第32話 血戦8(九竜サイド)
吸血鬼に案内された場所は建造途中のビルの最上階だった。周囲に他者の気配はまるでなく、真下からは歓談する人々の声や怒号も聞こえない。完全に隔絶された空間だ。月明かりだけがこの場所で唯一の存在感を持っている。
「いい場所だろ?静かで、誰も居なくて」
「確かにいい場所ね。遠慮せずに殺せそうで安心したわ」
正体がバレているからと諦めたのか
「のっけから殺意マシマシなんて物騒な女だな」
「敵に優しさを見せる人間はいないわ」
「そりゃあそうだ。お前とは意外と気が合いそうだ」
「否定させてもらうわ。とても不愉快」
「売られた喧嘩はキッチリ買うのが筋だよな?」
「買ってくれないと困るわ。殺戮はしない主義なの」
「そこだけは気が合わなそうだ。勝者の特権は骨の髄までってのがポリシーだ」
「余計な敵を増やすことはクレバーとは言えない行動ね」
「敗者に権利なんざあるわけないだろ。勝者が全部を決めるんだからな」
「アンタみたいな奴はとことん嫌いだわ」
「楽しみはないとな。長いこと生きてると退屈だ」
言ってのける吸血鬼はポケットに手を突っ込んで話に応じている。通り抜ける風が
「早死にしそうな生きた方ね」
「残念ながらお前の予想は大外れだな。俺は今もまだ生きている。そして、これからも生き続ける」
「これまで、今日が今まで通りの日常だったからってこれからも続くとは限らない。アンタには未来どころか次の朝だって来ないわ」
最初に動いたのは
彼女は攻撃の手を避け銃弾を吸血鬼の頭に放つも髪を少し散らす程度に終わった。
攻撃手は吸血鬼に移行し、
彼女は跳ねて避けると頭上から攻撃を仕掛ける。吸血鬼はターンをして銃弾を避ける。
吸血鬼の攻撃は過激だったが、
「俺を殺せないな」
「私に勝者の権利を振りかざすんじゃなかったのかしら?」
「つまらないだろ?すぐに終わらせてしまうなんてな」
「勝負は生き物よ。さっさと食べるべきね」
「熟れるまで持つもんだぜ?直前に食べる方が美味だ」
舌なめずりをしながら吸血鬼は一歩を踏み出す。初めはゆっくりとしていた足取りが徐々に早くなり始める。
「まあ、偶には熟れる前に食べるのも悪くはないな」
直後に橙木の頭上を吸血鬼の右足が通過した。彼女は距離を取ろうとしたところで左足を掴まれ、そのまま反対側に体を叩きつけられる。受け身は間に合っていない。
オレがリッパーを構えて咄嗟に飛び出そうとしたとこで吸血鬼はすぐに視線を向けてきた。余裕のある態度を取っていながらも舐めてはいないことが分かる。
「いつでもいいぜ。人数が多いのは大歓迎だ」
吸血鬼はわざとらしくオレの方を見ながら口元を歪ませる。
「…下ってなさい。こいつはアンタの手に負える相手じゃない」
苦痛に少し顔を歪めながら
「…1人より2人の方がまだマシです」
「覚悟が固まっていないド素人なんて信用が置けないわ」
言われてオレは吸血鬼の方を見る。
浮かべている表情は何処までも優位に立っていることに対する自らの力を誇示するような余裕がある。言うまでもなくオレたちよりも実力は圧倒的に上だ。
「今は見てなさい」
「かっこいいね。先輩」
堂々と振る舞う
「…かっこいいのよ。先輩って」
オレよりも絶望的な状況に立たされているにもかかわらず彼女は諦める姿勢を見せない。屈しない彼女を吸血鬼は嘲る。
「有り余る時間を手渡されて少しでも遊興に耽ったら咎められるものなのか人間は?」
「自分がいつ死ぬのか。それを考えられる人間は時間を無駄にしないのよ」
「退屈だな。使命やら義務やらと口煩い輩は」
「そこがアンタたちと私たちとの明確な違い。残念ね。現実は苦いでしょ?」
「見苦しいな人間。人間と吸血鬼の違いだ?そんなものが何処にある?面を剝げばどちらも内に抱える欲望の奴隷だ」
「抑える努力すらしないアンタたちと同列にされたくないという話よ」
「おいおいおい。お前は自分がこの世の全てを知っていると思っているのか?」
「出来るなら知りたいところよ。この世界がどうしてここまで不条理なのか」
「世界が常に不条理なのは弱いからだ。お前も含めてな」
「強者だけが生きる世界になったらそれこそ不条理ね。力だけの力なんてただの暴力よ」
「それが唯一の事実だ」
吸血鬼は橙木の体を思いっきり宙に投げる。場所は10階を超えるビルだ。落ちれば命はない。その寸前で橙木はリッパーを床に突き立てて減速し、踏みとどまる。刃を突き立てた箇所が抉れて破片を散らす。その甲斐あって彼女は淵の寸前で止まり、額の血を拭う。
「現実は立ち止まった瞬間に敗北ってことだけよ」
態勢を整えた
デストロイが火を噴くと吸血鬼は床を軽く蹴って銃弾を回避している。今度の吸血鬼はポケットに手を突っ込まずに対応している。
この状況でも変わらずに最初と同じ距離を保ちながら銃撃を続ける。だが、最初と同じなのは
必死に距離を取ろうと足掻くも銃撃は効果がない上に限られた空間は確実に
「立ち止まらなければ、何だったかな?」
吸血鬼の嫌味に
「退屈しのぎを与えてくれたことに感謝するべきか?」
吸血鬼は再び彼女を捕らえた。反撃を試みるも吸血鬼に組み伏されて床に体を固定される。
「さて、敗者は勝者に言うべきことがあるだろう?」
「…くたばれ、とでも言うべきかしら?」
「刺々しいなぁ。ここまで焦らされると抑えが効かなくなりそうだ」
吸血鬼の顔がどんどん狂気じみた形相に変わっていく。見ているだけで怖気を覚えてしまうほどで恐怖に体が食い尽くされそうになる。
臆病風に呑まれてしまう前にオレは飛び出した。
咄嗟の行動で策など考えていない。だが、何かできたはずなのに、何もせずにみすみす見殺しにすることが嫌だった。
吸血鬼は
あと少し、あと少し。距離は大して離れていないにもかかわらずその瞬間がもっと先の場所にあるように見える。
あと5秒もかからない距離で吸血鬼と目が合った。
また、足元に恐怖が忍び寄り、底知れぬ泥沼へと引きずり込もうとする。
だから、ここまで来て止まるわけにはいかないとリッパーを強く握った。
吸血鬼が右手を翳し、さっき床を抉った衝撃波の構えに入る。
正面から受ければ、原形を留めることはない。誰かも分からない遺体となって
分かってはいた。だが、オレの足はほんの少しだけ速度を緩めた。
『いい陽動だった』
その直後に葵が現れた。
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