第3話
ブラックは私の高校時代の担任である。担当は言語。よく分からないことをいろいろと言っていた事を思い出す。出世欲の強い彼は自らのクラス運営が上手く言っている事を上の先生から認められたいらしく、難関大学に合格することはもちろん、いつも私たち生徒に規律正しく学校生活をすることを求めた。当然、口では生徒の自主性とは言うが、いつも私に言っていたことは、「私の言う事をきけ」であった。私は祖父の教育もあったのか、本当の教師はイエスキリストだけと心の奥底で思っていて、あまり先生という職業の人たちに好感を持たないし、逆に先生というだけで反感を感じる。もちろん自立心ひと一倍強いという面もあるだろが、その私の確信を支えるのはイエスキリストである。
ブラックは勉強をあまりしない私をよく呼び出して叱りつけた。人より記憶力が悪いのだから何度も書いて覚えろと言った。私が勉強しなかった原因は過敏性腸症候群ということもあった。緊張するとお腹が鳴る病気である。お腹が鳴るとは、要は屁が出る病気である。当然授業中に屁をだすわけもいかず、我慢するとお腹が鳴り、それが何度もおこり腸にどんどんとガスが溜まるのである。他人にこの病気のことを言うと、屁を出せばいいというが、屁を出してそれが他人に知られたときの恐怖を考えると絶対に出せなかった。だから屁をだすことが何も怖くない人はこの病気にはかからないだろう。いつも不安に襲われている私のような性格な人間がこの病気にかかるのだろう。授業中に屁をだすことができるような神経を持たないから、困っていたのだ。しかし当時の私はこの病気が一般的なものであることを知らず、一人困っていた。いつも授業中になると緊張してきてお腹が鳴るから、外に音が漏れないように腕でお腹を押さえていて、そうやって緊張するだけでも授業に集中できなくなった。おまけに音が周りの人に聞こえないように腕で押さえつけていなくていけないから余計に疲れて授業は全く身につかなかった。学校が終わり家に帰ること自体が、緊張からの解放になり家で勉強するどころではなかった。学校に行くことが拷問そのものであった。
幼い頃から私は急に緊張してお腹のあたりから気持ち悪くなる経験が頻繁にあった。一度母ミーンと一緒に医者に相談したが、よく分からないと言われた。その事がこの病気と関わっていると思った私は、高校時代に医者に相談することはしなかった。第一、その頃の私は緊張して屁が止まらなくなるなど恥ずかしくて誰にも言えなかった。結局学校も休みがちになった。ブラックが私の病気について知っていたか、知らないかは分からないが、彼はそんな私をやる気がない生徒としかみなかった。その事でブラックと私は距離を置くようになった。こちらも説明すればよかったのかもしれないが、お腹がなりますと相談する勇気は無かったし、たとえ相談しても、鳴らしておけとしか言われないと思った。学校がある日の前の夜はいつも下剤を飲んで寝た。朝、学校に行く前に腸をすっきりしておくと、腹痛をその日の午前中までは多少抑える事ができた。しかし休み時間に小便に行くともう次の授業から腹痛に悩まされるのではあった。そんな事だから、朝トイレに行くことで時間をとられ、学校に遅刻する事も多かった。
そんなある日の朝、いつものようにトイレで遅くなり、電車に乗り遅れて遅刻が決定的になったとき、私は母ミーンに学校を休むから連絡するように頼んだ。しかしその当時病気がちであった母は車で学校まで送ると言ってきた。私は、お腹をすっきりしてしまっていたから、渋々学校に行くことにした。母は度々学校を休む私を悩んでいた。母ミーンは調子の悪い体で運転して、何とか息子が遅刻しないように懸命にスピ-ドをあげて学校に向かった。車の中で私は申し訳ない気持ちで一杯になり、ずっと下を向いていた。しかし学校には数十分遅刻した。ブラックはそんな私を見てあきれた顔をしていた。私もそんなブラックにあきれていた。私にとっては人一倍早起きして学校に行くために朝から努力しているのであり、母も懸命にサポートしてくれた。それで遅刻してしまっては、もう私としてはどうする事もできなかった。だのに何故ブラックに遅刻した事を謝らなくてはいけないかが私には理解できなかった。だからブラックには遅刻しましたとだけ伝えたが、彼は私に謝ることを強要してきた。私には謝ることができなかった。できる限りのことをしたのに謝ることなど悔しくてできなかった。するとブラックは平手で私を殴りつけてきた。高校生であった私には反撃するなど到底許されることではなく、もう一度振り上げられたブラックの手をとって、払いのけることが精一杯だった。ブラックは反撃してこない事を見越した行為であったろうし、もし反撃してきたら、退学させようと覚悟をしていたのであろう。
この行為は23年たった今でも思い出してむっとする。こんなに腹立たしい屈辱をうけて後々まで引きずるなら、あの時に反撃しておけばよかったと何度も後悔した。そして結果的に私は学校に行かなくなり、別の学校に転校する事になった。
この過敏性腸症候群であるが、大学に進学してから健康診断を受けて高血圧でひっかかって、腎臓の検査をしたときに、腸にガスが溜まっていることで、医師が気づき薬をくれた。その薬を飲むと症状は大幅に減少した。この病気で苦しんでいて、なかなか医師に相談できないでいる人たちは多いとのことだった。もっと早くこの薬を知っていたなら、暗い高校生活をすごさなくてよかったのにと思うほどこの薬の効力はすごかった。そしてそれほどまでに過敏性腸症候群は私の生活をコントロールしていた。しかしこの病気に高校生という特別な時期にかかった事で、いろいろと物事を考えるきっかけにもなった。どうして自分だけこんな病気に苦しむのか、生きるという事はどんな意味があるのかなど高校生が考えそうな問題をこの病気のおかげで、普通の人たちより切実に考えていた。そしてそれなりの答えを見つけていた。だからこの病気は必ずしも悪い結果を招いたわけではないことも確かではある。
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