第41話「未知とのお見合い その10」

「う、うぅ、ここは……」


 体中が痛い。丁寧に全身くまなくヘビー級のボクサーのパンチを受けたくらい痛い。もしかしたら、それ以上の痛みかもしれない。

 とにかく、人生最大級の痛みだ。

 

「先生っ!! バイタル安定しました!!」


 女性の驚いたような喜んだような声が聞こえる。


「奇跡だ。あの高さから落ちて、あの状態から持ち直すなんて」


 今度は男性の声だ。

 奇跡だ。なんだって、なんなんだ?


 ああ、痛い。全てが痛いけど、なんだろう、急に眠気が……、知らなかった、痛みより睡魔の方が勝つんだな……。

 ぼんやりとした意識の中、


「手術は無事成功しました」


 親父とお袋の声が聞こえる。泣いているのか?

 それから、ネルの声も……。


                ※


「城条さん。城条万二さん。分かりますか?」


 俺のまぶたは無理矢理開かれ、そこに無遠慮にライトの光が当てられる。


「こ、ここは、ど、こ?」


「城条さん。ここは病院です。あなたは訓練中の事故でここに運ばれたのです。覚えていますか?」


 訓練中の事故……。


「あ、ああっ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 バケモノがっ!! バケモノがやってくるっ!!


「落ち着いてください。もう大丈夫ですからっ!!」


 男が俺を押さえつける。

 その男の背後には、車にでも轢かれたのか、血だらけでところどころ骨が露出した男が怨みがましく佇んでいる。


「――――っ!!!! 近寄る、なっ! 離れ、ろっ!」


 怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ怖い恐いコワいこわいコワイ!!


 無理無理ムリムリむりむり無理無理ムリムリむりむり無理無理ムリムリむりむり。


 こんなところに居られるかっ!!


 渾身の力を振り絞り、その血だらけの男に拳を繰り出した。

 ぐしゃりと血肉を砕く音と感触が伝わり、その気持ち悪さに嘔吐した。


「まずい! 気道を確保しろ。窒息する!!」


 俺を押さえていた男が叫ぶ。

 数人がバタバタと走りまわる音だけが聞こえてくる――。

 視界がぼんやりと白け、意識を失った。


               ※


 目を閉じると、あのバケモノが襲ってくる。

 墨汁で塗りたくったような長い黒髪に覆われた何か。

 バケモノとしか形容のしようのない何かが襲ってくる。

 寝てはダメだ。

 目を閉じてはダメだ。


                ※


 起きていると、首のない男が廊下を歩いている。

 外の木には首つり死体。

 トイレに行けば、幼い子供が遊ぼうと言いながら、縄跳びで首を絞めて来る。

 屋上からは毎日、飛び降り自殺があり、下の花壇には死体が埋まっている。

 病院の看護婦は3人に一人は口が裂けているような姿。

 医者の4人に一人はゾンビのようだ。

 見舞客には半透明の幽霊がついてる。

 迷い込んだ猫は人語を解し、犬は人の顔を持っている。


 俺の居場所は部屋の隅にしかない。そこ以外、全てに何かいる。ちょっとした隙間にさえも何かいる!


 どうやら、俺は狂ったようだ。


                ※


 そうだ。何も見なければいい。

 タオルを顔に巻き、目は開け続ける。

 視界には真っ白なタオル。辛うじて見えるのはタオルの繊維くらい。

 これなら大丈夫――ではなかった。

 どれだけ目隠ししても左目だけはバケモノ、幽霊、妖怪、そういった怪異をタオル越しでも映し出す。


 もう、俺はダメかもしれない。

  

                ※


 コワイ。

 襲い来るもの全てが怖い。

 こわい

 見えるもの全てが怖い。

 コワい

 自分が一番こわい。


 もう、看護師とバケモノの区別もつかない。

 迫りくるやつらに抗うには、殴るしかない。

 バケモノでもちゃんとした人間でも、とにかく、来るもの全てを。


 いつか、俺は、誰か、殺すだろう。


                ※


「万二。大丈夫か!?」


「ネル? なのか?」


 見知った人物。

 神原ネル。

 親の顔より見ているかもしれない親友。

 彼のことだけはしっかりと認識できたことに安堵する。


「ようやく、面会できたんだけど、お前、全然食べてないんだって?」


 いつも死体が食事を持ってくる。

 蛆と血と何か分からない液体がぼたぼたの落ちる、その料理を食べれるはずもなかった。


「これ、ナイショで持ってきたんだけど、飲めよ」


 ネルから渡されたのは、缶のコーンスープ。

 別に好きだった訳じゃないのだが、コーンをなんとかして最後の一粒まで飲みたくて、定期的に買っていた。


 久しぶりの何ともない食事。


 一気に飲み干し、喉の渇きも収まると、俺はネルにならと今の自分の状態をぽつりぽつりと話始めた。


「寝ると悪夢を見るんだ。それはいつも一緒で、こんなバケモノなんだ」


 俺は適当な紙に夢で見たバケモノを描く。

 髪が長くて、眼窩は窪んでいて、骸骨のような骨格に。


「……髪が長くて、目がくりっとしてるのか? 万二、相変わらず絵心ってヤツがないな」


 そうだな。こんな可愛い感じじゃない。

 どうしようもないな。


「寝ているときだけじゃない。起きてると怪異を見る。目隠ししても、この左目だけ嫌でも怪異を映す…………」


 ああ、そうか、左目が無ければいいんだ。


 俺はおもむろに眼球を取り出そうと手を動かす。

 俺の手は大きいから、なかなか眼球に指が入っていかないな。

 取り出すより潰す方が正解だったか?


「おいっ!! 万二。なにしてんだっ!! やめろっ!!」


 俺の手を必死に止めようとするネルだが、ネルの腕力で俺を止められる訳もない。


「万二っ!! やめろって言ってるだろっ!! お前には、オレの花婿姿を見てもらう予定なんだから、片目じゃ困るだろっ!」


「ネル、結婚、するのか?」


「ああ、だから、万二も、今は耐えてくれ。オレがその左目をなんとかするから!」


「たすけて、くれるのか?」


「ああっ! もちろんだ」


 ネルの言葉を聞いた俺は安心からか、いつの間にか意識を失っていた。


                 ※


「神原さんが来てから、まるで人が変わったように大人しくなりましたね。ですが、左目は……、たぶん、精神的なものだと思うのですが」


「いえ、見えないくなって本人は良かったと思うんで。あとは時間をかけて原因を取り除けば。きっと」


 車いすに乗せられた俺の前で、親父、お袋、ネルが先生とそんな話をしている。

 精神を磨耗仕切った俺は殴ることはもとより、立つことすら出来なくなっていた。


 ネルは車いすを押しながら、


「万二。もうすぐ家に帰れるからな。あの日から、まるで生気が無くなったようになっちまって……。いつか、それも含めてなんとかしてやるから。左目の問題を解決するついでだ」


「あ、り、が、と」


「っ!! 万二……、礼なんて良いよ。覚えてるか? オレってさ、めちゃくちゃモテるけど、そのせいでトラブルも多かったじゃん。その度にお前が助けてくれて。たぶん、お前が居なかったら、川に落とされた時と、不良5人に囲まれた時と、食事にしびれ薬盛られた時と、あとは……、まぁ、その他、いっぱいでお前に助けられてなかったら、オレは死んでたか監禁されてたか、まぁ、自由な生活は送れてなかったと思うんだ。だから、今度はオレがお前を助ける番なんだなって」


 ――がたんっ!!


「あっ!?」


 車いすは路上の石に躓き、ひっくり返る。

 その際、車イス上の俺の体も投げ出され、強かに頭部を打ち付けた。


「き、救急車っ!!」


 慌てたネルの声。

 救急車より早く、駆けつける医師たち。

 そりゃ、ギリ病院の敷地内だからな。


 そのときの怪我は大したこともなかったが頭を強く打ったようで、俺は記憶の一部を失う記憶喪失となったが、その前よりも状態が良いということで、そのまますぐに退院となった。

 そして、そんな俺の記憶は、事故が起きたときと、退院してから家で起きたところに繋がり、精神的によろしくないところは全てカットされていたのだった。


 これが、脳の神秘だな。


 そして、こうして思い出した結果。

 ネルの理想の女性像も、そもそもネルが変な婚活してるのも、もしかして、俺のせいっ!?

 

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