第2話
リィウィは言った。
「柄は花がいいんですの」
リーチィは着物の仕立てを請け負っている。
その時ついでに刺繍も施すのだが、今はその柄を決めている所だ。
依頼主であるリィウィは、フォンユーとリーチィがこの村に来た時に初めて会った女の子だ。
派手な身なりと言動を警戒し、会って直ぐには近付けなかったが、面倒見が良く、結局は世話になった。
宿屋の一人娘で、村へ来た当初は安い部屋を提供してもらった。
定住しようと思った時、今の住まいを提供してもらえるよう、村のお偉いさんに掛け合ってくれたのがリィウィだ。
住まなくなって数十年の廃屋だった。生え広がった竹と雑草を取払い、家中を掃除し、家具を修理して生活できるようにした。
リィウィはその手伝いもしてくれたのだ。
情の厚い子――それがフォンユーの人物評価である。
彼女のおかげで二人では暮らすには広すぎる空間を手に入れることができた。
ここは入ってすぐの広間だ。
作業部屋にしているが、竈と水を溜めた
真ん中に置かれた机は、リーチィが仕立物をする時の作業用だ。椅子も四脚あって、依頼主であるリィウィも座っている。柄の相談をしている。
フォンユーは板の間を背に、地べたに座り農作業道具の刃磨ぎをしている。
奥には部屋が二つ有り、それぞれの寝室に当てていた。
他にも板の間の横に戸があり、そこから土間に下りられる。
雨露を凌げる以上の幸せがここにある気がした。
「花?」
「そうね……。牡丹なんかいかがですの?」
「牡丹?」
「牡丹というのは――」
リーチィとリィウィは机に向かい合って話し込んでいたが、リィウィが椅子から降り、しゃがみこむと指で土に描き始めた。
フォンユーと同じ目線だ。
「これよ」
胸を張って言った。
リーチィが机から覗き込む。
「雲?」
「これが牡丹ですの」
フォンユーは作業を中断し、覗き込んでみた。
余りのひどさに笑いが込み上げた。絵心はないようだ。
リーチィの評価はまだ易しい。
そう思うと、フォンユーは堪えきれず大声で笑ってしまった。
「なんですの?」
「このまま刺繍されたら、困るのはリィウィだろ」
リィウィがむくれる。
大きく丸い目がフォンユーを睨む。くりんとしていて全く迫力はない。
すらりと伸びた鼻梁がふん――と言った。
美人の部類に入る顔付きで、化粧はしてないのに派手さがあった。
腰まで伸びた髪の毛も黒茶色で目立っている。
彼女の更なる武器は、その胸にある二つの隆起だ。恐らく村一番の大きさを誇る。小振りな瓜を入れているのかと初めは思ったほどだ。
結論的に言えば、リィウィは性格とは反し、存在自体が派手なのだ。
フォンユーはリーチィに視線を移した。
「あとで村へ行くから、チェンさんに描いてもらってくるよ」
チェンさんは村で酒屋をしている。いかついおじいさんで絵が趣味らしい。外見にそぐわないほど、精緻な画風をしている。
彼に頼めば牡丹の絵くらい描いてくれるだろう。
「見てみたい」
「牡丹をか?」
リーチィは頷く。
絵ではなく、本物が見たいということらしい。
「咲くのは確か冬だからすぐだろうけど、必要なのは今だぞ」
「咲いたらでいい」
まあ、そういうことなら――フォンユーは納得した。
この村で生まれ育ったリィウィに尋ねてみた。
「この辺でも咲く?」
「川向こうの丘に咲いてたはず――。でも地形が変わってしまいましたの」
「それでも行くだけ行ってみようか」
リーチィは嬉しそうに頷いた。
「わたくしも行きますわ」
「じゃあ、皆で行くか。お弁当を持って」
「お弁当――は私が作りますわ」
何故か村の人たちは、フォンユーとリーチィには料理をさせてくれない。
皆が口をつけるものは特に――。
「そうか?」
「お二人にはちょっと――」
「なんだよ」
リーチィが不機嫌にフォンユーの横を通り過ぎていった。
布を持って洗い場へ向かう背中をフォンユーは見送った。
「機嫌悪いんだ、最近」
小声でリィウィに言った。
「二人きりで行きたかったんでしょうよ」
「思春期かな……」
「あなたの気遣いが足りないのでは?」
「気遣いが足りない? こんなに妹想いなのに?」
リィウィがやれやれという身振りをしながら椅子へ座り直した。
フォンユーはその右隣へと腰を下ろした。
外で布を洗うリーチィを見ながら、更に声を潜めてフォンユーは続けた。
「最近チャオリンに会ったか?」
リィウィの顔が不機嫌そうにしかめられた。
「あんなやつに会うわけないんですの」
「まだ怒ってるのか?」
「当たり前ですの。死ぬ目にあったんですのよ」
「でも友達だったんだろ。君が赦せば、あの件は終わるんだぞ」
「知りません」
リィウィはそっぽを向く。
二ヶ月前の《
鬼はリィウィの親友であった。
名をチャオリンといい、藤林村の元仙人であった。
その一ヶ月前――今からでいうと三ヶ月前だ。
仙人に届けられた頂上決戦の招待状。それは光仙会の罠であった。
招待状は仙術の一つで、近くにいた仙人を包み込み、仙力を吸い上げた。
吸われた仙人は術を使えなくなり、仙人を諦めなければならなくなった。
そんな人が世界には数百、数千といたらしい。
チャオリンもそんな一人であった。
鬼になった彼女はリーチィを人質に取ろうとした。
偶々一緒にいたリィウィが機転でリーチィを救い出した。
フォンユーが駆けつけるまで、リィウィが鬼に立ち向かいリーチィを守ってくれたのだ。
フォンユーに倒され、鬼の変化は解け、リィウィの目の前でチャオリンの姿を晒してしまった。
リィウィは怒りに我を忘れ、感情を言葉に変えてぶつけた。
それ以来、二人は疎遠となった。
リィウィと喧嘩したから、というより、チャオリンが村から身を引いた――というのが実際だ。
「彼女に訊きたいことがあったんだけど、今も同じ所に住んでるの?」
「おばあさまと一緒よ」
「そうか」
なんだかんだ言って、即答できるくらいの情報はあるらしい。
それがフォンユーには嬉しかった。
リィウィが訝しげにフォンユーへ顔を戻した。
「今更、チャオリンに何の用?」
「君が赦せばこの事件は終わるけど、事件そのものは解決していないんだ」
「からかってる?」
リィウィが眉の間が更に深くなった。
「チャオリンは中途半端な仙力を戻されて醜い姿になった。本来の力を取り戻したいのならリーチィを狙えと言われたら、従うしかないんじゃないか?」
「だから赦せと?」
「時間だけで人間関係は修復しない。リィウィだって本当はチャオリンと仲直りしたいんだろ」
リィウィは顔をそむける。
「話しの主旨が違ってますの」
「これも本筋だよ」
リィウィが横目で抗議してくる。
フォンユーがにっと笑うと、リィウィはためいきをついた。
「で?」
「その張本人らしき奴に会ったかもしれないんだ」
リィウィは大きく口を開けている。
「どうした?」
「なぜその時に捕まえなかったんですの?」
「無茶言うな。俺を敵視してる奴が堂々と姿を見せると思うか?」
「鈍感すぎますわ」
「いやいや。だからチャオリンと話して同じ人物だったかを――」
「捕まえれば一目瞭然だったでしょ。なんで出来なかったんですの」
「女だったからでしょ」
「え――」
上から洗ったばかりの布が落ちてくる。
リーチィが落としたのだ。
「もしかしてリーチィも怒ってるのか?」
「もういないですわ」
「思春期だ。絶対――」
「ともかく会って、同一人物かを確認したいってことですのね」
「そういうことだ」
布を被ったまま会話を続ける。
絞りきれていないから、冷たく重い。
「行ってみるといいですの」
「――どうした?」
「あの件以来、彼女は人との触れ合いを極力避けていますの。きっと彼女自身が自分を赦せてないのでは――と思いますの」
「そうか――」
リィウィは見た目で誤解されることが多いが、気の利く女性なのだ。
チャオリンの現状をちゃんと把握している。
「ま、会ってみるさ」
言葉は直接会って届けるのが一番響くのである。
――思春期の女の子以外は。
フォンユーは自嘲的に思った。
「――布、取らないの?」
「リィウィが取ってくれるのを待ってる」
反応がない。
じ――っと待っていると、そっと布が持ち上がった。
その向こうに、顔の紅いリィウィがちらと見える。
「まあ――どうしたの?」
持ち上がった布がまた落ちて視界を塞ぐ。
別の誰かが近付く気配がする。
頭にかかった布が取り除かれていく。
目の前にヂーリンがいた。
「やあ、ヂーリン。ごきげんよう」
「また、リーチィを怒らせたの?」
ヂーリンは布をかごへ持っていくと、丁寧に入れていった。
「また――ってのは聞き捨てならないな。それほどダメ兄貴のつもりはないけど」
「どうでしょう」
ヂーリンが穏やかな笑みを浮かべた。
明るい部分では緑にも見える黒目が揺れている。
顔の配置が幼いが、フォンユーやリィウィよりも一つ上のお姉さんなのだ。
リィウィとは反対に、彼女は地味めの印象だ。
着ている服も抑えた色調を選んでいるようで、今日も消炭色の上下だ。
「そう思ってるのは本人だけですの」
隣のリィウィの表情は普通に戻っていた。
さっきはもっと紅かったとフォンユーは確信してる。
「だよね」
「おかしいな――」
フォンユーの反応に、ヂーリンとリィウィが笑い合う。
「ヂーリンもリーチィに洋服を仕立ててもらいに?」
「いえ、わたしは――」
「そう、ヂーリンはかわいいのにもったいないわね」
ヂーリンは答えない。
フォンユーは引き車に気付いた。
「何か持ってきたのか?」
「仕事を頼まれてくれない?」
「仕事?」
フォンユーは引き車に歩み寄ってみた。荷台には金物がいっぱい乗っている。
「修理をお願いできないかって」
「鍛冶屋がいるだろう」
「シーヂォンさんがそう言ったの」
「あいつ、いつまで俺を利用しようってんだ」
「これは直接料金を貰っていいんだって。良い話でしょ」
「誰から?」
「最近越してきた家からの依頼なの」
「もしかして仙人兄妹?」
リィウィにヂーリンは頷いた。
「仙人なのか?」
「聞いた話によれば、都で有名な仙人一派なんだけど、この前の騒ぎに巻き込まれて都落ちしてきたみたいですの」
「相変わらず耳が早いな」
リィウィがふふんと威張って見せた。
上着の胸が張り出してきた。
自然と目が釘付けになる。
「褒めてねえよ――」
やっとのことで口にしたフォンユーであった。
リィウィはまたもや膨れた。
「だけどヂーリン。わざわざこんな重いもん、持ってこなくていいぞ。言えば取りに行くから」
「わたしがしたくてしてるの。お稽古事や勉強ばかしじゃ、逆にお馬鹿になるもの」
「そうか。――天気も良いんだし、外へ出た方が気持ちいいもんな」
「うん――」
表情柔らかく笑うヂーリンを見ながら、フォンユーは荷台の物を手に取った。
「でも、これ――……どうするかなあ」
「受けないんですの?」
「鍛冶屋に頼まれたのがやっと終わる所なんだ」
「やって」
戸口にリーチィが仁王立ちで立っている。
「俺だって忙しいんだぞ」
「ん――?」
表情は変わってないが、リーチィの顔は『やらないと怒るよ』だ。
こういう時は逆らわないに限る。
「はい。分かりました」
ヂーリンとリィウィが笑った。
「リーチィちゃん。すっかりフォンユーを尻に敷いてるんですの」
「あたし?」
「そのぐらいじゃないとね」
リーチィは顔を赤くして家へ引っ込んでいった。
「かわいいね」
「尻になんか敷かれてねえよ。妹を立ててるだけだ」
「そういうことにしておきますの」
「本当だよ」
二人はフォンユーの主張を聞き流していた。
「この荷車借りといていいか?」
しょうがないから、フォンユーは話題を変えた。
「うん」
ヂーリンの了承を得て、フォンユーは荷車を屋根の下に移動して、布を被せておいた。
「おーい、リーチィ。後で村に行くから、終わってる仕立物を用意して――」
言い終わる前にリーチィが出てきて、籠をどすんと置くとまた視界から消えていった。
「思春期だよな、絶対」
「女心じゃないの?」
「女心――?」
フォンユーはどんな冗談だ――とばかりに返した。
「頻繁に仕立てを頼むあたいや、重い農工具を持ってくるヂーリン、それに兄への仄かな思いを抱く妹の気持ちなんて理解できますの?」
ここまで直接言われればフォンユーでも、はっ――とする。
「まさか、お前ら――」
フォンユーが二人を交互に見比べる――が、すぐにリィウィが不愉快そうに否定した。
「たとえ話です。実際、あたいはありませんの」
「わたしも」
「あたしも」
リーチィまでもが自分の部屋から言ったのが聞こえ、フォンユーは撃沈した。
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