【短編】黒い青春の白い鳥

渡月鏡花

彼女は、黒くて、白くて、それでいて美しい

「ふーん、それで?」

「いや、それだけ、だけど……」

「そんなのただの『うわさ』でしょ?」

「まあ……そうだな」

「だったら、この青雲高校じゃ、ちっとも珍しくないじゃん」


 そう言って隣の席から、星奈海夢ほしな まりんは少しつまらなさそうに金色の長い髪を耳にかけた。


 窓ガラスから差し込む夕日が海夢の髪にあたってオレたちしかいない1年A組の教室を照らす。オレンジの光は乱反射してキラキラと光の波となり、オレの視界にも入り込む。


 はあ……海夢の心を掴むことはできなかったか。


「わたし、これからバイトだから、行くね?」

「そっか」

「じゃ、太陽はその武蔵野台地に住む?『白い鳥』だっけ?そんな『うわさ』じゃなくて、土曜日のデートのこと考えておいてよね」

「ああ……もちろん」


 オレは心にもない言葉で返事をしていた。

 一瞬、海夢の赤色の瞳がスッと細められたような気がしたが、すぐにバックを肩にかけてイスから立ち上がった。フワッと丈の短いスカートの裾が舞って、目のやり場に困った。


 そんな視線に気がついたかのように意味深に「ふふ」と微笑んだ。

 海夢の桜色の唇が近づいてきて、オレの唇に触れた。


「——っん」

「急に……どうした?」

「ううん、なんでもない。じゃ、また明日ね、太陽?」


 海夢は答えになっていない返事をして、急足で教室から立ち去ってしまった。


 校庭では、サッカー部の練習が続いている。

 掛け声なのか怒号なのかはたまた叱咤激励の類なのか、判然としないくぐもった声が微かに聞こえてくる。


 そんなどうでもいい雑音や誰もいなくなった教室の光景を眺めている時だ。


 白い鳥——おそらくカラスが青雲高校のシンボルである大きなケヤキへと落ちていくのが視界の隅に映った気がした。


 気がついた時にはすでにバックパックをつかんで、走り出していた。


  △▽●▽△


 たぶん、ここら辺に落ちたように見えたんだが……。


 ガサガサとケヤキを囲うように大きな植物が動いた。


 10月に入りグッと気温が下がった。

 そのおかげで風が頬へとあたるたびに肌寒さを感じさせる。

 

 先ほどよりも強い風が吹き抜けた。


「——うっ」


 ザーザーと、紅葉で黄色や赤色に染まった葉が揺れる音が聞こえた。

 

 閉じてしまった視界を開けると、色白い女の子——月ノ下天音つきのした あまねが目の前に立っていた。


 黄金色の大きな瞳がじっと、オレのことを見ていた。

 が、オレの視線と交わってすぐにケヤキの下へと視線を落とした。


「あ、あの!大空太陽おおぞら たいようくんっ!」

「はい?」

「あの子、怪我しているみたいなのっ!」

「そうみたいだな」

「だから、一緒にお世話しましょっ」

「もちろん」


 何かに突き動かされるようにして——

 オレは間髪入れずにそう答えてしまった。

 

  △▽●▽△


 かつて私立青雲高校の辺は、武蔵野台地と呼ばれていた。

 歴史によると、雑木林や丘陵があり、自然が豊かな大地——いや、台地だったらしい。


 が、すでにそれは遠い過去の話だ。


 現在は、西暦2777年、10月10日、月曜日、19時。


 地上約150メートルから見下ろすと、いくつもの大きなビルから漏れる色とりどりのネオンの光が視界を覆う。


 グリーンコンクリートと樹脂と金属で作り上げられた都市——模造品である人工物と自然が入り混じった都市、東京。

 

 オレの隣に座る月ノ下は先ほどから何度もソワソワと銀色の長い髪をくるくると弄んでいた。


「さっき、月ノ下が立て替えてくれたけど、明日、返すから」

「えっ?」

「動物病院の診察代」

「ぜ、全然、気にしなくてもいいよっ!私、生物部だし……それに私の家、宇宙ビジネスで成功した家系だから、お金だけは親から渡されているし……」

「そ、そうか」


 いや、今のニュアンスだとまるで『お金』以外はもらっていないかのように聞こえるんだが……。

 

 それにしても『深窓の令嬢』だなんて言われている月ノ下天音がネガティブな性格だとは知らなかった。


 誰とも一定の距離感を保ち、どこか達観というか、何かを諦めるかのように微笑む姿しか知らなかったから、人間味があり意外というか、なんというか……。


 そんなことを考えていると、チラチラとこちらを伺うような月ノ下の視線を感じた。


「……バードストライクって、お医者さまは言っていたけど、ほんとに命だけは助かってよかったよね」

「まあ……カラスだっていい迷惑だろうな。なんせ数百年前までは、気ままに飛べたはずだろうに、人類が勝手に我が物顔で占有し始めたんだから。それで絶滅危惧種になったんだから、被害者だろ」

「ふふふ、太陽くんって意外に毒舌なんだね」

 

 なぜか月ノ下はおかしそうに口元を隠して小さく笑った。


 いまいちこのお嬢さまの笑いのツボはわからない。

 まあ、それも当然か。


 高々数時間ほどしか一緒にいないのだから何も知らないに等しい。


 月ノ下は付け加えるように言った。


「それにここ最近、校内でもうわさ、でしょ?」

「月ノ下も知っていたんだな。白い鳥を見たら、幸運が訪れる——」

「白い鳥を殺したら罰が当たる、だよね?」

「さすがに目の前で死なれたら、たまったもんじゃないよな」

「あはは、でも——幸運は訪れたみたいだから、いいんだ」

「それは……」

「ううん、なんでもないよ」


 少し困ったように、それでいてどこか楽しげに月ノ下が微笑んだ。

 オレは言葉を呑み込んだ。


  △▽●▽△


 『高度な科学は、魔法と見分けがつかない』

 かつてどこかの偉い作家が、そんなことを言ったらしい。


 正直、どんな意図でそのような発言をしたのかは知らない。


 オレの通う私立青雲高校では偏差値が高い割にオカルトやうわさがよく流れる。


 ある意味、高度な科学を学ぶ生徒たちはオカルトやうわさの類を科学で解明したい、という崇高な固い意志を持ち合わせていることを表しているような気がした。


 だからオレもまた非科学的なうわさとやらに興味があった。


 一方で、彼女——海夢はそんなくだらないことなんて全く歯牙にも掛けないで高校生活を満喫している。


 まあ、そもそもインキャなオレとヨウキャな海夢が付き合っていること自体が奇跡に近いオカルトの類だろう。


 だからみんなには秘密で付き合うことにした。

 誰もオレたちの秘密は知らない。


 乾いた瞳で、どこかツマラなさそうな表情で金色の髪先をくるくると弄ぶ海夢を見つめた。


「それで、わたしとのデート、しばらくはできないってわけなんだ」

「ごめん。必ず埋め合わせはするから」

「はあ……もういいよ、太陽がそこまでこだわるんだから、よっぽど事情があるんでしょ?」

「ああ、ちょっと放課後は親戚のところに顔を出さないといけないから」

 

 どうせうわさ話に首を突っ込んでいることを説明したって、海夢を説得することなんてできやしないことはわかっていた。


 だから仕方なかったんだ。

 『親と出掛けなればならなくなった』などと空虚な嘘が口から出てしまったことは。


 海夢は腕まくりして細くて色白い腕を組んで仁王立ちした。

 じっと、赤く大きな瞳がオレをとらえている。


 数秒ほどして「はあ」と深いため息と共にオレから視線を逸らした。


 どうやら見逃してくれるらしい。


「わたし、読モの撮影あるから次の休みは再来週になるんだよね。だから!再来週の土日こそは必ず空けておいてよね?」

「もちろん」

「もう……わたしばかりが好きなみたいじゃん」


 海夢が何かをつぶやいた気がするが、オレは聞き返さなかった。


  △▽●▽△


 オレと天音は、放課後、生物室でひっそりと会うのが日課になった。


 動物病院から引き取った白いカラスの面倒を見るために、集まったのがきっかけだ。


 初めてこの生物室の扉を開けたとき、天音は少し驚くような顔をした。それから、『ふふ、どうぞ』と言って招き入れた。


 天音は誰もいない部室を見渡して言った。


『実は……幽霊部員ばかりで誰も来ないんだよね』

『まあ文化系の部活なんて、どこもそんなものじゃないのか』

『そう……かもしれないね』


 何かを思案するように、天音は銀色の髪をくるくるとした。

 

 律儀に誰も参加しない部活動にわざわざ参加している。


 だからこの時うわさ通り天音は責任感があり、生真面目な性格なんだとわかった。

 

 それから天音を少しずつ知った。


 ミルクティーが好きなことや、意外と笑いのツボが浅いこと。

 

 また、お嬢さまは、中学生の頃オレのサッカーの試合をこっそりとみていたらしい。今ではケガで辞めってしまったというのに物好きもいたものだと驚いた。

 

 そして何よりも——時々、濁った瞳でオレを見ることに気がついた。


「ねえ、太陽くん……」

「……?」

「海夢ちゃんのところ行かなくてもいいの?」

「……」

「それに私と二人きりなんて心配かけるんじゃないかな」


 確かに天音がこの状況——オレと一緒にいることを心配するのも当然だろう。


 でも白いカラスの面倒を見ようと言ったのは天音の方からだっただろ?

 ……そんな言葉を返したところで言い訳がましい。


 だから黙って白いカラスに餌を与えた。

 

 それにしても天音が、オレと海夢の関係に気がついていたなんて……。


  △▽●▽△


 それから数日が経った。

 11月の秋の夕暮れが、私立青雲高校の人工のケヤキを照らしていた。

 人工の自然であっても、オレンジ色の光が紅葉で赤くなった葉へと降り注ぐことで、周囲をオレンジ色に染め上げている。


 そんな中、白い塊が「クァー、クァー」と呑気そうな鳴き声をあげて、徐々に上空へと消えて行った。


「……なんか、あっけないね」

「まあ、そんなものだろ」

「ふふ、じゃ私たちも行こ?」

「ああ」

「あ、でもその前に——」

「……?」

 

 オレが返事をする前に、天音は口元を一瞬歪めた。

 

 それに呼応するように冷たい秋風が頬をかすめた。


 天音の銀色の長い髪がまとわりつくようにオレの前で舞った。


 そして——桜色の唇が触れた。


「——!?」

「ふふ、海夢ちゃんと別れてよ」


 そうつぶやいてから、もう一度、唇が触れた。


 ああ、なんて黒くて、白くて、美しいんだ。

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