある自己紹介だが、吸血鬼は何も言及はしない。


「バルカ・サードニクスだ」


 吸血鬼も紹介を終える。


 両雄相対すとでも言うべきところだろうか。醸し出す戦意の濃さが少しずつ上昇しているように思える。


 先に動いたのは小紫こむらさきだ。


 しかし、動かしたのは、手でも足でもなく、口だった。


「来たれ。『屍喰しぐらい』」 

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