第14話「寒村の蛇女房 その3」

 ああ、またあの夢だ。


 自由落下なのか飛んでいるのか分からないが気分は最高。地面へ向かって高度を下げながらも右へ左へと縦横無尽に鳥のように飛び回る、あの夢だ。


 このあと、またあの怪物に会うのだ。

 身構えたくても夢の中ではそんな行動はできず、ひたすらに無防備のまま、怪物の登場を待つ。


 しかし、今日は変化があった。


「助けてくれぇっ!! ぎゃああああああああああああっ!!!!」


 断末魔の悲鳴が聞こえ、俺は咄嗟に身を起こした。


 ――ばしゃっん!!


 湯が跳ねると同時に、いつの間にか温泉の中で寝てしまっていたことを悟る。


 温泉が気持ちよくていつの間にか寝てしまっていたのか。

 危うく寝ている間に溺れるところだった。


 いや、そんなことより、今、悲鳴が聞こえたよな。


 温泉に持ち込んだフェイスタオルで前を隠しながら、声の聞こえた方を凝視する。


「んん、何も見えないな……」


 温泉から見える景色はほとんどが林で明るいときなら、その葉の色とりどりの色彩で楽しめたことだろうが、今や周囲は完全なる闇に染まり、木々の輪郭がうすぼんやりと見える程度。本来ならばこの時間は星や月を楽しむのだろうと街灯がほとんどない村を見て思う。


 確かに悲鳴が聞こえたと思ったんだけど、気のせいか? もしくは夢だったのか?

 いや、あの夢の途中でそんなイレギュラーが起きるはずがない。それならあんなに苦しまされることもなかったはずだ。


「絶対に叫び声はあった!」


 もしこの林で事故にあった人がいるのならば助けなくてはっ!

 自衛官を職業としては辞めたとはいえ、心まで自衛官を辞めたつもりはない。

 災害とまでは言わなくても事故にあった人がいるなら助けるっ!!

 

 俺は旅館が用意してくれていた浴衣に着替えると外へと走り出した。

 チラリと見えた時計はすでに22時を過ぎていた気がした。


               ※


 浴衣に靴というアンバランスな格好だが、急いで出て来て着替えがない以上贅沢は言えない。

 そんな格好で、林の中を進んで行く。

 真っ暗な中、携帯のライトだけを頼りに進むのは、いつかのホテルを思い出す。

 若干げんなりしながらも、携帯のライトに頼る。明かりが無くては声のありかを探すも何もあったもんではないしな。

 自分一人で進軍するなら明かりなんていらないんだけど。


「大丈夫ですか!! 怪我はないですか!!」


 何度も呼びかけつつ、捜索していく。

 柔らかい土の上をしっかりと踏みしめ、一歩ずつ、確実に捜索範囲を伸ばしていく。

 そんなとき、ズルッ! と何かに足を滑らせ転んだ。

 とっさの受け身に持っていた携帯を手放すことになってしまった。


「っ!!」


 自衛官時代なら、こんなところで転ぶなんてありえなかっただろう。それだけ体がなまっている証拠だな。

 しかし、転んだのは体が鈍っていた訳ではなかった。


「な、なんだこれ?」


 なぞのネバネバした液体が足元に広がっており、転んだ拍子に体ごとその液体に触れてしまったようだ。

 暗くて、それがなんなのか判別つかない。


「気持ち悪いな……」


 ベタベタドロドロとした液体。それになんだか生臭さもある。

 こんな手で落とした携帯を拾うのにも抵抗があるな。汚したくないし。他に拭えるものもない為、俺は近くの木にこすりつけてその液体を取っていると、


「……たすけて」


 か細い声が耳へと届く。

 

「っ!! 今、確かに声がっ!」


 周囲を見回すが声の主は見当たらない。

 地面も注意深く見るが、どうやら地面に埋もれているということもないようだ。


「おいっ! どこにいるっ!! 大丈夫かっ!!」


 それっきり声は聞こえてこない。

 

「確かに聞こえたのにっ!」


 助けを求める声に応えられない憤りに拳を固めると、その拳の上にポタリとネバネバした液体が滴り落ちる。


「はっ? これはさっき地面にあった……」


 俺は上を見上げると、そこには人の輪郭をもった巨大な樹木のようなものがうねっている。


「うおっ! なんだこれっ!!」


 その正体を確かめようと携帯を取ろうとしたのだが、人型の樹木のようなものが、携帯目掛け落ちて来た。

 その樹木の先端であろう部位が俺を弾き飛ばす。


「ぐふっ!!」


 その場から数メートルは飛ばされたであろうか。

 周囲の景色がぐるぐると一瞬で回り、前後の確認すら覚束ない。


 どさっと柔らかな土の上に落ちたことだけはなんとなく分かり、すぐに体を起こそうとしたのだが、強烈な痛みが襲い、全身に電流が流れたような痺れが走る。

 

「う、ううっ。おえっ!! おおおっ」


 胃の中の物がほとんど吐き出される。

 そんな中、呻き声だけなんとか上げる。

 大丈夫だ。まだ生きてる。

 自分の声で自分の生存を確かめ、そのまま痛みに耐える為、意識を手放す用意に入る。

 そんな俺が最後に見たのは、人型の樹木のようなものがズリズリと地面を這って行く姿だった。

 


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る