第3話

「さすがリーチィちゃんだ。甥っ子の嫁に欲しいよ」

 ゾンはフォンユーから受け取った仕立物を広げて言った。

「俺のお眼鏡に適わぬ相手ならお断り」

「手厳しいな。嫁にいけずに終わるぞ」

「その時はその時さ」

 ゾンはフォンユーに笑った。

 皺が深く刻まれた中年の籐篭屋だ。

 店先はいつも乾いた青臭さが洩れ出ている。

 ゾンが自分に合わせて仕立物を確認している。

 ――彼の奥さんの物なのに……。

 フォンユーが苦笑していると、ゾンはやっと満足したのか料金を支払った。

「まいど」

 フォンユーはお金を仕舞いながら、ゾンにチュンジュンのことを訊ねた。

「ここ最近で新顔っている?」

「外れのでかい屋敷に都から――」

「仙人の兄妹か」

「それ以外ならお前らぐらいじゃないかな。ヂーリンたちは疎開してただけだし――」

「そうか。その都から来た妹って、不思議な服を着て、変なしゃべり方をする?」

「一度見たが、そんな感じは受けなかったな。実際話したわけじゃないが、そんな気になる言い方もしてなかったぞ」

「ふむ――」

「気になることでも?」

「人を探しているんだ。俺が知らない人ってまだ村にいるかな?」

「いるだろうが、少なくともお前が言った特徴の女はいないな。派手――といえばリィウィだろうが、あいつじゃないんだろ?」

「全然違う。リィウィは言うほど派手な子じゃないぞ」

 フォンユーが弁護すると、ゾンはいやらしい光を目に溜めた。

「あいつとお前なら似合うと思うんだが?」

「可能性はないって本人から言われた」

「女はそういうもんだぞ」

「そうなの?」

 ゾンはにやにやしながらフォンユーの肩を叩いた。

 地味に痛い。

「ま、頑張れ」

 店に入っていくゾンに挨拶をすると、フォンユーは大通りへ戻った。

 ――何をどう頑張るんだか……。

 フォンユーは心でつぶやくと、次の配達先を確認した。

「村にいない人間って何者だ?」

 可能性を考える。

 近隣の人間――

 数十里圏内に村は点在するが、可能性は低い。変容した不思議地形を踏破するのは意外と難しいのだ。

 わざわざあんな会話のためにくる理由が想像つかない。

 この近辺に潜み暮らしている――

 まだこちらの方が有り得るが、やはり村の補助なしに生きていけるような環境ではないのだ。チュンジュンにそんな野性味は感じなかった。

 村に隠れ住んでいる――

 あの姿じゃ隠れていられない。

 結論は出なかった。

「よ、はぐれ仙人」

 後ろから声が掛かった。

 もっともこういう呼び方してくる人物は一人しかいないから、振り向かずとも分かる。

「フンか」

 やる気なしの名ばかり官吏――がフンの評価だが、フォンユーは油断をしないようにしている。

 駄目人間を装っている二面性を感じるのだ。

「官吏さまと呼べ」

 と言いながら、フンは周りをきょろきょろと見ている。

「リーチィならいないぞ。俺一人だ」

「なんだ――なら、用はないな」

 フンは本当に歩き出してフォンユーの横を通り過ぎていった。

 そうそう――フンは懐から紙を取り出すと、明後日の方を向いたまま紙を渡してきた。

 フォンユーは紙を受け取って広げた。

 ――魔物だ。

 まず二本の角に目がいく。左右の角は額で合流し、鼻筋へ伸びている。顔は犬に似て、太い腕と脚で立ち上がった姿は熊のようだが、全身を飾る棘と、大蜥蜴のような尻尾は熊にはない。更に角の後ろから硬質な房を束ねたような長髪まである。

「お前の想像か?」

「馬鹿言え――。逆さ大樹で目撃された獣だ」

「へえ」

 フォンユーは感心した。

 フンの《仙術写生》であろう。

 人の記憶から情報を取り出し、絵にするというものだ。

 便利そうだが、まず提供者の協力は必須で、忘れている場合も精度は低くなる。

 そして数ある情報の中から取捨選択するのは術者の精神力に係っていた。

 それをフンは正確に読み取る。

 手配書がしっかりしてれば後が楽だから――とはフンの談だが、フォンユーはどうしても額面通りに取ることはできなかった。

 それにしてもこの獣が逆さ大樹にいるというのは聞き捨てならなかった。

 逆さ大樹とは、ここから北にある。

 名前の通り、逆さになっている大木のことだが、木というには大きすぎるのだ。

 枝の一本は大人が余裕で歩け、葉は両手を広げたぐらいの大きさがある。

 たっぷり膨らんだ樹冠部分は入り組んだ森のようだ。

 樹皮の形状が道を作っている。木製の坂道を歩いていると木のうろが忽然と現れ、そこから幹の中へ入ることができる。

 頂上にあるのは根の部分だ。

 天へ突き立つように乱立する根は、枯れ林を連想させた。

 そんな根の部分には茸や山菜も多く、幹や樹冠には鳥や獣などの動物が生息している。

 村人が頻繁に足を踏み入れている場所であった。

 そこにこんな獣が出るなんていったら、ものすごい騒ぎになるはずだが、フォンユーは聞いたことがない。

「この前の鬼といい、獣といい、あの仙人大戦の影響かね」

「違うな」

 ほう――とフンは興味を持ったようだ。

 彼にしては珍しく、フォンユーの言葉を待っている。

「こういう異形の者は昔からいたさ。その退治のために仙術が発展したんだ」

「そんな記憶はあるな」

「光仙会のしたことは世界を変えただけで、生きている者へは効力がなかった」

 これはチュンジュンが語っていたことと同じだ。

 光仙会という仙人一派が仙人の世を終わらせようと古代の仙術を発動した。

 それは世界から人だけを消し去る術だったのだが、止める為に選ばれた一人の仙人と猿が抵抗したらしい。

 術は結局発動したが、猿が魔法陣を書き換えた。

 変えたのは世界そのものだけであった。

 妙竹林になった世界で、そこに生きるものは残った――。

 これが三ヶ月前の事件だ。

 それ自体を《仙人大戦》と呼んでいる人もいる。

「仙人がめんどくさい種族だってのは分かった」

 なぜそういう解釈になるのか不思議だったが、理解したとフォンユーは判断した。

「そりゃ良かった」

 フォンユーは紙を返そうとしたが、フンは受け取らなかった。

「持っておけ」

「なんで?」

「まだそいつは悪さをしてないが、起きてからじゃ困るんだ」

「騒動を起こす前に殺すというのか――」

「おれたちなら、そうするしかないな」

 フンは当然というように言った。

「他に手があるのか?」

「お前ならそれ以外の手段を講じられるんじゃないかって思ってな――」

 村には、鬼を倒したことになっている。

 しかしフンは感づいているのかもしれない。

 フォンユーが鬼を倒さずに済ませたことを。

 とはいえ、真相は伏せたままだ。

 受け流してフォンユーは答えた。

「近いうち、行ってみるさ」

「はぐれ仙人ごときに期待してないが、頼むな」

 一応、フォンユーはチュンジュンのことをフンに訊いてみたが、自分の好みの女性を挙げるだけ挙げてきただけであった。

 全てフォンユーも見知った人たちであった。

 村の女子のことならおれに聞きな――と胸を張ってフンは去っていった。

 いよいよ近辺の人間ではない気がしてきた。

 ――手掛かりはもう一つある。

 フォンユーはチャオリンが住む村外れへ向かった。


*        *        *


 山からの川が村を分断していた。

 川を境に農地と村が二分されているのだ。

 橋と水車と水門を兼ねた建物が目印であった。

 フォンユーは水門を潜り抜けた。

 広大な土地は農地としてよく肥えていた。

 ぽつぽつと建っているのは農家を営む人が住む家だ。

 フォンユーはそのうちの一つへ向かう。

 チャオリンを見つけた。

 刈入れの終わった土に肥料を撒いて手入れをしている。

 この前は命がけの闘いの直後だったから、印象はあまり良くなかった。

 顔つきもきつく、着ていた服も剣舞用のおどろおどろしい刺繍が施されていた。

 態度も、友好的な関係を結ぼうとは思っていないようであった。

 だが今は、長い髪を上の方でまとめ、薄手の作業着で汗をかいている。

 杏の種のような形の目も、今は土を慈しむような優しさに満ちていた。

 歩み寄るフォンユーに気付いて、チャオリンがふと顔を上げた――のに、全く表情を変えずに作業に戻っていった。

 嫌そうな顔をされると思っていたが、無視はそれ以上にきつかった。

「やぁ――」

 チャオリンは作業続行で無視。

「――今年は大収穫だったって聞いたよ」

 やっぱり返事はなし。

 誰も赦していない――リィウィの言葉はチャオリン本人の脅えだと思っていた。

 ――赦していないのは俺のことじゃないか。

 フォンユーは大きくため息をついた。

「君が元気だってのはリィウィから聞いてたから、心配はしてなかったけど――ま、見て安心したよ」

 チャオリンが顔を上げた。

 髪をまとめて全開となったおでこから、玉のような汗が卵型に沿って顎へ落ちていった。彼女の表情は訝しそうであった。

 チャオリンのその顔の意味をフォンユーは察した。

 なぜリィウィがそんなことを知っているのか――という疑問であろう。

「彼女、時々君の様子を見に来てたみたい」

「だから仲直りさせようっていうのかい。相変わらずおせっかいな男だね」

「そんなつもりはないよ」

「じゃあ、何しに来たのさ」

「良かった。本題に入れる」

 フォンユーはここぞとばかりにチャオリンの傍に降りていった。

 田は道から二段降りた所に広がっている。フォンユーが立っているのは畦道だ。

 まんまと乗せられた――そんな悔しそうな表情を隠すことなくチャオリンは言った。

「三分やるよ。その間に話せ」

「ありがとう。訊きたいことは一つなんだ」

 フォンユーはしゃがんで、チャオリンと顔位置を合わせた。

「君に声を掛けてきて、仙人の力を復活させたのは、変な話し方をする女じゃなかったか」

「――語尾が妙に伸びる話し方のことか?」

「それと派手なやらしい服を着ていなかったか」

「そうだ。私はそこまで言ったか?」

「いや。俺が昨日、そいつに会った」

「そいつ――に?」

「聞く限り、同一人物だな」

「捕まえたのか?」

「逃げられた」

「お前は女に弱いな」

「俺はいつからそんな個性に――」

 チャオリンは鼻で笑った。

「もう三分経ったぞ。もう行ってくれ」

 チャオリンは作業に戻った。

 フォンユーはしゃがんだままだ。

「そいつへ怒りはないのか?」

「もう誰にも怒ってない。恨んだり、妬んだりした心が、あの化物を生んだのだ」

「そこまで分かってれば逃げる必要はないだろうに」

「逃げる? 逃げているつもりはない」

 チャオリンは同じ箇所をこねくり回している。

「君を親友と思っている人へ一言――それだけで良いんじゃないか?」

「そんな軽い問題じゃない」

「知ってる。だから二人は苦しいんだろ」

 チャオリンが顔を上げた。

 涙目で睨んでくる。

 フォンユーは平然と荷物から仕立物を取り出した。

「これをどうぞ」

「何だ、それは。私は頼んでないぞ」

「リーチィからだ」

 な――そんな――チャオリンが絶句している。

 目が見開かれて泳いでいる。

「あの子だってひどい目に遭わされたというのに――」

「リーチィもうまく言葉を使えない子だが、これは君への謝罪だろうな」

 フォンユーは広げてみせる。

 チャイナドレスであった。七部袖と膝丈ほどの長さで、純白の生地に蝶の刺繍が施してある。

「謝罪? なんであの子が私に謝る必要がある。悪いのは私だぞ」

「そう思わせてしまった――って考えてるんだろ」

 チャオリンが着物を見る。

「私にそんな服――」

 困った顔をしている。

 手は相変わらず、同じ所で同じ動きをしている。

 確かにチャオリンが女性らしいチャイナドレスを着たところが想像できない。

 だが、派手過ぎず、それでいて芯が通っているような、この服はチャオリンに似合うと思えた。

「いらなかったら焼けばいい」

 フォンユーは畳み直すと、その場へ置いた。

「刻は進んでいる。君が自分を責めている間にも人は変わっていく。自分だけを見ていたらそれにも気付けないぞ」

「私は罪を犯したんだ。誰にも裁けないのなら自分で罰するしかないだろうが――」

「心配してくれる友達を遠ざけることが罰じゃないだろ」

 チャオリンの手がぴたっと止まった。

 土に入ったまま、ただ力だけが込められている。

「やっぱり駄目――出来ない。声なんて掛けられるはずがない!」

 チャオリンは頭を強く左右に振った。

「出来るさ。手を伸ばすだけだ」

 フォンユーは手を出した。

「手を伸ばせば、届く所に必ず掴める物はあるぞ」

 チャオリンは眉をひそめた。

 不愉快――という表情ではない。

 どこか険が落ちたような気もした。

「――やっぱり、おせっかいじゃないか」

 チャオリンはゆっくりその手を取った。

 フォンユーはチャオリンを引き上げる。

「おせっかいなのはリーチィの方さ」

「いいや。やっぱり兄妹さ。そっくりだよ」

 チャオリンは泣きながら笑った。


*        *        *


 川上では水車が動いている。水が歯車を動かし、様々な器械が動いていた。

 今は刈り入れた稲を脱穀しているはずだ。

 東の高原と村を繋ぐ街道はここで橋を渡る。

 この上には水門があり、梯子で上って操作室へと入ることができる。

 規模的な大きさは無視し、村では《水車小屋》と呼んでいた。

 フォンユーは水車小屋に入ると、操作室の方へ声を掛けた。

「今、来たとこか?」

 遠く水車の音だけが唸っていたが、しばらくすると、二階の入口からゆっくりとリィウィが顔を覗かせた。

 あ、いたの――という表情を見せた。

 直ぐにフォンユーにはバレていると知ったのか、取り繕うのを止めたようだ。

「チャオリンと話したんですの?」

「ああ、元気だった。リィウィによろしくだってよ――」

「――嘘つき。チャオリンがそんなことを言うわけない。あの子はあたいを恨んでるんですの」

 リィウィは身体を引いて見えなくなった。

 フォンユーは梯子で二階へ上がった。

 少し埃臭い。

 ここは水門を操作する部屋だから、水車の方ほど人の出入りは多くないのだろう。

 リィウィは窓に腰掛けていた。

 ここからの眺望ではチャオリンの家までは見えない。三階からなら見通せるはずだ。

 フォンユーは上りきった所からリィウィに声を掛けた。

「なんでそう思うんだ? さっきも言ったように君が赦せばいいだけだぞ」

「元になんか戻れるはずないですの」

「元通りにはならないよ」

 リィウィは顔を上げた。

 フォンユーの言葉に反発したいのか、肯定したいのか、自分でも分からないのだろう。

 眉間に皺が寄り、口が固く結ばれている。

「壊れたものを直すなんてできない。できたとしても、それは壊れる前とは別ものだ」

「なら、あたいとチャオリンはずっとこのまま?」

 いや――とフォンユーは首を横に振った。

「新しく始めればいいんだよ。ただそれだけだ」

「何を始めるのよ――」

「互いに手を取り合うこと」

 フォンユーは横へ退いた。

 そこにはチャオリンが立っていた。

「それなら簡単だろ」

 リィウィが窓から腰を上げた。

「チャオリン――」

「リィウィ――」

 二人はゆっくりと、本当にゆっくりと近付いていった。

 やがて、どちらともなく手を取り、そして抱きしめ合った。

 抱き合ったまま、声にならずに泣きだした。

 ――よかったな。

 フォンユーは心で呟くと、音を立てずに梯子を降りた。


*        *        *


 リィウィとチャオリンを水車小屋で引き合わせたフォンユーは、その足で村へ戻った。

 リーチィが仕立てた着物の届けがまだ残っているのだ。

 主要都市を結ぶ街道は東の高原を抜け、田畑を見下ろすように横を過ぎ、水車小屋の中を通って村へ入る。

 山壁に沿っているが、村で一番大きい主要道路だ。

 村を誇る大きな宿屋や土産屋が立ち並んでいる。朝市を開いたり、行商が道脇に屋台を出したりしている。

 そのまま道を進めば二叉路に当たる。

 山側へ進む方が正式な街道だ。

 フォンユーたちの家の前を通り、西の森へ、そして隣の村へ延びている。

 見た目でいえば真っ直ぐの道の方が街道っぽい。

 大きな屋敷が立ち並ぶ一画で道は行き止まる。村の動向を決定できる重鎮たちがそこに集まっていた。

 その屋敷が持つ歴史ある雰囲気は一見に値する。

 そこそこ広い道が縦横に走り、奥の段々畑まで村は広がっている。

 リィウィの宿屋は街道から一本外れた奥の道沿いに有る。

 仙人大戦により旅人が少なくなって経営が厳しいんですの――とは彼女の言葉だ。

 ちなみにヂーリンの家は街道沿いの一番大きな建物で、食堂と高利貸しを営んでいる。

 もちろん村人から暴利を貪ったりはせず、近隣の町や村への融資で成り立っている。

 かなりのやり手らしい。これらはヂーリン本人の談だから信憑性は高い。

 最後の届け物を終えたフォンユーは籠の中身と紙を見比べた。

「これで終わりかな」

 最後に届けたヂョウさんから貰った橙子おれんじが籠の中で二個ころころしていた。

 村に仕立て屋さんは少ない。手が回らず、リーチィに依頼が来る。

 手が器用とはいえ子供だ。そんなに高額な謝礼は望めない。

 このように、物での支払いの方が嬉しいこともある。

 段々畑から真っ直ぐに延びる道は街道に合流していた。

 ――仕事を紹介してくれた仕立て屋さんの家に寄ってから帰るか。

 フォンユーは伸びをした所で思い出した。

「そうか、仙人兄妹を訪ねるんだった」

 彼らの家は村の外れだ。

 少々うんざりしていると、家屋と家屋の隙間に揺らめく影を見つけた。

 傾陽を受け付けない隙間で、陰よりも濃い影がフォンユーを凝視している。

 フォンユーは誰か分かった。

 休憩を取るような雰囲気で軒先へと近付いていく。

 玄関から続く台床と手すりの上まで屋根がせり出している。雨の日でも籐椅子に揺られていられそうだ。

 フォンユーは台床に籠を置き、手すりへ身体を預けた。

 我ながら工夫がないと自重しつつ、伸びをして、小声で言った。

「またあんたか――俺に何の用だ?」

「軟弱者の様子見だ」

「心配してるのか、けなしてるのか――」

 それはツージーという謎の存在であった。

 鬼となったチャオリンと戦った時、彼に二回助けられた。

 フォンユーは改めてツージーを見てみた。

 梅の花のような紅色の身体は鉄の質感で、人の骨を模している。

 顔は丸く真ん中に同じく窪みが円を描いている。そこに透明な板がはまっており、中で緑色の煙がうねっている。

 構造上、目だと思うが、感情は見て取れない。

 その金属の骨格を、深い黒色の布が何枚も巻き付いている。

 布も生きているように蠢き、紅い骨格がその隙間でちらちらと見えるのだ。

「あんた、霊体だな」

 影の中でのみ投影されて姿を現し、足下が存在しない。

 霊体の特徴だ。

 ツージーも、足下には紅色の金属骨も黒い布も存在せず、ただ浮いていた。

 助けられた時のことを思い起こす――

 一度目は夜だった。

 不意打ちを防いでくれた。

 振り向いた時には、消え行く影のみであった。

 二度目はリーチィとリィウィを助けに行った時だ。

 鬼との力の差は明らかであった。

 彼が助太刀してくれなかったら勝てなかっただろう。

 ツージーがフォンユーを『軟弱者』と呼ぶ所以だ。

 どちらも光のない所だった。

 ツージーが霊体だという証拠である。

 それにしても――と、改めてツージーを見てみる。

「はぐれ霊体か? それとも俺に憑いてるのか?」

「拙者の存在理由はそのうちに分かる。自分の口からは言えん」

「ふうん――」

「今は妹を守る力を身につけるのだ」

「リーチィを? どういうことだ――」

 ツージーは何かに気付く。

 フォンユーもほぼ同時に気付いた。

 それは気配だ。

 フォンユーを注視し、囲むように近付いている。

「二人――あんたの手の者か?」

「おぬしと妹以外は敵だと思っておくことだ」

「答えになってねえよ」

 すう――とツージーは影に消えていく。

 同時に上から足が振り降りてきた。

 フォンユーは手すりに背中を預けて反ってやり過ごす。そのまま回転して軒下へ。

 来訪者は庇から宙返りして降りた。

 手すりを挟んで対峙する。

 小さい女の子だ。おさげが肩先で揺れている。

 フォンユーに見覚えはなかった。

「あの――」

 女の子はフォンユーの声賭けを無視し、突進してきた。

 飛び蹴りで手すりを越えてくる。

 フォンユーが今度は庇を利用する。

 彼女の更に上を飛び越える。

 手すり上で交差する。

 位置が逆転する。

 村人たちが騒ぎに気付いて、建物へと避難し始めた。

 ――仙人の妹の方か。なら、もう一人。

 フォンユーの思考が呼び寄せたのか、横道から背の高い男が出てきた。

 手には小さな雲をまきつかせている。

 ――仙術だ!

 両手で結んだ印が雲を生んでいる。

 男はその雲を前へ突き出した。

 渦を巻く風が地面の土を巻き上げ、円を描きながら迫ってきた。

 フォンユーは転がってかわした。

 その先に粥屋がある。

 フォンユーは二人掛けの長椅子を彼へ蹴り飛ばした。

 男は攻撃を止めてかわし、長椅子をやり過ごした。

 フォンユーはその隙に立ち上がり、間合いを詰めようとした。

 だが、女の子が棒で攻撃してきた。

 多少の武道の心得はあるようだが、脅威はない。余裕でかわせる水準だ。

 かわしている内に男が背中側へ回ってきた。

 ――すぐ傍に妹がいるのだ。攻撃なんてしてこないだろう。

 それはフォンユーの油断だ。

 兄が雲から電撃を撃ってきた。

 フォンユーは思わずかわしてしまった。

「しまった――」

 雷はフォンユーの向こうにいた女の子へ直進した。

 彼女に当たると思った瞬間、稲光が直前で逸れた。

 気を取られたフォンユーへと曲折してきた。

 両腕で防御したが、大きく弾かれた。

 地面に落ちて直ぐにフォンユーは起き上がる。

 彼女は掌の血の紋章を見せ、ニヤリと笑った。

「技を受け付けない結界か」

 フォンユーを前後で挟み込むように兄と妹が移動してきた。

 兄のほうは短髪で凛々しい目と眉をしている。真面目そうだが線が細く、学者然として見える。

 背も高く、袖なしの胴着から伸びる腕にはそれなりに筋肉がついているが、体術は苦手そうだ。

 手に雲を発生させ、そこから雷と竜巻を出す仙術を使うようだ。

 妹は兄に反して背が低い。黒目がちな目は、顔の中心から離れているせいか幼く見える。

 菜の花色の半袖胴着、三つ編みのおさげも加わって、彼女の見た目の年齢をかなり引き下げている。

 こちらは紋章術という仙術で、さまざまな紋章を描く事で術が発動する。

 速効性はないが、油断は出来ない。

 フォンユーは軽く脚を開いて構えた。

 待っていたかのように、兄と妹が同時に仕掛けてきた。

 妹の棒による中距離攻撃と兄の雷と竜巻による遠距離攻撃――

 しかし、二人の仙人としての水準はかなり低い。

 近接向きのフォンユーを追い込むことが全くなかった。

 妹の突いてきた棒を掴むと、フォンユーは押した。

 彼女は押されまいと堪えた――瞬間、フォンユーは棒を持ち上げた。少女ごとだ。

 普通ならそのまま地面へ叩きつけるのだが、棒が天へ向いたところでぴたりと止めた。

 妹は宙空で放り出された。

 勢いはないので、余裕を持って身体を捻って着地した……が、制動を掛けきれず、数歩後ろへ下がっていった。

 それを兄が抱きとめた。

「大丈夫か?」

 兄が優しく声をかける――

 その間にフォンユーは間合いを詰めた。

 両の拳を二人の顔面へ突き出す。

 寸止めだ。

 拳の風圧が二人の髪を巻き上げる。

 二呼吸の後、兄妹はつぶっていた目をゆっくりと開けた。

「俺の勝ちで良いね」

 兄のほうはフォンユーに何度も頷いた。

「ま、そういうことにしておくわ」

 妹は言うと腕を組みながら、少し遠ざかった。

 声も震えていたし、必死に落ちつこうとしているのが見て分かる。

 二人の呼吸が整うのを待って、フォンユーは声をかけた。

「君たちが都から来たって言う仙人の兄妹かい?」

「僕はルンハイ、あっちが妹のダイユ」

「俺はフォンユーだ。よろしくな」

「村唯一の仙人にして、悪鬼猩朱《シンチュー》を退治した男――。本当に?」

 ダイユは訝しさを隠さずに、離れてフォンユーを上から下まで見る。

「まあ――ね」

「仙人とか言いながら体術だけだったし」

「まあ――ね」

 同じ返答をしてしまったが、それ以上言うこともなかった。

「うさんくさいわね」

 村の人達が戻ってくる。何事もなかったように日常生活を再開する。

 フォンユーはそんな彼らに逞しさを感じずにはいられなかった。

「でも僕らの技は初見で見切られてたぞ」

「まぁね」

 今度はダイユが歯切れ悪い。

「福王派の独自のものなのに――」

「風雲術と紋章術だよね」

 フォンユーとダイユが同時に言った。

「「「え――」」」

 三人の異口同音で言った。

「知ってるのか?」

 いや――とフォンユーは言いよどんだ。

 風雲術と紋章術はそれほど特殊なものではない。

 だが、二人には違うように伝わっているようだ。

 フォンユーも言葉を選んで答えた。

「前に聞いたんだ」

「ほら、わたくしたちはやっぱり有名なのよ」

 ダイユが歓喜している。

「お兄様、ここはやはり修行を絶やさず、早くお父様のいる平慶山市へ戻りましょう」

「うん――」

 今度はルンハイが言葉を濁した。

 ――複雑な問題がありそうだな。

 フォンユーは二人を交互に眺めていた。

「とりあえずは、この偽仙人に勝つのが目標ね」

「俺?」

「力は認めてあげるってことよ」

「そりゃ、どうも――」

 フォンユーが苦笑していると、遠くからおじいさんが走ってくる。

「おぼっちゃま~~。お嬢様~~」

 側までやってくると息切れしながらも悲壮そうに言った。

「どこかへ出かける時は一声かけて下さいませ」

 目と口も皺のようにゆるりとした細面が柿餅のような白髪のおじいさんであった。

「すまない、ユゥさん」

「お兄様、謝る必要なくてよ。こいつがもっと気をつけてれば済む話しよ」

 ――目上に『こいつ』とか有りかよ。

 フォンユーは一言申そうと前へ出ようとした。

 それを察したルンハイとユゥが止めた。

 本人が容認しているのなら、フォンユーが口を出すことではない。言葉を無理矢理飲み込んだ。

「そうだ、ユゥさん。こちらはフォンユーくん」

「フォンユー殿? ああ、農工具の修理をして頂けると言う」

「ええ。お受けする旨をお伝えに伺おうと思ってた所です」

「え?」

「俺は本職ではないんです。あの鍛冶屋に剣と筆架叉をタダ同然で貰って、その代わりに研ぎ師をしてただけなんです」

「それは大変失礼致しました! シーヂォン殿にお伺いした所、大変腕の良い修理人とおっしゃってましたので、てっきり――」

 こういう時に褒めるのはただの策略でしかない。

 だが、恐縮するユゥを何とかしなければならないのも確かだ。

「料金も頂けるということなのでお気になさらずに。妹にも絶対に受けろと言われておりますので大丈夫です」

「ユゥ、敵に仕事を依頼したの? なんてお馬鹿さんなのでしょう」

「敵?」

「それは話しが長くなるので、また――」

 フォンユーの言葉だけでユゥは察してくれたようだ。よく出来た人である。

 苦笑を浮かべながらルンハイが近付いてきた。

「君にも妹がいるのか」

「俺より断然強いがな」

「うちと一緒か」

 この一言はかなり小声であった。フォンユーは頷きながら笑った。

「なによ」

 聞こえなかったはずだが、フォンユーの笑いが気に喰わなかったのか、ダイユがむくれた。

 その肩越しにフンが歩み寄っててくるのが見える。

 急いでいる印象は皆無だ。

「騒ぎを起こしてたのはお前らか」

 開口一番、気だるそうに言った。

「遅かったな」

「起きた事件は片付けるのみだからな」

「まじめに働けよ」

 フンは他の三人を見回した。

「最近、越してきた仙人一族か。本当に面倒を起こすのが好きだな、仙人って」

「お前だって仙術を覚えてるだろうに」

「便宜上だ。仙術を知っていても仙人とは言えんよ」

「じゃあ、仙人って何よ」

 気色ばむダイユをフンは一瞥して言った。

「他人と触れ合うことを避けて、己のみに注進する人種のことだ」

「なるほど」

「何納得してるのよ」

 ダイユの剣幕にフォンユーは両手を挙げた。

 ルンハイがフンに頭を下げた。

「すいません、騒ぎを起こして。ごたごたは終わってますので」

「そうか」

 フンはあっさりと納得した。

 ゆっくりと踵を返した――ところで動きを止めた。

「そうだ、はぐれ仙人」

 フンが後ろを向いたまま言った。

「やはり、あの獣はいるらしい」

「獣って何?」

「村を揚げて狩りに行くそうだ」

 ダイユの問いをフンは無視した。

「危険じゃないのか?」

「だからお前も来い」

 えぇ――フォンユーは遠慮なく抗議の声を上げた。

「辰の刻に迎えに行くからな」

「行くこと決定かよ」

 フォンユーとフンのやりとりに苛ついていたダイユが間に入ってきた。

「獣って何なのよ!」

「おこちゃまには関係ない」

 フンはぴしゃりと言い切った。

 きっ――何故かダイユはフォンユーを睨んだ。

「え――?」

 驚くフォンユーを置いて、ダイユはフンを追いかけて行った。

「おい、ダイユ」

 ルンハイとユゥが慌てるように一礼をして、ダイユを追っていった。

 フォンユーが一人ぽつねんと通りに残った。

 ――睨まれた理由が分からない。

 置いた荷物を取りに戻ると、

「まあまあだが、相手があれではな――。もっと精進しろよ、軟弱者」

 暗がりから声のみが聞こえた。

 フォンユーは大きくため息をついて、仕立て屋さんの家を目指した。


*        *        *


 村からの帰り道。

 勾配の街道は、蛇行を繰り返しながら夕陽に向かっていく。

 赤紫に滲む空をぼぉっと眺めながら、フォンユーは思い悩む。

 ――まずはチュンジュン。

 不確定要素が多くて対策が浮かばない。どこにいるのかも分からないのだ。

 チャオリンに変な仙術を仕込んだのがチュンジュンならば、決着はつけなければならない。

 ――次にチャオリンとリィウィ。

 水車小屋に二人を置いてきてしまったが、ちゃんと仲直りできたであろうか。

 力に囚われ、友を殺しかけ、身を引いた者。

 友を信じ、疑念に振り回され、嘘に耐えきれず離れた者。

 壊れたものは戻らないが、やり直すことはできる。

 挫折から立ち直った者たちは、次には簡単に壊れやしない。

 フォンユーは二人のことを考えると頬が緩んでしまう。

 空を見上げながらにやける姿は、周りに人がいたら出来ることではない。

 ――後は仙人兄妹。

 自信が希薄な兄ルンハイと、気迫だらけの妹ダイユ――対照的な兄妹であった。

 事情がありそうだが、踏み込んでいいことでもない。

 ダイユがフォンユーを標的に選んだ理由が分からなかった。

 ――それとツージー。

 彼が霊体である確証は得た。

 だが、霊体につきまとわれる記憶は全くなかった。

「記憶といえば、俺には抜けている記憶があるってチュンジュンも言ってたな」

 独りきりの山道にフォンユーの声が溶け消えた。

 風や動物の声が遠くに聞こえるだけの山道で、一番近い音は土を噛む自分の足音だ。

 フォンユーは思い返してみるが、記憶に抜けなどない。

 生まれてからの記憶。

 師匠や、妹との出会い。

 そして仙人大戦に巻き込まれ、流れ流れて、藤林村へたどり着いたこと。


 ――どうして仙人大戦に巻き込まれた?


 ふと疑念が湧出してきた。

 巻き込まれたことは事実。

 フォンユーとリーチィは命からがら逃げてきたのだ。

 

 ――どうして巻き込まれ、何から逃げてきた?


 いろいろと曖昧であった。

 これを『記憶が抜けている』と言っていいのかどうかだ。

 朧げながら映像も残っているのだから、『記憶がない』わけではない。

 ――仙石がリーチィの身体にあって、それで逃げているとしたら?

 思いつきであったが、辻褄は合う。

 ならばチュンジュンはその追っ手ということになる。

 ――わざわざ警告に来たというのか?

 余りにお粗末だが、彼女なら有り得る気がした。

 ――もしリーチィが狙われているのなら一人にはしておけない。

 フォンユーは足を速めた。

 左へ弧を描く道を曲がると、夕闇の向こうに人影が現れた。

 フォンユーは直ぐに安穏とした心を沈め、警戒心を強めた。

 すぐ動けるように身体に適度な緊張感を持たせる。

 人影からは殺気や仙術の感覚はない。仙力も感じ取れない。

 ――ごく普通の人だ。

 近付くにつれ、影の中にも詳細が見え始める。

 だが顔は見えない。

 長い髪と長い髭に覆われていて、露出している部分が少なかった。

 髪は夕陽の逆光ではあるが、薄汚れた白だ。硬質そうで、束になった房が何層にも重なっている。

 法服のような長い着物を太めの帯で締めている。こちらも白だったようだ。着物の柄も汚れていて良く見えない。

 旅人に見える。

 あっという間に距離は縮まっていく。

 よくよく見ると老人のようだ。

 男性なのは髭だけではなく、わずかに覗く目つきでも分かる。

 すれ違い様、白い老人はちら――と目だけでフォンユーを見た。

 会釈と共にフォンユーの視界から離れていく。

 挨拶されるとは思っていなかった。

 慌てて返したフォンユーの会釈は老人に見えたであろうか。

 フォンユーはしばらくしてから振り返った。

 老人の背中は緩い勾配をゆっくりと去って行く。

 その後ろ姿に勘が閃いた。

 フンからもらった獣の紙を懐から取り出す。

 茨のように尖る白い髪の印象が、獣の頭部から背中に流れる毛と酷似していた。

「似てなくもない――けど、まさかね」

 半分は自分に言い聞かせるように、フォンユーはつぶやいた。

 仙術による変化系は、術者の要素を残していることが多い。

 本人が土台だからだ。

 西洋には狼へ変わる術や、遠い国では緑色の巨人になった話しも聞く。

 だが、術者の《人間》という枠組みを越えて変化したりはしない以上、それらは人型だったと聞く。

 チャオリンは例外であり、鬼に彼女らしさは全くなかった。

 だからこそ村の誰も、親友のリィウィでさえ気付かなかったのだ。

 チャオリンが使っていた術は、鬼の身体を着ている――と言い換えられ、フォンユーによって鬼を完全に破壊された今、チャオリンはその術を使えない。

 髪の毛が似てるから、あなたはこの絵の獣ですね――とは訊けない。

 この絵は人というより、獣に近いからだ。

 本物の獣に会ってみるのが一番であった。

 そこから感じ取れる情報から推理しなければ、冤罪だらけになってしまう。

 もう老人の姿は岩壁の向こう側へ消えていた。

 フォンユーは紙を戻すと帰路へ――。

 フンに文句をつけたものの、村の人が獣を捕まえにいくなら、放ってはおけない。

 ――獣に会ってみるか。

 そう思った時点で、行く事が決定していた。

 フォンユーは苦笑し、次いでリーチィを説得しなければならない事実に思い至って血の気の引く想いがした。

「いや、決して尻に引かれている訳じゃなくて――」

 フォンユーの言い訳じみた言葉は自分にだけ届き、自分だけに痛撃を与えたに過ぎなかった。

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