第3話「廃墟の女幽霊 その2」
俺は車を出そうとハンドルを握る、だがネルは、まるでこうなるのを分かっていたかのようにいつの間にか車の外に降りていた。
これでは車で引き返せない。
こんな場所に置いていこうものなら普通の人間なら運が悪ければ遭難して死んでしまう。
くっ、こいつ、俺が見捨てないのを見越して車からさっさと降りたな。
俺が苦々しく思っているのを知ってか知らずか、ネルはヘラヘラとしながら、
「大丈夫、大丈夫。お前がホラーダメなのは知ってたし、もともと行くのはオレだけだから。万二は車で待っていてくれ」
「それなら、なぜ連れてきたし!」
「いや、廃墟だから、床とか抜けたり壁が崩れてきたりしたら怖いじゃん。幽霊なら気合でなんとかなりそうだけど、物理はちょっと」
いや、どう考えても幽霊の方が怖いと思うんだが……。
「と、言う訳で、何かあったら携帯に掛けるから」
そう言いつつ、ネルは颯爽と廃ホテルへと向かって行く。
なんの躊躇いもなく、携帯のライト機能を使い、足元を照らしながら進んで行くネル。
そんなネルが入ろうとしている廃ホテルは、見るからに怪しく、至る所にペンキ剥げが見え、HOTELの看板もいくつか欠落しておりHELの三文字しか見えない。心なしか地獄(HELL)に見えるのが恐ろしい。
窓ガラスもところどころ割れていて、中は砂と埃にまみれていることが外からでも容易に想像できた。
人工的に作られたお化け屋敷だと言われても納得するくらいの恐怖クオリティだ。
そんな中に入るだなんて……。
俺はネルを追いかけるか悩んだが、そのまま車に居ることを選択したのだった。
※
ネルが廃ホテルへ向かってから十数分。
車の中一人で過ごすこととなった俺は、とにかく周囲に気を張っていた。
こういう薄気味悪いところに一人残すなよ!
めっちゃ怖いじゃないか!!
廃ホテルよりマシだと思って車中に残ったが、裏目だったかもしれない。
――ガサガサ!!
「っ!!」
不意な物音に瞬時にそちらに視線を向ける。
左目が見えない関係で動きが大きくなる。
辺鄙な場所故、周囲には木々が茂り、葉が視界を遮る。
葉は微塵も動いていないから、風で揺れた音ではない。気の所為か樹木が人の顔に見える。そんな樹木たちが意思を持って襲い掛からんとしているようにすら見えるし、怨念がこもった声を漏らし葉が揺れているようにも思える。
――ガサガサッ!!
再びの物音。そして葉が大きく揺れる。
残った右目で捉えたのは闇の中に光る瞳。
「……なんだ。鹿か」
いや、鹿も充分脅威ではある。走っている車に突っ込んで来る事案もあるが、基本的には臆病な性格な為、こちらが大声を上げたり、慌てて動いたりしなければ、そのままどこかに行ってしまうのだ。
車の中で鹿を刺激しないよう大人しくしていると、すぐに鹿は立ち去っていった。
「ま、この車はネルのだし、ぶつかられても俺は痛くもかゆくもないんだが……」
無駄に独り言を呟きながら、わずかな時間でも生物と対面できたことに若干の安堵を覚え、気をゆるめてシートに体を預ける。
「ふぅ~」
少しだけ気の抜けた息を吐き出す。
軽自動車にしては柔らかなシートのクッションに身をうずめ、脳内には、おばけなんていないさって言う童謡が流れる。
サビまで思い出しつつメロディを奏でたところで、
「っつ!!」
不意に左目に痛みが走る。
何かをぶつけたとか、偏頭痛とかそんな感じではなく、キリで刺されたような直接的な痛みが走る。
「なんだ。これ……」
耐えられない痛みではないが、なんの前触れもない痛みに軽くうずくまる。
「――たすけて」
はっ? 誰か何か言ったか?
今すぐに周囲を伺いたいが、なぜか体が動かない。
そして、異様にイヤな予感がする。暑くもないのに背中から汗が止めどなく出てくる。それも運動後のさっぱりとした汗ではなく、べったりとした気持ちの悪い汗が。
口唇の渇きから生唾を飲み込む。そんな僅かな音すら大きく感じる。
そんな状況で少しでも多くの情報を得ようと、動けないながらも視線を動かす。
右。
特に異常なし。
左。
見えないながらも右目で見える範囲まで追おうと思ったのだが……。
「目が見える?」
まだ痛みはあるものの急に見えるようになった左目。
普段なら喜ばしいことだが、このタイミングでは、見たくないものを無理矢理見させられそうな不安しかない。
左にも異常はない。そう思いたかったのだが。見えるようになった左目がいらん仕事をしてくれた。
左目がバックミラーから後部座席の映像を捉えると、
「うわあああああああああああああああっ!!!!」
後部座席に座る人影が写る。
誰もいないはずだったし、誰も乗り込んでいないはずなのに。そこに確かに人がいる。その人物は――。
亜麻色の髪の長い女性。
土で汚れたリクルートスーツ。
一目で生きた人間ではないと分かる青白い肌。
早く! 早く逃げなくちゃ!!
車のドアに手をかける。
焦りからか、上手く掴めない。
そうしているうちに、女性の手が伸びて来る。
体長は160cmほど。標準的な日本人。その細長い腕がゆっくりと近づく。
運転席のシートの肩部分を掴んだその手は、爪は剥がれ、血が滲み赤黒くなっている。
全体的に泥がつき、青白い肌を土色に塗り固めた指が、シートを力強く掴み、怨嗟を振りまくように泥で汚していく。
女はゆっくりと立ち上がり、俺の方へ体を近づけて来る。
「あああああっ!! 開きやがれっ!!」
上半身を助手席の方まで振り、それから一気に、渾身の力で運転席側のドアに体当たりを敢行する。
大きな音を立てて、ドアが無事開く。
「しゃあっ!! これが自衛隊で鍛えた力だっ!!」
そのまま俺は背後の車を振り返ることなく、廃ホテルへと駆けこんだ。
決して恐怖から逃げ出した訳じゃなく、そ、そう! ネルを助ける為に向かったのだ。
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