16
21:50。
石崎奉燈祭の練習も終わり、街は静まりかえっていた。聞こえるのはヒグラシやカエルの声だけだ。
ぼくらはそろそろと家の玄関を出る。昼間よりはずいぶん涼しくなったけど、さすがに防寒ポンチョを着てたら暑すぎるだろう。今ぼくらが着ているツナギだって、袖まくりしないと暑いくらいなのだ。
それに、いくら夜だからと言って、全く人が通らないわけでもない。ツナギ姿だったらこの辺りでは珍しくはないけど、防寒ポンチョと防塵マスクを付けた三人組は……どう考えても怪しすぎる……というわけで、ぼくらはポンチョとマスクは身につけず、手に持って歩いていた。
まあ、実際のところ作業は爆弾が炸裂する前にほとんど終わってしまうはずなので、ひょっとしたらマスクは要らないかもしれない。それでも一応念のためにぼくらは持って行くことにした。
やはり緊張しているのか、三人とも全然喋らない。確かに、危険なミッションだ。ひょっとしたら命がけになるかもしれない。だけど……これはぼくらにしかできないことなんだ。だから、やるしかない。
八幡神社に到着。約束の時間まではまだ少しある。ヤスが口を開いた。
「とりあえず、過去の世界で時間の速さが十分の一になったとするとどうなるか、おれなりに調べて、考えてみたんだ」
「へぇ。それで?」と、ぼく。
「たぶん向こうは昼間なのにすごく暗いと思う。これは赤方偏移っていう現象だ」
「せきほうへんい?」
「ああ。時間の流れが十分の一の速さになると、光の波長は十倍に引き延ばされることになる。だから、向こうの世界でおれらが見るのは、普通なら紫外線くらいの波長の光なんだ。だけど太陽の光に含まれる紫外線の量は可視光線に比べればかなり少ないからな。だから昼間でも暗いし、紫外線と可視光線じゃ反射や吸収の仕方も違うから、色の見え方も違ってくる。おれらのこの世界とは、物の色がまるっきり変わって見えると思う。人間の顔色もかなり不気味に見えるかもしれん」
「……」
と、言われても……正直、半分くらいしかヤスの言うことは分からない。シオリも首をかしげている。だが、そんなぼくらの様子に構わず、彼は続けた。
「そしてそれは向こうの世界の人間にとっても同じだ。おれらを反射する光は逆に
「そっか、良かった。ヤスやシオリが変な顔色になるのは、ちょっと嫌だからな」
「ああ。それと、たぶんレーザーポインターの光も赤方偏移しておれらには見えなくなるはずだ。だからレーザーポインターを使うときはまず自分の手に向けて光を当てて方向を確認してから目標に向けてくれ。自分の手なら時間の流れが同じだから、レーザーの光は見えるはず」
「そうなのか。それはちょっと面倒だな」
「あと、たぶんおれらは原理的にはいつもの十倍の速さで移動できるはずだが、その分空気抵抗も十倍になると思う。徒歩の時速5キロが車並みの50キロになるんだからな。それは覚悟してくれ。それに、重力も十分の一程度になってる、と思った方がいい。うっかりジャンプすると大変なことになるぞ。だから、月面の宇宙飛行士みたいに、チョコチョコジャンプして移動するのが一番いいと思う」
ほんとにもう、コイツにはかなわない。科学大好きとは言え、よくもここまで考えられるものだ。
「了解」
「わかったよ」
ぼくとシオリが応えた瞬間、シオリの体がぼうっと光り出した。
「……来たよ!」シオリがぼくの左の二の腕と、ヤスの右手をそれぞれ自分の右手と左手で握る。さっそく文字が浮かび上がった。
"よく来てくれた"
「……」
意外だった。あの「神」が感謝の言葉らしいものを示すなんて。ぼくはスマホを取り出して入力を始める。
『当然のことさ。それじゃ、もう一度作戦を確認するよ。ぼくたちが過去に転移した瞬間から、ぼくたちの周りの時間を十倍の速度に早めてもらう。そしてぼくたちは街にいる人たちの位置を確認しレーザーポインタで指定するから、その足下に半径1mほどのワームホールを水平に作ってほしい。そうすれば重力に引かれてその人は自動的にワームホールに落ちる。それでいい?』
返答はすぐに来た。
"了解だ"
『じゃ、こちらの時間で22:00ちょうどになったら、ワームホールを開けてほしい。出口の場所は今の和倉温泉駅の辺りで』
"了解した"
和倉温泉駅は街はずれと言っていい場所にある。そこからスタートして海岸に向かって行けば、石崎の街を一通り回ることができるだろう。
ぼくは左後ろを振り返る。
「シオリ……ヤス……本当に、いいんだな」
「ああ」ヤスが即答する。「もちろんだ」
「ウチもやよ」と、シオリ。
「分かった」
時間だ。
神社の扉から、光が漏れる。
「行こう」
ぼくは、扉を開けた。
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