第7話

 坂道をフォンユー、ルンハイ、ダイユ、遅れて老人の順で駆け下りる。

「リーチィは一体どこへいったんだ!」

「わたくしと話した後に東へ」

「高原の方だな。誰かいるのか?」

 訊いたのはルンハイだ。

「チャオリン――いやリィウィか。それともヂーリン?」

「おおい、老体に無理させるな」

「急いでくれよ」

「無茶言うな」

「走ってでも良いと言ったのはあんただろ」

 フォンユーたちは足を止めた。

 やっと追いついてきた彼は、ヨウフィという重陵派の仙人だ。

 フォンユーの家でチュンジュンの企みが見えた。

 リーチィが狙われていると分かった以上、急がなければならない。

 東の高原へ向かおうとしたフォンユーにヨウフィが声をかけてきた。

 願いがある――と。

「今はそんな暇はない!」

 フォンユーはあっさりと断ったが、ヨウフィは食い下がってきた。

「村で起こっている獣事件に関わることだ」

 フォンユーの重要度は、獣よりもリーチィだ。

 ならば走りながらでも良いから訊いてくれ――とヨウフィは言ったのだ。

 彼によると、獣はヨウフィの召喚術だという。


 三ヶ月前、光仙会のしでかした事件にヨウフィは巻き込まれた。

 仙術便箋に取り込まれてしまったのだ。

 仙術便箋とは光仙会が主催した頂上対決の招待状だ。

 かなりの仙人に配られた便箋は、受け取った時点で術にかかってしまうのだ。

 古代呪文の発動により、大きくなった便箋は仙人を包み込み、仙力を吸い込み始めた。

 世界から人を消し去るという大型仙術に、その仙力は使われる予定であった。

 頂上対決に参加した二人の仙人がその企みを阻止し、人だけは守った。

 発動してしまった術により、便箋が吸い込んだ仙力により世界は改変させられた。

 通常、仙術で使い果たした仙力は、体力が戻れば回復する。

 しかし便箋に仙力を取られた者は、二度と回復することなく、仙人でもなくなった。


「召喚術は仙力の喪失で解除されるのでは?」

 ルンハイが訊いた。

 それは正しい。

 召喚中は術者の仙力で現世界に存在できても、仙力が切れれば術も終わるのだ。召喚獣は消える。

 しかし、ヨウフィのものは重陵派の独自の自動召喚術というらしい。

 自動召喚術とは、亡き者の魂を召喚獣に定着させて、常に置いておくものだ。

 人の頭ほどの大きさをした小人の姿――子獣が術者の近くにいるのだ。

 利点は召喚までにかかる時間の短縮化で、これは戦いにおいてかなり大きい比重を占める。

 欠点は常に仙力をその子獣に送り続けることだ。切れることなく、術者の命が無くなるまで続く。

 三ヶ月前、仙力を失いかけたヨウフィは、自分の子獣小愛《シァォアイ》に仙力を移動した。

 後で移動し直せば、取られずに済むはずだった。

 しかし、ヨウフィが便箋から解放された時には小愛はいなくなっていた。

 どうやら仙力の移動により召喚獣としての姿を取り戻し、人に追われたらしい。

 ヨウフィは小愛を捜した。

 町から町へ足跡を辿っている内に、徐々に自らの異変に気付き始めた。

 老いてきているのだ。たった三ヶ月で老人になるほどに。

「恐らく仙力を失った私から生体力をも奪い始めたのだ」

 死の危機に直面しながらもヨウフィは獣の噂を聞きながら後を追った。

 そして藤林村へたどり着いた。

 逆さ大樹に現れた獣の噂を聞いてきたのだ。

「それが何故小愛だと?」

 そのフォンユーの問いに、ヨウフィは少し躊躇しながらも答えた。

「《小愛》に定着しているのは私の亡くなった母の魂だ」

 ヨウフィの子獣は彼の母親の魂を持ち、姿も似ている。

 そこから獣の姿になると、その特徴を引き継ぐというのだ。

 フォンユーは仙術写生による絵がなんとなく似ていることに合点がいった。

 そこで、ふとフォンユーに疑問が浮かんだ。

「あんたの召喚獣は自らの力で子獣になれるのか?」

 答えは否――だ。

 術者の解除が必要なのだが、仙力が逆転している今のヨウフィにその力は無い。

「さっきあなたは小愛の喉を撃った。僅かだが仙力が流出し、そのおかげで私に力が戻ってきた。逆にいえば、仙力を失った小愛は子獣に戻った可能性はある」

 フォンユーが丘を登り切った時に獣を見失った理由――子獣になったのであれば説明はつく。

 ――あ!

 フォンユーは心で自責の声を上げた。

 飛び去っていく蜻蛉を思い出した。

 ――あれが《小愛》だったんだ。

 獣は畑の方にいる。

「なら《小愛》は獣の姿に戻ることはないのだな」

「仙力を手に入れなければな」

「手に入れる?」

「噛み付いて吸うことが出来る」

 うへえ――とダイユが声を上げた。

 ――ということは、仙力を持つ者が危ない?

 術は使えないとはいえリーチィは仙力がある。チャオリンも今はある。

 もしリィウィがチュンジュンから力を受け取っていれば彼女も可能性がある。

 何にしろ急がなければならない。

「リーチィが危ない。東の高原に行くなら、崖側を通ろう」

「死にそうだ――」

「元の身体を取り戻したいんだろ、頑張れよ」

 再び走り出す。

 チュンジュンは、さっきはダイユに声をかけ、その前にルンハイにも声をかけていた。

 更に、このヨウフィにも声をかけていたらしい。

 ルンハイにはこの村に来てからすぐだったらしい。

 跡取りとしての能力が欲しくないか――と。

 歪んだ野望の無い彼は断った。

 その条件も怪しく、信用できなかったのが理由の一つだ――とルンハイは言った。

 ヨウフィは《小愛》がこの村にいるという情報はチュンジュンから聞いたらしい。

 更に、力を取り戻させてやろう――とも言われたようだ。

「なんで断ったんだ?」

「全ての力は危険性と常に隣り合わせだ。強大になればなるほど比例していくのに、瑕疵を晒さない相手は何かを謀らんでいるものだ」

 分かる話だ。

 ヨウフィはチュンジュンの狙いも探るため、《小愛》のいる藤林村へやってきたらしい。

 《小愛》もみつけた。しかし手は出せない。あぐねいていると、フォンユーの噂を聞いた。鬼を倒した仙人の噂だ。

「すれ違ってみたが、たいしたことなかった――。あ……すまん。つい――」

「いや」

 フォンユーも仙人としてはいまいちだと思っているから気にすることではなかった。

「思うよね――」

 ダイユにルンハイが頷いた。

 ――そこまで同意されると、ちょっと傷つくよ。

 苦笑していると、ヨウフィがそこでやっとお願いの内容を切り出した。

「《小愛》を倒してくれ」

「そうすれば元に戻れるのか?」

 ヨウフィは頷いた。

 今朝の《小愛》との戦いを見て、頼めるのはフォンユーしかいないと確信したらしい。

 フォンユーの狙いも間違っていなかったのだ。

 戦って仙力を切らせるか、喉を撃つ事で倒せるのが分かった。

 倒す事でヨウフィに仙力が戻れば、《小愛》との力関係が逆転する。そうすれば獣にすることも戻すことも出来る。

「今は子獣なんですよね。その方が倒しやすいのでは?」

 ルンハイにヨウフィは首を横に振った。

「子獣は幽界の住人なんだ」

「幽界?」

「この世とは別の存在ってこと。つまり攻撃しても倒せない」

「でも仙力は吸われちゃうんだ」

「吸っているその瞬間なら倒せるんだけど――」

「一撃で倒すには大きな攻撃になるし、吸われている人も巻き込んでしまう」

「そか」

 ダイユは皆に説明されて納得したようだ。

 条件と言えば、チュンジュンが全員に出したものは一致していた。

 リーチィを襲って、フォンユーと戦い、彼を倒すこと――だ。

 そうすれば望む力が与えられるというものであった。

 三人とも意味が分からなかったらしい。

 なぜフォンユーと戦うためにリーチィを襲わなければならないのか――。

 だが、今のフォンユーを見て、みんな納得したようだ。

「どういう意味だよ――」

 フォンユーは憤然としながらもリーチィの元へ急いだ。

 水車のある門を下に見下ろすコースを走る。

 この時間、街道は青空市場となり、走り抜けづらい。

 崖道を走り抜ける。

 崖道と呼んではいるが、谷の斜面にある只の段差だ。整備されたものではないから幅は一定ではなく、足を踏み外すものなら、かなりの距離を転げ落ちることになる。

 老人の体力のヨウフィは元より、平衡感覚の低いダイユが速度を落として差がついている。

 崖道の上には、さっきフォンユーが気を失った場所がある。

 間もなくチャオリンの畑が見えるはずだ。

 かろうじてルンハイが付いてきている。

 高原が開けるように見えてきた。

 獣がいた――。

 田の真ん中だ。その近くに二人の女性がいる。

「リーチィ!」

 さらにフォンユーは速度を上げた。

 近付くにつれ、視界がはっきりとしてくる。

 ――リーチィじゃない!

 リィウィとチャオリンだった。

 切迫しているのは同じだ。

 倒れているチャオリンをリィウィが庇い、獣がゆっくりと二人に近付いている。

 しかし距離が有り過ぎる。

 ――間に合わない!

 フォンユーの焦りを感じ取ってか、後ろからルンハイが声を掛けてきた。

「フォンユーくん。うまくいくかどうか分からないけど、乗るか?」

「二人を助けられるなら――」

「よし!」

 頷くルンハイに仙力を感じた。

「行ってこい!」

「え?」

 振り向くとルンハイは風雲術の雲を手に出していた。

 竜巻がフォンユーを吹き飛ばした。

「うそぉおおおお」

 フォンユーの身体は崖道から宙へと吹き飛ばされた。背中を押す風は回転していない。ただの暴風であった。

 力強い風が一気に獣までの距離を詰めて行く。

 まだ遥かに高度はあるが方向は合っている。

 ――いけるぞ!

 と思ってると、ふと風が途切れた。

 ルンハイの力の限界らしい。

 ――諦め早過ぎだ!

 フォンユーの身体が落ちていく。

 幸い惰性の分で距離は稼げた。

 丁度と言って良いのか、獣の真上だ。

 獣がフォンユーに気付いた。

「遅い!」

 フォンユーは両足を突き出した。

 獣も避けられないと知ったか、両腕を交差させた。

 勢いは止まらない。

 足裏がその腕に当たる瞬間に膝を曲げ、自分への衝撃を抑えた。

 それでも身体が悲鳴を上げて軋んだ。

 フォンユーが吠える。

 強靭な獣の肉体は城壁のようだ。

 その城壁を打ち抜く想像力を足へ、そして力へ変える。縮まっていた脚を突き伸ばした。

 足裏に獣の腕の骨が壊れる音が響く。

 フォンユーはその不愉快さを押し殺して脚を伸ばし切った。

 獣の巨体が吹っ飛ぶ。

 フォンユーも反対側へ転がった。

 耕された土は柔らかく、フォンユーはすぐにも起き上がった。

「二人とも無事か?」

 起き上がりながらフォンユーは叫んだ。

「フォンユー!」

「お前に助けられるとは一生の不覚だ――」

 リィウィとチャオリンが同時に応えた。

「よし、生きてるな」

 フォンユーはリィウィに近付いた。獣の襲撃の後で紅潮した頬が笑みを作る。

「リーチィは来てないか?」

 柳意の笑みが崩れ、膨れ、それから次第に狼狽の色を濃くしていった。

「リーチィ――そう、リーチィが危ないの!」

「どうした?」

「こっち!」

 リィウィが走り出した。

 フォンユーがその背を追おうとした時、獣が立ち上がった。

「な――」

 獣が角でぶつかってきた。

 フォンユーは角を取って押さえる。

 リィウィが振り返る――が足は止めない。

「先に行ってる!」

「ちょ――ちょっと!」

 フォンユーは持ち上げられて背中側へ放り投げられた。

 ひっくり返って田んぼの土へ落ちる。

 リィウィが道化師ではないと完全に否定できていない。

 フォンユーは焦った。

 立ち上がったフォンユーに再び獣の頭がぶつかってくる。

 やっとその背の向こうにルンハイとダイユ、更に遅れてヨウフィが駆けてきた。

 ルンハイは立ち止まると、ダイユに耳打ちした。彼女が頷くのを見ると、何か謀んだようだ。

 急いでくれよ――つぶやきつつ、フォンユーは肘を打ち下ろし、膝で顎を蹴り上げた。

 しかし獣は身体を捻って尻尾を振り回してきた。

 フォンユーは跳ねてかわそうとしたが、今まで守ってくれていた土が、今度は足を取った。跳躍力が稼げず、尻尾はフォンユーの足を弾いた。

 数回転もんどり打った。

 視界が揺れ、地へ倒れ込んだ。

 ――とその時、電撃が辺りを染めた。

 ルンハイの風雲術だ。

 白く放電する光が獣を包む。それは切れる事なく連続で流れ続けた。

 攻撃力がそれほど高くない電撃だが、連続する事で倒そうというのか。

 ふ――とルンハイと目が合った。

 ――何かを託そうとしている。

 フォンユーはそう感じた。

 ルンハイの背後でダイユが地面に何かしている。

 彼女が出来るのは紋章術のみ。それを地面にしているとしたら手は一つだ。

 獣が電撃を受けながら一歩ずつ一歩ずつルンハイとの距離を詰めて行く。

 ルンハイも下がる。

 フォンユーはしゃがんだまま、光の弓と矢を具現化した。

 電撃が弱まり、それにつれ獣の進む速度も上がっていく。

 ルンハイが足を止めると、獣は一気に地面を蹴り上げてきた――が、そこはダイユが描画した円陣の中だった。

 ダイユが術を発動する。

 術無効の空間――同時にルンハイは術を解いた。

 獣が束縛された。

 よほど強烈なのか、獣が吠える。

 咆哮が一段階強く甲高くなった時、フォンユーが走り出した。

 同じ瞬間で獣が呪縛を断ち切る。

 獣を繋ぎ止めていられるほどダイユの術はまだ強くない。

 だが、立て続けの仙術攻撃に、獣は停止状態に陥った。

 フォンユーはその背中を駆け抜けた。

 頭頂を蹴り出し宙へ――逆さになりながら番えた矢の狙いを付ける。

 獣の晒された喉へ。

 放った矢が一直線に喉元へ伸びる。

 腕による防御も、体勢の入れ替えも出来ず、獣の喉に光の矢は吸い込まれた。

 フォンユーが見たのはそこまである。そのまま地面に頭から落ちたのだ。

 少しだけ意識が飛んでいた。

 ゆっくりと身体を起こすと、獣の姿は消えていた。代わりに、地面に小さな女の子が落ちていた。いや、もの凄く小さい。西洋にいる妖精と呼ばれる類いのものだ。

 ――遠めに見れば、蜻蛉と間違えても仕方ないよな。

 フォンユーは自分を慰めた。

 獣から出たであろう光が周囲を満たしている。それがヨウフィへ流れていた。

 見る見るヨウフィは老人から若返っている。

 フォンユーは立ち上がると、ふらつく足を堪えて頭を振った。

「ルンハイ、ダイユ、無事か?」

 二人は頷いて応えた。

「でも、僕はこれ以上仙力が――」

「わかった。ありがとう」

 フォンユーは倒れたままのチャオリンに近付いた。

「大丈夫か?」

「あの小ちゃいのに仙力を吸われただけだ。休めば治る」

 起き上がろうとするチャオリンにフォンユーは手を貸した。

「そんなことより、急げ! リーチィが危ない」

「何――?!」

「あの小さい生き物は私の仙力を吸って獣の姿になった。倒れた私をリィウィが庇ってくれたが、実際助けてくれたのは変な格好の仙人だった」

 フォンユーの頭に道化師が浮かんだ。リィウィの分身という説が濃くなる。

「急に現れたそいつは、獣と戦っていたんだが、リーチィが駆けつけてからおかしくなった」

「どうした?」

「そいつはリーチィに襲いかかったんだ。リーチィは戦いながら水車小屋へ――。そいつも追っていったんだ」

「じゃあ、リィウィもそこへ行ったのか」

 フォンユーは顔を上げて門を見た。

 チャオリンが袖を引っ張った。

「リィウィは誤解を受けやすいが、決して足を踏み外す子じゃない。私と違って――」

 チャオリンの目が辛そうに揺れている。

 フォンユーはチャオリンの手に軽く叩きながら笑った。

「そんな自虐的にならなくていい。みんな助けてみせるさ」

「期待してる――」

 チャオリンは初めて険の取れた言い方をした。

 フォンユーは立ち上がった。

 ルンハイとダイユはまだ座り込んでいる。

「チャオリンを頼む」

「分かった」

「その小さいやつは仙力を吸うらしいから気をつけろよ」

「分かってるけど――」

「もう私の仙力が逆転している。そんな勝手はさせないさ」

 ひょいと倒れている妖精を、背筋の伸びたヨウフィが拾い上げた。

「回復したのか?」

「まだ六分って所だが――」フォンユーの方を向いた。「世話をかけたな」

「良いさ。俺はまだ用事があるから行くぜ」

 フォンユーは挨拶もそこそこに水車小屋に走った。

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