第6話

 見慣れた天井――……

 ――自分の家か。

 幸い記憶はすぐに繋がった。

 道化師と、更に獣との連戦で気を失ったのだ。

 ――で、目を覚ました所か。

 直前のリーチィの表情を思い出した。

 気が重いが解決しなければならない問題があった。

 フォンユーは起き上がってリーチィを探そうとしたが、一番初めに目に入ったのは、この家で見るのは初めての顔だ。

「よ、起きたか」

 フンであった。

 寝台のすぐ横にイスを持ってきて座っていた。

「お前が看病してたのか」

「そういう方が格好つくなら、そういう事にしておこう」

「さぼってただけよか――。男が男を看病してて格好なんかつくのか?」

「ふむ――。なら事情聴取の為に待ってたとしておこう」

 フンは立ち上がって伸びをした。

「あの後、どうなったんだ?」

「お前が気を失ってからか?」

「――そうだよ。獣は? 兄妹は? リーチィは?」

「順番を追って説明するとだ――。まずお前が気を失っただろ」

「そこは良いよ。次だ」

「獣は行方を掴めず、仙人兄妹とリーチィさんは無事。おれがお前をここまで背負ってきた」

「お前が~~?」

「感謝なら言葉より金で構わんぞ」

「言葉も上げたくないな――。それよりも獣が消えた理由――分かるか?」

「お前が分からんもんを、人間が理解できるはずなかろう」

「俺も人間だけどな」

 フォンユーは寝台から足を下ろす。

「リーチィが言ってたのだが、あれは召喚された獣――つまり半生物体だ。術を解除すれば姿を消す。だけど術そのものが消滅した気配はなかった」

「どういうことだ?」

「なんというか――姿だけが見えなくなったっていうのかな」

「足跡などの痕跡は一切なかったぞ」

「そうなんだよな――」

「一応幽水湖周辺は捜索してもらってる」

「そうか」

 フンは出口へ向かった。

「フン」

「官吏さまと呼べ」

「村に白髪に白い髭のおじいさんっているか?」

「仙人みたいな?」

「そう――」

 フォンユーは苦笑する。言うなればそういう風貌であった。

「じじいに興味はないが多分いないぜ。そんな物好きな格好したやつ」

 フォンユーはそのおじいさんを捜す事が事件解決の鍵だと思っているが、彼もまた所在不明の人物だったのだ。

「事件に関係してるのか?」

「多分な」

「ご苦労なこった」

「お前も働けよ」

 フンが部屋を出て行く。

「それより、リーチィはどこへ?」

「あの兄妹の件でちょっとな――」

「何かあったのか?」

 フンを追って部屋を出ると、そこにルンハイがいた。座ったまま、申し訳なさそうな顔を上げた。

「直接訊け」

 フンはそのまま出入り口へ向かった。

「悪かったな」

 その背中に言うと、フンは手だけを挙げて応えた。

 フォンユーはフンが竹やぶの向こうに消えるまで見送った後、ルンハイの前に座った。

「一体、何があったんだ?」

「妹と――ダイユと喧嘩した」

「はあ?」

「ダイユと喧嘩して、怒らせてしまったんだ」

 言い直されても全く変わっていない。

「――で、うちの妹は?」

「リーチィくんは、ダイユを諌めに――」

 フォンユーはとうとう眉間をつまんだ。

「ルンハイ。怒らせたのが君ならば、君自身で行くのが一番早いのでは?」

「だけど聞いてくれよ。妹は僕を総帥の跡取りにしようとしている」

「総帥の子供なんだから、ならないといけないんだろ」

「――ダイユの思い込みだよ。決してそんなことはない」

 がさ――と小さい音がした。目の端で探ると、窓の端にダイユのおさげが見えた。

「僕たちの母はダイユが小さい時に亡くなって――母の姉、つまり伯母さんが母代わりになってくれた。だから僕らは寂しい想いをせずに大きくなれた」

 ダイユも聞いているようだ。

「伯母さんにも子供がいる。そういう家庭環境だったから、従兄弟というより兄弟みたいに育ったんだ。僕より一つ下だが、彼は仙術が得意で、そのくせ、それを鼻にもかけず、僕を立ててくれる。良いやつなんだ。一派の皆にも人望が厚くて、跡取りは僕じゃなく彼だったら良いのに――なんて声も聞く」

「だから跡取りになるのを諦めた――と? 幾らなんでも早すぎだって。仙術の上手い下手なんて、俺たちくらいの年齢じゃ分からんでしょ」

「分かるさ。仙術を繰り出す瞬間や使用する仙術の選択なんてものは覚えられるものじゃない。瞬間的感覚と言えるのかな。組み手をしてみると分かるんだ。ああ、こいつは凄いやつだって――」

「ふうん」

 それが分かる事自体に仙術的感覚があるのだ。

 従兄弟にはそれが分かるからこそ、ルンハイを立てているのではなかろうか。

 ルンハイにはそれを受け入れる度量がない。

 ――確かにそれは問題だけどな。

「それは別に良いんだ。僕は従兄弟が好きだから、彼が総帥になるのは構わない。――恐らく父上もそうしようと思ってるんだよ」

「どうして言える?」

「仙人大戦の煽りを受け、父上は僕とダイユを疎開させた。従兄弟は手元に置いている。これが理由だ」

「君らを大切にしてるだけだろ」

「そう――だけど、一緒に戦ってくれと言ってくれた方が嬉しいよ」

 ルンハイは寂しげに笑い、続けた。

「総帥の座なんてそんなに強く望んでいるわけじゃない。僕が彼の後援者に回ったっていいんだ」

「何が問題なんだ?」

「妹は僕を総帥にしたがっている――ってことさ」

「ん――……」

「ダイユは僕の母親のつもりなんだ。しかもかなり過保護だ」

 窓の外の影が落胆しているように見える。

「彼女が紋章術を覚えたのも、僕の風雲術を支援するためだ。僕を最強たらしめるつもりらしいが、そのせいで彼女は仙人として中途な存在になった。僕の風雲術もそうだけど、紋章術も決して誇れる技じゃない。そうだろう」

「いや――」

「正直に言ってくれ。昨日戦った時、君が技を知っていたのは、それほど珍しい技じゃないからだ」

 ルンハイは勘付いていたようだ。誤魔化しはもう効かない。

「そうだ。風雲術は気象系仙術の初歩だ。紋章術は封印系仙術の中でも領域支配の能力が低く、即効性がないため、戦闘では役立たない」

「だよな――。だから父上も僕らに期待する事を止めたんだ」

 ルンハイは両手で頭を抱え、机に肘を突いた。

「僕がはっきりしなかったのが全ての原因だ。僕が総帥の座を諦めているとはっきり明言すれば、ダイユも別の道を歩めたんだ」

「まだ遅くないでしょ」

「言える訳ない。彼女の人生を狂わせたんだぞ、僕の優柔不断さが――」

 フォンユーは頭を掻いた。

 決断できないこと自体が優柔不断を示しているが、それを指摘した所で何も変わらないだろう。

 目の前でも、窓の外でも落ち込んでいる。

 フォンユーは小さくため息をついた。

「今までの経緯は分かった。で、何でダイユを怒らせたんだ?」

「今朝、湖で獣と戦った時に――」

「ああ、喧嘩してたね」

「僕とダイユは逆さ大樹で獣を見つけ、不意打ちを仕掛けた。でも痛手を与えるどころか、怒らせて、逃げるしかなかったんだ。僕の本気の一撃だった。しかも不意打ちだったのに。それが効かない相手となんて戦えないよ」

 ルンハイは今度は悔しそうに手を強く握った。目を落とし、うわ言のように続けた。

「それなのに妹は、獣を殺せとか、僕を援護するだとか、勝手な事ばかし言うから――何も分かってないのに口を出すなって怒鳴ったんだ」

「それが原因?」

「お兄様のために頑張っているのにひどいって言われて――」

「それが堪えてるってことか」

 どちらも身勝手なぶつかり合いだ。

 もう少し他人を思いやれば回避できた争いである。

 どう言っていいやら、フォンユーは頭を巡らせた。

 ――ところで俺たちは大丈夫だよな。

 思考が途切れて不安を覚える。

 気絶間際のリーチィの顔が浮かぶ。

 ――早くリーチィと話さねば!

 フォンユーは焦りを感じたつつ、まずはルンハイの件を解決することにした。

「やっぱりルンハイは諦めが早すぎるんだよ」

「僕が? 無理なものは無理だよ」

「自分の可能性だけじゃなく、妹の可能性まで潰しちゃってるじゃないか」

「だからそれを負い目に感じて――」

「まだ伸びる余地はあるんだよ、君も彼女も」

「そうかあ?」

 ルンハイは懐疑の表情を浮かべた。

「自分の話しになるけど――光仙会の騒動に、俺もリーチィも巻き込まれたらしい」

「らしい?」

「二人とも記憶が曖昧でな。気付いたら俺もリーチィも仙術が使えなくなってた」

「それは――」

「俺は、飛ばない、当たらない、威力ないの三拍子揃った光矢術が残っているが、リーチィに至っては全く仙術が使えなくなってた。原因も分からずじまいだ」

 嘘ではないのは昨日の手合わせで分かったはずだ。

 だが、同情して欲しいわけではない。

 フォンユーはきっぱりと振り切るように続けた。

「だけど君たちはそういう事故じゃないんだ。別の能力を覚えれば良いだけじゃないか」

「簡単に言うなよ」

「言うよ。簡単な事でしかないんだから」

 難しいからと動かないのはただの言い訳でしかない。

 物事は簡単なものの集合体に過ぎない。百に見えても、解いていけば臨むべき問題点は一つだけだったりするのだ。

「正直にダイユと話せばいい。ルンハイが目指す道を示せ。その次に彼女自身が道を決められるように助言してあげるんだ」

「君は強いから、そんなことを言えるんだよ」

「そうだね。これは俺の強さ。俺の解決方法――。でも、ルンハイにはルンハイの強さが絶対にある。悩みに悩んで、考えを巡らせて自分の結論で解決するしかないんだよ」

「そう……なのかなあ」

「面と向かって話せばきっと分かり合える。手を取り合える距離で、互いの言葉でね」

 ルンハイがゆっくりと頷いた。表情がつい先ほどとは違って見える。

 ふと気付くと、外で声がした。

 女性同士が会話しているようだ。

 リーチィかとも思ったが。

 ――違う。

 フォンユーは立ち上がると外へ出た。

 後ろにルンハイも続いている。

 家を迂回している内に、声は三人になっていた。

 一人はダイユ。もう一人は男性だが聞き覚えがない声だ。そしてもう一人の女性は――。

「チュンジュン!」

 フォンユーは飛び出していた。

 三人がフォンユーを向く。

 ダイユと白髪の老人、それとチュンジュンが三角を作って向かい合っている。

 後ろからルンハイがダイユの名を呼んだ。

「兄上――」

 二人の感傷を引き払い、フォンユーはチュンジュンへ走った。

 筆架叉サイを取り出す。

 ダイユと老人の間を抜け、チュンジュンへ斬り掛かる。

 ふわりふわりとチュンジュンはフォンユーの攻撃をかわし、重さを感じさせずに浮かび上がった。

 ゆっくりと宙を回って屋根へ降り立つ。

 フォンユーは壁を蹴って屋根の上へ。

「チュンジュン、お前は何がしたいんだ!」

「さっきは良いとこまでいったんだよぉ」

「さっき?」

「お前は体力がない割に、仙力は多いからなぁ」

「何を言ってるんだ?」

「こっちの話しぃ」

 会話が成り立たなさ過ぎてフォンユーは苛立ちを覚えた。

「とっ捕まえてやる」

 一歩踏み出そうとした時、チュンジュンは思いがけない言葉を放った。

「こんなところで油売ってると、お前の大事なひとが死んじゃうねぇ」

「リーチィに何をした!」

 一気に爆発した。

 距離を詰めて筆架叉を横へ振る。

 やはりチュンジュンはふわりとかわす――前に、暴風がその動きを止めた。

 下からルンハイが風雲術で風を起こしたのだ。

 フォンユーの横蹴りは風を突き抜けてチュンジュンを打った。

 チュンジュンは屋根から落ちたが、ふわりと着地した。

「おのれぇ――跡取りになれない卑小な餓鬼のくせしおってぇ」

 フォンユーは屋根から宙返りで降りて、チュンジュンの前に着地する。

 チュンジュンは逃げようとしたが、また暴風に止められる。

 フォンユーの蹴りが足を払って、チュンジュンは前回りで背中から地面へ――付く前にその姿勢のまま屋根まで浮き上がった。

 とても人の動きではない。

「ほら、お前らが欲しがっている術の元だぁ。受け取れぇ」

 チュンジュンは三人の間に光る玉を落とした。

 皆がそちらへ気を取られた隙にチュンジュンは屋根の向こう側へ――。

「待て――」

 フォンユーは追いかけかけて、足を止めた。

 あの玉がチャオリンを悪鬼に変えた力なら、受け入れた者は同じ道を辿ることとなる。

 振り向くと、ダイユがそれに歩み寄っていた。

「ダイユ――」

 ルンハイが呼びかけた。ダイユもそれに応じて足を止めた。

「力は拾って得る物じゃない。必要とする者には幾らでも手に入る。僕はもっと頑張る。だから――……だから、これからも修行に付き合ってくれ」

「兄上――」

 ダイユは地面で光る玉から視線を戻すと、笑顔を見せた。

 曇天から覗く太陽のように、何かが振り切れた――そんな笑顔であった。

「もちろんよ」

 彼女は兄の本音を既に聞いているのだ。

 その上でこう言われたら、頷くしかない。

 フォンユーがほっとしていると、老人が光の玉を手にした。

「ちょ――、それは――」

 老人は玉を持ったままフォンユーを見た。

「こんなものに惑わされるほど愚かじゃないさ」

 意外としっかりした言い方で老人は言い切ると、光の玉を握りつぶした。

 光は四散して泡のように天へ上って消えていった。

 フォンユーは完全に光が消滅したのを確認すると、無駄と知りつつ、屋根の向こう側へ行った。

 チュンジュンは既にいなかった。

 後ろへ三人が集まってくる。

「あいつは誰だ?」

「名前はチュンジュン――それ以外は不明だが、ただ一つ言えるのは」

「人間ではあるまいな」

 老人にフォンユーは頷いた。

「ええ? 仙人でもないの?」

「違うな」

 誰もいない庭で散りかけた桂花だけが風に揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る