第35話 血戦11(九竜サイド)
勇ましいことを抜かしても体は付いてきてくれなかった。脳裏にちらつく戦闘の記憶は鮮明な色を伴ってオレの心を侵している。
「お疲れさま。気分悪そうだけど大丈夫?」
部屋に向かっている途中で
「おはようございます。大丈夫です」
心配してくれる
「鏡、見ましたか?」
「見ていないです」
「とても酷い顔をしてますよ。今にも死んでしまいそうなほど」
そう言うと柔らかな手が顔に触れる。掌を通して熱が伝わってくる。
「もう1日休みますか?」
彼女の気遣いにオレは首を振って答えた。
「じゃあ、これから仕事だと言われたら問題ないと言い切れますか?」
耳にした瞬間に視界が揺れて崩れ落ちた。見上げると小紫は言わんこっちゃないというような顔をしている。
「少し出ましょうか」
♥
向かった場所は初日以降に足を踏み入れていなかった食堂だった。時間帯は昼をとうに過ぎていて殆ど人はいなかった。窓際の席に座ると窓から差し込む西陽に目を細めた。
「何か飲みますか?」
「初めてここに足を運んだときに私は映画の話をしましたよね?」
オレは頷いて答える。彼女はテーブルの上に置いたチョコ菓子に手を伸ばす。食べるかと勧められたが断った。
「どうして聞いたのか分かりますか?」
考えてみたが、頭が重く回らなかった。
「見つけて欲しかったんですよ。自分が何のために殺すのか」
事もなげに
「何だっていいんですよ。誰かを守りたい、あいつが憎いでも」
「ですが、
「私は博士とは違いますよ。役割も考え方も」
降り注ぐ西陽に嫌気がさしたようで
「今でも殺すことは恐ろしいですか?」
「…それは」とオレは言い淀む。本当のことを言ってしまうことが躊躇われた。
「別にいいんですよ。こんな世界と何も縁がなかった君には無理のある仕事であることは私にも理解できます。でも、自分の役割はちゃんと果たさなければならない。ここに来てしまった以上は」
「すみません」オレは頭を下げ、胸の内を晒す。
「…分かっているんです。自分の仕事を果たさなければならないってことは。なのに…」
オレの言葉に
「頭はそう下げるものではありませんよ。越えられる壁さえ壊せなくなってしまいますから」
口の中で溶けていくチョコを口の中で弄んでいくとあっという間に消えた。粘っこい液体が口内で残滓となった。
「最初に言いましたけど
咎めるどころか慰めてくる
「先輩は…強いですね…。どうして…」
「当ててみてください」
話の流れがシリアスなものから変わったからなのか彼女は頬杖をつきながらチョコを口に運ぶ。オレは自分の過去に対しても最初に話をしたときと同じスタンスを崩さない堂々とした姿に少し呆気にとられた。
「普通に言うことが筋なことは私にも分かりますよ?でも、ただ話すだけではあまり面白くないですから」
葵や
「…先輩もすごいですね」
「私は君のメンターですから」
当然のことをしているかのように彼女は言う。得意気な表情を浮かべてドヤ顔をしている姿は年齢とは少し不釣り合いに見える。一瞬見とれてしまった。
頭を切り替えて考える。
分かっている情報は彼女が吸血鬼殺しであること、殺しという行為に特に抵抗感を抱ていないこと。だが、これだけでは答えに辿り着けない。
「吸血鬼に家族を殺された?」
オレの答えに
指導力がある、面倒見がいい、周りと打ち解けている。このことからも小紫はここに籍を長く置いていることが分かる。ぶつかることが多い
「紙に書いてもいいですよ」
「
「それも違いますよ」
微笑みと共に否定の言葉で突っぱねられる。落胆の溜息をついて別の答えを考えていると先日に
チームをまとめているのは絶大な葵の力。
だとしても、それはここに所属することになった理由でバックボーンのフラグメントに過ぎず結論には至らない。
ならば、極論ではあるが吸血鬼である可能性。これについては現状何の根拠もない。
どれだけ考えても結論は出ずに暗礁に乗り上げかけている。
自分が圧倒的に優勢なためか彼女は余裕の表情を浮かべている。
見ていると諦めかけていた闘志に火が灯る。何が何でも正解してやりたくなった。
このまま負けて引き下がるなど納得が出来ずにオレはメモ帳を取り出して分かっていることを書き込んでいく。
要点と言える箇所は葵の力と支配、殺しに慣れている彼女の態度。これまでの話で分かっていること。
逆に代々吸血鬼殺しをやっているわけではないこと、吸血鬼の騒動に巻き込まれた被害者ではないことが今回は分かったことだ。
であるならば、
現状で分かることは残念ながらここまでだ。更なる情報はもっと会話を重ねる必要がある。
「1つだけはっきりさせておいてもいいですか?」
「何なりと」
オレの申し出に
「隊長とはどこで知り合いました?」
「勿論ここですよ」
オレは逃すまいと彼女を見ていたが、特に怪しい反応はなかった。
「なら、隊長の正体を知ったときに…」
「それもしてないですよ」
「抵抗はなかったんですか?」
「ないですよ。私には
質問を先読みされた上にこうもきっぱりと否定されてしまうと小紫の規格外ぶりを見せつけられる。
しかし、これではっきりしたことは、
オレの場合のようにフィクションから吸血鬼のことを知っていたという話は十分に考えられる。そう仮定するなら、自らを吸血鬼などと名乗った人物が現れた瞬間にまともに取り合わない人間が大多数だろう。極稀に真面目に請け合う酔狂な人間がいるかもしれないが。
もう1つの可能性としては、最初から吸血鬼を既に目にしていた可能性。これを証明する手段は何処にもないが、絶対にあり得ないとは言い切れない話だ。この話も小紫が吸血鬼であるという空論と同様に証拠は何処にもない。
昼間の経歴についてはとりあえず趣旨からは逸れる話ではあるため突っ込まないでおく。
メモにペンを走らせる。今度はこれらの可能性から彼女に当てはまりそうなものに当てはめながらだ。そして、答えと言ってもいいものが出来上がった。
「結論は出ましたか?」
「出ましたよ」
短いやり取りを終えるとオレは答えを提示する。
「先輩はここに来る以前から隊長のことを知っていたのではないですか?」
「そう考えると辻褄が合うんですよ。吸血鬼である隊長に従うことに欠片も抵抗がないこと、
核心ともいえる場所に迫っているためかやたらと息苦しさを覚える。緊張して唾を飲んでから話を続ける。
「そこまでは正解ですよ。ですが…」
「分かっていますよ」
本番はここからだ。
「ここに所属するきっかけになったのは、隊長を殺そうとしたからではないですか?」
話を聞いていた
「大したものですね。殆ど情報がない中でそこに辿り着くなんて」
全体像が見えたわけでもないのにこのように切り出してきたのはバリケードだと考えて問題はないだろう。より深部を知りたいのは紛れもない本心だが、獅子が潜んでいると分かっている藪をあえて突く道理はない。
「ここに来る前は吸血鬼ではなく人間相手に商売をしてましたよ」
要約するならば、殺し屋をしていたとでもいうところだろう。殺しという行為に正面から向き合おうとしているような
「君の言うとおりに私は仕事をきっかけに隊長に出会いました。まあ、結果は今の立場を見てもらえれば分かると思いますけど」
勝てないのも無理はないだろう。いくら彼女が手練れだとしても人間と吸血鬼では勝手が違うどころの話ではない。満足できる備えもなく挑んで生きていられたことだけでも奇跡と称していいように思える。
「
「言ってましたね。そんなこと」
肝心な話を
「でも、私には願いなんてありませんから」
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