第15話「寒村の蛇女房 その4」
――チュチュチュチュ。
鳥のさえずり。
珍しくグッスリと眠れた気がする。
俺はゆっくりと瞼を開くと、そこにはありふれた林の中の風景。
おかしなところなんて1つもなくて、一番異質なものは浴衣姿の俺だと思う。
軋む体を無理矢理動かして、携帯を探す。
「確か、この辺りに……」
ほどなくして携帯が見つかると、画面はバキバキに割れていたものの、機能としては不備はなかった。
「くそっ! 結構高かったんだぞっ!」
現在無職の俺には手痛い出費だ。
それから、あのネバネバも土に紛れてしまったようで、その痕跡を見つけることはできなかった。まぁ、仮に見つけたとしても樹液とかだったのだろうけど。それだけじゃ、動く樹木が居て襲われた証明にはならない!
俺ですら体の痛みが無ければ、本当は夢だったんじゃないかと思うほどだ。
「とにかく一度戻ろう。浴衣も泥だらけだし」
体は痛いが、久しぶりの長時間の睡眠で気分は良いという謎の状態で俺は一度部屋に戻ると、さっぱりとした顔をした川鉄さんが出迎えてくれる。
「朝帰りですか? 節度は保ってくださいね」
そう言いながら熱々のお茶をすする。
「川鉄さんは殴られたところはもう大丈夫なんですか?」
「ああ、もちろんですよ。なんせ当たってないですから」
「……へっ?」
「当たるギリギリで自分から倒れました。あの手の暴徒は驚かさせて冷静にさせるのが一番なんですよ。それに私が手を出したら角読社の看板を汚す恐れがありますし、そうそう編集者は手なんて出さないですよ。そのおかげでこうして宿も無料になりましたし、いいことずくめでしたでしょ? ただ、もしうちの作家に手を出すようなら、そのときは」
ニッコリとほほ笑むその笑顔。
川鉄さんは間違いなくハンサムだ。だが、その周囲のエフェクトはネルが赤や黄色のバラや星に対して、川鉄さんは黒い星だ。しかも十字の星が煌めいているタイプだな。
普段ならネルに同情の1つでもするところだけど、この腹黒さは今は頼もしい。
あんなよく訳の分からない怪物みたいなのがいる村は早々に立ち去るべきだ。
だけど、人型の樹木みたいな怪物が居たから逃げようと言ってもまず俺が頭がおかしいと思われて終わる。
それなら川鉄さんと協力して、ネルをバチェラーから失格させて、立ち去るのが現実的だろう。
触らぬ神に祟りなしって言うし。
さて、そんな俺の思惑を知ってか知らずか川鉄さんから早速提案があった。
「さて、神原先生ですが、今は鋭意創作中です。案外ここは集中するにはいいかもしれないですね。他の誘惑もバチェラーとかっていう婚活しかない訳ですし。城条さん、お連れしてきても申し訳ないのですが、神原先生はご自身で大丈夫なようなので、このままここで書いてもらおうと思います。それにつきまして、如何なさいますか? 旅費は出しますので、このままお帰りなられるか、それとも私と共にバチェラーが終わるまでここに留まるか」
「…………えっ?」
まさかの滞在の案を出されるとは思わなかった。
いや、だんだんわかって来たけど、川鉄さんの行動原理はマンガ家が漫画を描いてくれるかどうかなんだ。それ以外はどうでもいいし、それを阻むものは全て排除する。そういう一貫したスタンスなんだ。
ここから川鉄さんの協力を得るにはどうしたら……。
俺の大したことない頭じゃ、良い案は出ないな。
それならネルの説得に行くか。
「それじゃ、俺はちょっと着替えたらネルの様子を見に行きますね」
「それでしたら、私もご一緒しましょう。そろそろネームくらいは出来ているでしょうから」
ネーム? 名前か?
俺のきょとんとした顔に、専門用語を使っていたのだと分かったのか、
「ネームっていうのは映画とかでいう絵コンテですよ。セリフにカメラワークがついたものの漫画版だと思ってください」
川鉄さんは、そう言いながらお茶をぐいっと飲み干した。
※
俺が着替えている間、川鉄さんは少し部屋から出ていた。
そして、戻ってくるとその手には、サンドイッチが3個乗ったお皿。
「食堂で拝借してきました。タマゴサンドしかなかったですが、まぁいいでしょう。神原先生はきっと昨日から何も食べていないでしょうし」
そう言えば、俺も夕食のあとから、今まで何も食べていないな。あとで食堂に行ってみよう。
ネルの部屋を訪れ、ノックするが一向に部屋から出てくる気配はない。
「寝ているかもしれないですね。ちょっとフロントで理由を説明して鍵を借りて来ます」
俺一人、扉の前に残されたので、ノックを続けるが結局、川鉄さんが戻るまで開くことはなかった。
「事情を説明しましたら、快く貸してくれました」
と川鉄は言っているが、その後ろにいる番頭さんの顔が青いんだが、何したんだこの人っ!
番頭さんはマスターキーでネルの部屋を開ける。
果たして、部屋は――
「――っ!」
思わず絶句した。
旅館の部屋にも関わらず、そこには蛇神様モチーフの銅像や蛇神様の姿が彫られた壺、それに昨日のネックレスまで、色々なグッズが散乱していた。
中にはネルが書いたであろう蛇神様の絵まである。
しかも、リアルタイプから萌え絵、果ては劇画タッチまで。ネルがマンガ家だって知らない人が見たら紙屑なんだが。
川鉄さんですら、顔をしかめている。
だが、反対に番頭さんは、青い顔から急にニコニコ顔になり、「素晴らしいお部屋ですねぇ」と呟く始末だ。
いや、めっちゃ汚くされてますけどっ! いいのか? まぁ、ゴミじゃないし、いいのか。
そんな中、まったくなんの遠慮もせず、絵やら壺やらを押し退けて川鉄さんは進んで行き、テーブルで突っ伏して寝ているネルの元へ。
「……原稿まで完成している? 私にネームも見せず?」
あとで聞いたのだが、本来はネームを書いた段階で一度編集と相談し、修正点がないかを確認してから下書き、ペン入れと進んで原稿が完成するらしい。
先に原稿まで書いてもいいらしいが、原稿まで書いていても容赦なくボツならボツにされ書き直すハメになるので、ほとんどのマンガ家はネーム段階で見せるのだという。
ネルもそのほとんどのマンガ家で、いつもネームで見せていたらしい。
原稿を手に取る川鉄さんは、本当に読んでいるのかというスピードで原稿をめくり中身を確認する。
「なんですか、この作品は」
ぐしゃり!
容赦なく潰されたそれは、間違いなくゴミとして、ゴミ箱に叩きつけられた。
「ちょっ! ネルが寝ずに頑張って書いたんでしょ。それを捨てるなんてっ!」
俺は慌てて捨てられた原稿を拾って、頑張って伸ばすが、そのとき、目に入ってきた内容は。
「はっ? ネル、お前、何を書いているんだ?」
まだ1巻をようやく読み終えたばかりの俺だが、それでも分かる異質さ。
それは登場人物の顔が全て蛇になっており、ひたすら蛇神様を讃えているだけの漫画だった。
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