第34話 血戦10(九竜サイド)

 初任務から2日ほど経過した。一言で言うなら恐ろしい以外の感情はない。命を危機に晒されて正常な神経を維持できる人間などいない。


 頭の中にあるのは、橙木とおのぎと吸血鬼の戦いだ。彼女がいくら得意のフィールドで戦えなかったとはいえ、人間基準で考えれば十分に強い部類に入る。その彼女が圧倒され、殺されるところまで追い込まれていた。


 いや、葵が現れなければ、死んでいた。


 オレも橙木とおのぎも死ななくて良かったと思った。だが、結局のところは運が良かったからでオレが強くあることが出来ていれば状況は違っただろう。


 弱いことが、戦いに腰が引けてしまったことをずっと引きずっている。


「バイトで何かあった?」


 朝食を食べている最中に百葉ももはが尋ねてきた。顔には出していないつもりだったが、どうにも表れてしまったらしい。


 特に何も無いと答えはしたが、前回嘘をついたことに引け目を感じて一瞬だけ視線を逸らした。これが失敗に繋がった。


「本当はバイトしてないんじゃないの?」


 動揺して箸を落としそうになりつつ最後の最後で堪えた。


「してるよ。何処でやってるか言おうか?」


 強く出れば百葉ももはは下がる。いつもならここまで強く下がるが、今回は下がらなかった。


「教えて」


 動揺して箸を落としペースを握られてしまった。


「危険なことはしてない。それは誓える?」


 答えることが出来ず沈黙を貫く。嘘をつくことに対する罪悪感と知られてはいけないという使命感がせめぎ合う。


「答えるつもりはないのね」


 テーブルを叩いた。血の気が引くほどに恐ろしい形相で睨まれて食べたものが逆流してしまうのではないかと思うほどに気分が悪くなる。


「いい加減にしなさい」


 沈黙を貫こうとするオレに百葉ももはは容赦なく怒号を浴びせてくる。初歩的なミスを犯した自分への腹立たしさと理不尽なことは分かっているが、何も知らずに責め立てて来る彼女への怒りが積もっていく。


「何とか言いなさい‼」


「…ごめんなさい」


 鋭い怒号に対してオレは蚊の鳴くような声でしか答えることが出来ない。


「そんな言葉いらないわ」


 百葉ももはは逃がすまいと立ち塞がる。凄んだ表情がとんでもなく恐ろしい。


「…言えない」


「やっぱり、危ないことしてるのね」


 打って変わって姉さんは額に手を当ててため息をついた。


「今すぐにやめなさい」


 オレたちの間にある問題さえ見えなくなるほどにまっすぐ向き合ってくれている。


 本心から心配してくれていることが伝わってくる。


 愛してくれているからこそ止めようとしていることも理解できている。


 だからこそ、向き合おうと心に決める。彼女の想いに答える方法はそれ以外には思いつかない。それに、オレたちの間にずっと存在している蟠りを解消する好機にも思えた。


「止めるつもりはない。姉さんがどんな手を使って止めようとしても」


 オレは目を合わせて言う。今度は百葉ももはの視線が揺れる。こんな強気な態度で返してくるとは思ってこなかったのだろう。実際に前までのオレならこんな方法はとらなかったように思う。


「少しだけでいいんだ。待っててくれない?」


「待つって…」


「そのままの意味だよ。帰って来る。必ず」


 言葉を詰まらせる百葉ももはにオレは畳みかける。


「姉さんには感謝してる。オレをここまで育ててくれたことに。今まで言えなかったけど…」


「私はお姉さんだから…当然でしょ」


 姉ならば弟を守る。彼女はその在り方を当然だと思っているのだろう。


 しかし、それは普通の家庭にこそ当てはまる話だ。オレたち姉弟の状況は全く当てはまらない。守るために多くを犠牲にしすぎている。それこそ、オレが彼女のために人生を捧げたとしても足りないぐらいに。


「だからだよ。弟だから返すべきものがある」


「返さなくていいのよ。だって…」


「血が半分繋がってないから?」


 今まで触れてこなかった部分だ。


 百葉ももはがオレに少し他人行儀だった理由でオレが彼女を避けていた理由。


 これまではそんなことを気にする必要がないほどに走り続け、オレを育ててきた彼女だったが、学業を修めてオレが中学に上がるころになるとこのところを気にしだしたようだ。


「それは…」


「それこみで姉さんだと思ってる。たった1人の家族、たった1人の愛する人だって」


 自分でもよくこんな言葉を話していると思う。自分が口にしている言葉だと思えないほどに現実味と重さがない。


「だから、やらせて欲しい。ずっと貰ったままなのは嫌なんだ」


「ダメよ…。そんなの…」


 やはり簡単には折れてくれないようだ。こちらも引くわけにはいかないためオレは更に言葉を重ねる。


「必ず帰って来る。約束する」


 通用するのか不安になる。重さがない。琵琶坂びわさかに宣言しておきながら、橙木とおのぎが殺されそうになりながら何もできなかったオレが言ったところで通用するのか不安になる。


 百葉ももはは何も言わずに黙って俯く。静寂なままに終わるはずだった朝食は曇天に覆われる空の如く重苦しい。


「分かったわ…。そんなに言うなら、もう言わない。でも、怪我して帰って来るようなことが合ったら絶対に続けさせない」


 オレの宣言に真っ直ぐに答えてくれた。


「ありがとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る