第49話 離別6(九竜サイド)

 病室の中はこれまでと変わらない。厳島いつくしまが繭に籠るように布団に閉じこもっている点も。今回は声をかけるところから始めずカーテンを開けるところから始めた。あいにくの雨でそこまで部屋が明るくなることはなかったが。


「1日経って少しは落ち着きましたか?」


 小紫こむらさきが近づくとおずおずと厳島いつくしまが姿を現した。態度は昨日と同じで起き上がるとベッドの上で正座をする。その真面目な姿に小紫こむらさきが苦笑する。


「硬く構えなくてもよいのですよ?」


「しかし、ボクは…」


 昨日と同じで厳島いつくしまは口を開く気配を見せない。観察していると恐怖はまだ残っているように見える。チームが全滅という経験をすれば当然の事だろう。ただ、それだけショッキングな出来事に遭遇したにしては冷静過ぎるところが引っかかる。


 話をしたくないというのは経験の凄惨さを鑑みれば十分に理解の及ぶところであるが、昨日に話しを求められた際に見せた感情とはまた種類が違うように思うのは気のせいだろうか。


 話をしたくないのは、チームの全滅という悲劇が引き起こしたものではなく、また別の場所にあると推察できる。それが何なのかは厳島翡翠いつくしまひすいという人物を詳しく知らないオレには予想も出来ないところである。


 殻に閉じこもっている厳島いつくしまを前にしても小紫こむらさきの態度には余裕がある。葵が出来ると断言した以上は何らかの手立ては用意してあるのだろう。分からない以上は何も出来ないため見守るしかない。


「そういえば、紹介がまだでしたね」


 チラッと小紫こむらさきが目配せをしてくる。自己紹介をしていなかったことを思い出し、オレは名乗った。


「彼、優秀ですよ。吸血鬼を一発で仕留めることが出来るくらいに」


 小紫こむらさきが先日の出来事を蒸し返す。それどころかオレが吸血鬼を殺して全く動揺していなかったことまで丁寧に付け足す。


 それまで変化がなかった厳島いつくしまに変化が見られた。最初の視線を無色と例えるなら、今注がれているものは少しだけ赤く染まっている。敵意が少なからず籠っていることが感じられる。


「ひーちゃんのときよりも早いですよ。私たちの所に来てから1カ月経ってませんから」


 小紫こむらさきは話しを続ける。ただ、内容は話を聴くというところから外れて厳島いつくしまを焚きつけるもの言いに変質している。因みに葵のグループに所属してから1カ月は経過している。


 嫌な予感しかしない。その証拠に厳島から向けられる敵意が濃さを増している。


 小紫こむらさきにも当然この変動は見えているはずだ。とはいえ、これほどまでに露骨な言動をしていると自ずと狙いは絞られる。


 厳島の暴発。そんな強引な方法を用いて素直に話をしてくれるのか不安になる。常識的に考えれば頑なになると判断するだろう。いくら親しい中であっても踏み越えてはいけないボーダーラインは存在している。


「ひーちゃんも立派でしたよ。涙で濡れた顔は可愛らしかったですけどね」


 油どころかガソリンを容赦なく注ぐ勢いで小紫こむらさきの言葉責めは鋭さを増していく。これ以上は流石に危険だとアラートが鳴り響く。


「流石にこれ以上は…」


「黙っていてください」


 厳然とした面持ちで言う彼女の前には讒言ざんげんも引っ込めるしかない。それ以上の口出しを止めてこの状況を見守る方にシフトする。


「あの優しかった子…。名前はなんでしたっけ?」


 今度はおどけた風に言う。隠す気は更々ないほどにわざとらしい。オレですらカチンときたほどだ。厳島の腹の中は嵐の如き荒れ模様であると想像できる。


「ああ、晴美ちゃんでしたね。思い出しました」


 顔をほころばせるが、張り付いた笑顔という表現が的確なほどに目が笑っていない。ここまで露骨に人を苛立たせることが出来るのは才能と言えるのではないか。


「気遣い上手で周りを献身的に支える天使みたいな子でしたね。私も好きでしたよ」


 言葉は留まることなく続く。外野であるオレですら嫌気の差す物言いだ。厳島の精神状態は既に限界を超えていると思われる。いや、既に限界を振り切っているようだ。


 厳島いつくしまの黒い瞳は赤く充血して今にも決壊寸前の状態だ。あと一押しという状態。つまり、止めは確実に彼女の精神を粉砕するだけの威力を持った言葉になる。


「ひーちゃんが逃げなければ、誰も死なないですんだ」


 予想通りと言うべきか厳島いつくしま小紫こむらさきに殴りかかろうとする。だが、それを誘導していた彼女が対処出来ないはずもなく、あっさりと手首を掴まれて鎮圧される。


「話してくれますか?」


 締め上げる力がひと際強くなる。厳島の顔は苦痛と屈辱にまみれ、膜を張っていた瞳から涙が零れる。


「話してくれないと死んでいったAチームの皆が報われませんよ?それを無視して私を行かせまいとするのは自由ですが、私は役目を果たさない人は嫌いです。これだけは伝えておきます」


「逃げて…ない」


 ここにきてようやく厳島いつくしまが口を開いた。オレはメモを取り出して書き込む用意をする。


「逃げてなければ、何故ですか?」


 傷をゆっくり抉るように小紫こむらさきは聞き返す。


「逃がされたんです…。ボクだけ…」


「誰にですか?」


「…吸血鬼に」


 耳にしたオレは一瞬聞き間違えかと思った。小紫こむらさきも同じだったのだろうが、言及はせずに質問を進める。


「吸血鬼の特徴は分かりますか?」


 首を縦に振り、詳細を口にしていく。その間にも顔色は青ざめていく。残った傷跡は想像以上に酷いようで都度話せるようになるまで彼女は辛抱強く待っていた。


 話の内容をまとめると以下のよう。


 吸血鬼の容姿は正確には見えなかったもののシルエットからフルプレートアーマーで固めた人物だったようだ。


 色は暗がりであったため判別が出来なかったらしい。


 証拠になりえる声音はボイスチェンジャーを用いたようなぐぐもった声で性別不詳。


 総括すると自身に関するあらゆる情報をシャットアウトしているという印象を受けた。


「交戦状態に入るまでの経緯を聞かせてもらいますか?」


 小紫こむらさきが尋ねると、厳島いつくしまが「あの…」と口にする。


「名前…。言ってました…」


「名前ですか?」


 小紫こむらさきは首をかしげる。オレも同様の感想を抱くが、彼女は話を続けるように促す。


「マレーネ・ロ・ティーチ」


                   ♥


 病院を出るころにはすっかり夕暮れだった。


「どう思いますか?」


 内容は厳島いつくしまの話だ。小紫こむらさきは神妙な顔になる。


「私は信じますよ。彼女のことはよく分かっていますから」


 そこまで言って彼女は「しかし」と付け足す。先の言葉は分かっている。


「例の吸血鬼…ですね」


 厳島いつくしまを殺さずにわざわざ名乗った上に生かして返した不可解な行動。

 誰が考えても罠。そこに足を踏み入れれば、Aチームと同じ末路になる可能性がある。猿にでも分かる。


 報告をしない方がいい。


 こちらにとって不利にしかならない情報。これが罠であると理解していても上はやれと命令することは目に見えている。そうなれば、死人の数を増やす結果にしかならない。だが、聞き出すと宣言してしまった以上は報告を入れなければ…。完全に負の無限ループに陥っている。


「隊長込みでぶつかっても勝てるかどうか怪しいところですね」


 いつもは余裕のある態度で構えている小紫こむらさきが後ろ向きなことを言う。事態が深刻なことは分かっていたが、出来るなら前向きな言葉が欲しいということが本音だった。


「でも、道があるだけでもマシですね。茨の道でも、刃で舗装されたような道でも」


 ネガティブな雰囲気かと思いきやそうでもなかった。微笑む姿に陰りは見られない。会話が切れたためオレはずっと疑問に思っていたことを口にする。


「どうして、あんな強引な方法で話を?」


「あのまま説得を続けようとしたところで話をしてくれたと思いますか?」


「いいえ」と答える。答えを求められるかと思ったが、小紫こむらさきは問うことはせずに自分の口から説明を続ける。


「私たちを送りたくない、同じ絶望を誰にも知って欲しくない。それだけですよ。ひーちゃんは自分の実力を理解している。だから、私たちが挑んでも無事では済まないことが理解できてしまった。吸血鬼殺しとしてはあまりいい評価を下しようがありませんけどね」


 苦笑を浮かべて言い、言葉を続ける。


「ですが、私の役目は戦うことですからね。逃げることは出来ません」


 否定しようのない正論。


 堂々と逃げない、役目を遂行すると宣言した小紫は掛け値なしに格好いいものだ。


 しかし、前向きで強い言葉とは裏腹に彼女の瞳に光はなかった。

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