第36話 血戦12(吸血鬼サイド)

 扉を叩くと内側から開かれ、温かい空気が肌を撫でた。


 部屋は傷一つない白大理石の床、壁に覆われている。中央には10人は優に座ることの出来る長机が設置されている。窓は1つもなく天井に取り付けられたシャンデリアが部屋を煌々と照らす。


 エウリッピは右側にある一番手前の席に座った。ここは500年ほど変わらずに彼女の指定席になっている。


「相変わらず早いな。デスモニア」


 間を置かずに扉が開いて1人の大男が入ってきた。こちらの姿は見えていなかったはずだが、理解できたのは彼の持つ力ゆえだろう。


 ラーニエーリ・フォスコ。


 これからここに集うことになるメンバーの中では最古参の1人だ。大小様々な傷が刻み込まれている筋骨隆々の浅黒い肌に猛禽類を思わせる黒い瞳は見るものに威圧感を与えずにはいられない。2メートルを優にこす背丈にボサボサの黒髪とカーキ色の革鎧が合わさると巨人のように見える。


「今日は取り立てて大事な日ですからね」


 日々の仕事はどれ1つとして大事でないものはない。だからこそ、どれほど理不尽なことでも無茶な要求でも嫌な顔を1つせずに引き受けている。そのスタンスをずっと近くで見ていたフォスコはよく理解している。少し含みを持たせた物言いをしたのは、この後に来る人物に関係している。


「御前会議が重要なことは言われるまでもない。しかし…」


 躊躇いを見せるフォスコの言葉をエウリッピは遮る。


「力には抑止が必要ですよ。特に私たちには」


 苦い記憶が頭をよぎる。それを踏まえての言葉だ。フォスコも同じことを思い出したのだろう。さっきまでの険しい顔に渋面が現れる。


「物申したいのであれば、会議の席で」


「儂に発言権はない」


「ありますよ。序列は私よりも高い」


「本来は貴様があるべき場所だ」


 黒い目が少し見開かれ、体から放出している威圧感が増す。これが並みの吸血鬼ならば腰を抜かして立ち上がることは出来ないだろう。


「私が目立つ必要はありませんから。それに本懐を遂げるには今の序列こそ都合がいいという話です」


 まだ何か言いたいようだったが、余計な諍いをして2人の間に棘があると他に認識されてもよい結果にはならない。そのことを理解しているフォスコはそれ以上何も言わずに一番奥の席に向かった。こちらはつい最近になって変わった位置だ。


 それから5分ぐらいしてから新たな来客が扉を開いた。


「失敗だったな。もう少し遅く来るべきだった」


 エウリッピとフォスコを目にするなりバルカ・サードニクスは毒づいた。前回負った傷は既に完治している。


「目上に対する態度がそれか?サードニクス」


 受け流したエウリッピに対してフォスコは今にも激高しそうな雰囲気だが、別段これが初めてというわけでもない。何度か既に衝突自体は起きていて、その都度フォスコの勝利に終わっている。


「ああ、これがアンタらへの挨拶だ」


 悪びれることもなくバルカは言ってのける。好戦的な態度は吸血鬼らしい美点であると感じるエウリッピだが、ここで下手に騒ぎを起こされるのは具合が悪いためそろそろ止めに入ろうとしたところで次の来訪者が現れた。


「ダメよ。こんなところで血を流し合うなんて」


 甲高い声が聞こえ、さっきまで戦意を前方に発散させていたバルカのそれが後方に向く。


「うっせえ。雑魚は引っ込んでろ」


 この場を沈めようと口を出したアンドレス・ピールを新たな標的としてバルカは牙を剥く。対する彼はもう慣れているためか飄々とした態度を崩さない。目に見えてバルカの怒りは増す。あとから部屋に入ったオルテット・ガネーシャは我関せずの態度で定位置に引っ込んだ。


「その面、二度と出来ないようにしてやろうか?」


 スーツに手を突っ込んだままバルカはアンドレスに向かおうとしたところでエウリッピは席から立ち上がった。椅子が床を擦れる音に全員の視線が彼女に向いた。


「ピールが雑魚であると断言するなら、貴方はクズですね」


 エウリッピの言葉に部屋の時間が止まったかのように全員が動きを止めた。言われたバルカさえ呆気にとられたのだから無理もない話だった。揺り戻しで紅潮した顔と勢いは烈火の如くという表現がピッタリなほどに激烈だ。


「テメェっ‼」


 唾が飛ぶほどの勢いで怒号を飛ばしながらバルカはエウリッピの首を締めようとしたところで彼女に腕を掴まれた。


「事実を述べたまでです。何か文句がありますか?」


「大有りだ。俺が奴に劣るだと?」


 エウリッピの言葉にバルカは間髪入れずに反論する。


「立場を弁えない、非を認めない、規則を守らない。幾度言わせるつもりですか?」


「実力はお前よりも上だ‼この前に証明したばかりだ‼」


 それは否定しようのない事実だが、当事者間で真相は食い違っている。


「小童が実力などと軽々しく口にするな」


 最初に発言して以降口を開いていなかったフォスコが立ち上がる。


「勝負はいつでも引き受けよう。この場でなければな」


 舌打ちをしながら、不承不承といった様子でエウリッピの手を振りほどいた。あのまま衝突する事態になっていたらフォスコは間違いなく抜いていただろう。


 それからバルカが右側の中央席に座り、次に入ってきたルイが向かい合う形で左側の席に座った。残るはあと1人だが、開始5分前になっても一向に姿を見せない。


「ティーチはどうなっている?」


 フォスコはエウリッピの方を見る。仮に姿を表わしたら先ほどバルカに向けていた以上の激情をぶつけるだろうことは想像に難くない。


「私も行方は分かりません。一向に連絡が付かない状況です」


 マレーネ・ロ・ティーチ。彗星のごとく現れ、フォスコらを瞬く間に倒して序列1位の座を奪い取った謎多き存在。


 日頃から青銅色の鎧に身を包んでいるため正体どころか性別まで不明。挙句の果てには行動パターンまでも不明で一度姿を消したら尻尾を掴むことはほとんど不可能。

 向こうから姿を現してくれることを祈る以外に方法はない。前回会議に現れた際に仕事を任せられたのは奇跡に等しいと今は思っている。


 というのが、表向きの話。それの仔細はエウリッピの胸の中にしかない。


「いつになっても全然集まらないわね」


 1つだけ埋まっていない席にアンドレスが目を向ける。寂しげに見る目を見ているとエウリッピも少し胸の奥が痛む。


 結局、最後の席が埋まることなく扉が開き、1人の少女と傍仕えの2人が入って来る。エウリッピを始めとする座していた者たちは立ち上がって一礼した。


 席に着くと彼女は「ご機嫌よう」と柔らかな笑みを浮かべ、全員が席に座る。さっきまで部屋になかった重圧が部屋に籠る。


「マレーネは来ていないのね」


 切れ長のみどりの瞳が一瞬だけ空席に向いた。血管が見えるほど病的に色白の肌と色素の薄い長いブロンドの髪がこの世の存在であるように見えない。燦然と輝くティアラは彼女こそ王であると証明している。


「申し訳ありません。陛下」


 同僚の非礼にフォスコが頭を下げようとしたが、女王クイーンことグラナートが手で制した。


「いいのよ。事情があるのでしょうから」


 一段落が着くとグラナートはエウリッピに水を向ける。


「では、始めましょう」


                  ♥


 会議が終わるとエウリッピとグラナートを除く全員が立ち上がって次々と部屋を去った。1人1人と姿が消えると張り詰めていた空気が徐々にしぼんでいく。傍仕えもグラナートが下がらせた。最後にフォスコが消えて完全に2人きりになった。


「慣れないな~」


 ティアラを外したグラナートは立ち上がると両手を合わせて背伸びをした。


 フリルで飾った白い服は女王という立場に相応しい豪奢な服だが、背丈がエウリッピよりも頭一つ低いため年の離れた姉に憧れる妹に見える。


「そうでもないですよ」


 エウリッピの返しにグラナートはふくれっ面をした。しまったと思ったときには、もう遅い。


「2人きりのときにはその口調はなしって約束だよ?」


 咳払いをしてからエウリッピは改めて言葉を口にする。


「ごめん。でも、こっちの立場にもなってよ?」


 少しふくれっ面をしているグラナートに合わせるようにエウリッピも口を尖らせて文句を言う。それが彼女の琴線に触れたらしい。


「フフッ」と小さくグラナートは笑った。釣られてエウリッピも笑う。


「何か飲もう」


 特に断る理由はないためグラナートはエウリッピの提案に乗った。2人きりで飲むものは紅茶と決まっている。グラナートはテーブルを二度指で叩いた。それから5分もしないうちに扉から給仕がワゴンと共に入ってきた。


「ご苦労様」グラナートは給仕に労いの言葉をかけると下がらせ、自らの手でカップに紅茶を注ぐ。終わるとエウリッピの前に差し出す。揃って口に含んだ。


「相変わらずの腕前ね」


「当然でしょ。わたしが淹れたんだもん」


 エウリッピの言葉にグラナートは胸を張って答える。子どもっぽい態度を取られるとやはり年の離れた妹のように見えてしまう。その姿を見ていて先ほどアンドレスが言っていた言葉を思い出し、胸がチクリと痛んだ。


「悩みごと?」


 グラナートはエウリッピの表情が陰ったのを見逃さなかった。


「まあ、ね。寧ろ悩み事のない仕事じゃないわよ」


 愚痴っぽく言って紅茶を含む。


「良かったら聞かせてくれない?」


 グラナートは頬杖をついて聞かせろと急かしてくる。


「聞かせてあげたいのは山々だけど、言えるほど事態は進んでないのよ」


 エウリッピの言葉にグラナートはムスッとした顔になる。期待していた答えが返ってこなかったことが不満らしい。


「いつになったら聞けるの?」


「頑張るとしか言えないわね」


「面白くない~」


 終いにはテーブルの上に突っ伏して駄々をこね始めた。紅茶が零れたら困ること請け合いの行動だが、ティーカップだけは器用に躱している。


「楽しいだけじゃ戦争は出来ないの」


 小さな子どもに言い聞かせるようにエウリッピは言ってテーブルの上にあるスコーンに手を伸ばす。


「でも楽しんでるじゃん」


 不満たらたらといった様子でグラナートはエウリッピに噛みつく。ちょっとマズいなと思ったところですでに遅いことは当人がよく分かっている。


「始まったら楽しまないと損よ。でも、始める前にはちゃんと準備がいるの」


「早くやってよ~‼もう待つの飽きた~‼」


 完全に駄々っ子のそれだ。こんなときに、カルナが居てくれたらと思わずにいられない。完全にないものねだりだ。


「…分かったわ。今度外に連れて行ってあげる」


 額を抑えながらエウリッピは降伏の言葉を口にした。彼女の存在はまだ温存しておきたいというのが本音だったが、これ以上フラストレーションを募らせて暴発などした日には始末に負えない。


「本当⁉」


 エウリッピから前向きと受け取れるかどうかはやや疑問がある返事を聞いたグラナートの顔はパッと明るくなる。


「本当よ。でも、無理はしないでよ?前みたいに…」


「大丈夫だよ。わたしは最強だもん」


 その言葉に疑いはない。実際に負ける姿など想像できない。


 これまでも、これからもグラナートは勝ち続けて王の座を固持し続ける。長い付き合いからの贔屓ではなく、心の底からそう思わせるだけの重みが今の言葉には存在した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る