第5話 廃人化
もちろん、裏面の世界や赤魔人、魔法少女のことを言えるはずもなく。
だから話せることと言えばかなり絞られるわけだが――、
それでも俺は思い出す……と言っても、まだ一日も経っていなかった。
文化祭後の振替休日を挟んだ、次の日の登校日である今日。
校門を抜けた後に、やけに注目されていると思えばそりゃそうだと思い出す。
嫌なことを思い出してしまった……、告白祭で俺はいりすに盛大にフラれ、食い下がった結果、見物人の非難を買ってしまい、それを収めるために舞台上で堂々と土下座をした。
その甲斐あって、危惧していた事態にはならなかったものの、心境は複雑だが、一躍、有名人になってしまったらしい……。
好奇の視線が多いが、だからこそ敵意がないのを喜ぶべきだろう。遠巻きに見ているだけで俺になにかを言ってくる生徒はいないみたいだし。
たとえ文句があっても、その全てが裏面へ押し込まれるため、荒事にはならないが、ステイシアが言うには俺は例外らしいので、安心もできない。
あまり迂闊にはしゃぐと、せっかく収めた非難がぶり返してしまう。
そうなると俺の身がもたないだろう。なのでこそこそと人目に映らないように登校した。
下駄箱で靴を履き替えたところで――あ。
「い、いりす……っ」
今、一番会いたくないやつと出会ってしまった。
ど、どうしよう……?
人目もあるし、でも挨拶しないわけにもいかないしな……。
彼氏彼女の関係にはなれなかったものの、友達をやめたわけではないのだから。
それに、こんなことで関係が途切れるのも嫌だった――だから。
注目されているのも構わず、手を上げて挨拶をすることにした。
「お、おう、いりす、おは――」
瞬間、いりすが俺の胸に飛び込んできて、慣れた手つきでがっしりと抱き寄せる。
この感触には覚えがある。
それもそうだ、だって俺はよく、こう抱きつかれている。
ただし、こっちではなく、あっちで。
おかしな言い方かもしれないが、いりすではなく、いりすに。
そう、裏面バージョンの、魔法少女の姿をしたいりすの方にだ。
「お、お前……裏の、いりす……か?」
水色のセーラー服を纏ういりすが、決して見せてくれなかった満面の笑み。
それが今、俺の目の前にあった。
夢か? 幻か? いや、頬を引っ張っても痛いだけだった。
目は醒めない。……ってことはだ。
「くすっ、正解っ」
「なんで……?」
「気付いたらこっちにいたの。目の前にもぐらがいたから抱きついただけよ」
「だからって抱きつくなって。こっちは裏と違って人目が――」
ある。
そう、まさに今だって登校している生徒たちにばっちりと見られているわけで。
「やっっべ……ッ」
引き剥がそうとしたが、それ以上の力で抱きついてきたので、仕方なくいりすの体を抱えてとにかくこの場から離れる。
なんだか、拭き取ったつもりがただ引き伸ばしただけになったテーブルの上の汚れみたいな状況だが、あの場に居続けるよりはマシだと思う……。
人目のつかない場所へ逃げたいのに、その道中にばっちりと見られているのは本末転倒だろうか……、でも移動しなければどうしようも……いや、いりすが降りればいいだけでは?
「わたしは見られても構わないもん」
「俺は困るんだよ……っ、いや、嫌なんじゃなくてな。
お前って、こっちじゃ人気者なんだよ。そんないりすを平々凡々の俺が攫っていったって広まれば、生まれた悪感情が俺を狙ってくるんだって!」
告白して盛大にフラれておきながら、まだ諦めていなかったことも拍車がかかる。
今の俺といりすを見れば、俺が無理やり襲っているようにしか見えないだろう。
廊下は危険だ。どこか落ち着ける場所は――、
「そこ、保健室」
と、いりすが指差した。
見れば、ちょうど保健室の先生が出ていくところだった。
慌てた様子だった……、であればすぐに戻ってきそうだが、その僅かな隙間で構わない。
俺はとにかく、このわがまま姫を体から引き剥がせればそれでいい。
その後の誤魔化しはどうとでもできる……もちろん痛みは伴うが……。
保健室に逃げ込む――と、中は満席……どころか溢れ出ている。
ベッドだけでなく、中央にある長方形の椅子に乗り切らないくらいの生徒が保健室にいた。
予想外の人数に面食らい、引き返そうと思い至るまでに数秒かかってしまった。そのタイムラグは、取り返せないほど致命的だ。
扉を開けた俺にしがみつくいりすを、見ていないなんてそんな奇跡があるはず……いや。
「……誰もこっちを見ていない……?」
十人以上が保健室に集まっておきながら?
猫背で地べたに座っている生徒たちだけでなく、椅子に座っている生徒も、ベッドに横になっている生徒も、全員が俺が入ってきたことに気付きもしなかった。
「全員、三年生ね」
異変を感じ取って、俺の体から手を離したいりすがそう判断した。
全員の顔と学年を覚えているのか、と思ったが、なんてことはない、学年によって上履きの色が違うのだ。
それだけ知っていれば、俺でもこの集まりを見て全員が三年生だと分かる。
「い、息は……?」
「してる。生きてはいるよ。でも、生物としての活力がないみたい」
目は開いているが、その瞳は真っ黒で、なにも見ていない。
目の前で手を振っても、なんの反応も示してくれなかった。
ぱっと見ただけなので、確かなことは言えないが……外傷はなさそうだ。
だとすると、やはり心の方にダメージがなければこうはならない気がする……って、心?
じゃあこれって――、
「うん、赤魔人に襲われて、廃人化したってことだと思う」
その時、保健室の扉が勢い良く開いて顔を出したのは、白衣を着た若い女性。
さっき出ていった用事が終わって、戻ってきたのだろう。
「あなたたちもなの!?」
「いや、俺たちは違います」
「そう……それなら良かったわ」
ほっと胸を撫で下ろすが、被害者が減ったわけではない。増えなかっただけだ。
「なにか知ってる? 朝から何人も体が怠いって、訪ねてきたのよ。最初はサボりなのかと思っていたけど、これを見たらそうじゃないだろうって……。熱もないし、怪我をしているわけでもないのに、誰も反応を示さなくなっちゃって……っ」
先生も知らない症状のようで、こうなると対処ができなくて、てんやわんやだ。
十人以上の生徒が一斉に不調を訴え、しかも意識はあるものの、まともに受け答えができない状態ときたものだ。職員室は今頃、なにから手をつけたらいいのか分かっていないはずだ。
救急車をすぐに呼ばないのは人数のこともあるだろうが、できれば大事にしたくないという世間体もあるのかもしれない。
目で見て分かるほどのショッキングな映像ではないため、呼ぶことに踏み切れずにいる、という感情もある。
心の問題なら、と軽視している先生も中にはいそうだ。
「どうしよう、どうしたら……、ああもう、私に頼られても心の問題は私には――」
息を吐く間もなかった。――がたんっ、と先生が倒れた。
いきなり過ぎて状況に頭が追いつかなかったが……、倒れた? 先生が?
急な仕事の量に割くリソースがパンクした……疲労で?
それとも、先生も三年生と同じく……?
「もぐらっっ! 今すぐに裏面に切り替えてっ!!」
いりすの大声が響くが、切り替える? どうやって?
俺はいつも、明確にこれをしたら裏面にいける、というやり方をしていない。
ステイシアに隠しているわけではなく、本当に、スイッチを押すみたいに裏面と表面を行き来しているわけではないのだ。
裏面に入ったことさえ気付かないことなんて何度もある。
だから気付いたら入っていた、というのが正しい。
意図的に裏面にいくなんて、意識すればするほど、どうすればいいのか分からない。
「できないならこの部屋から逃げてっ! この部屋に、赤魔人がいる!!」
その時、左腕に走る焼かれた感覚。
圧迫感はなかったのに、袖をめくってみれば、まるで手の平に握られたようにくっきりと火傷の痕があった。
肌が赤黒く変色していく……やがて下から上へ、肩に近づくように火傷の痕が広がっていく。
同時に痛みを、俺の脳が気付き始めた――。
「っぁ、っ、うぅぎぐうぅうぁあッッ!!」
痛みで意識が吹き飛びそうになる。吹き飛ばした方が楽だ。だが、裏面にいる俺は表面にいる俺と同一なのだと、かつてステイシアは言っていた――そう。
『赤魔人に襲われたやつはダメージが表面の心に向かう。だから廃人化するんだよ。でもおまえは裏表がないから、一人の人間としてかんそくされる。
つまりさ、おまえの場合は赤魔人に襲われたらダメージが心でなく肉体に向かうんだ。だって身代わりとなってくれる裏面のお前がいないんだからしょうがないよな――』
だから、ここで意識を失えば、裏面にいる無防備な俺はされるがまま、蹂躙される。
ここが表面でも裏面でも変わらない……、違いは赤魔人が見えるか否かだけだ。どちらにせよ俺は意識を失う前に、この場から離れなければ、廃人化はしないものの、単純に死ぬ。
「……誰、なんだ……?」
廃人化した三年生……、そこに二年生や一年生は含まれていない――三年生のみ。
赤魔人が狙うのは、非難してきた者だけだ……つまり報復、復讐……。
三年生だけを集中的に狙う復讐者となれば、おのずと限られてくる。
結局、復讐なのだからやられなければやることがない。
三年生が上級生ゆえに、些細なことでも下級生から集中的に恨まれることはあるかもしれないが、逆に複数の上級生が下級生の一人を集中的に非難することはあまりないだろう……、そうなると赤魔人の正体は、同学年の三年生である可能性が非常に高いと言える。
基本的に赤魔人は、問題が起きてから出現するのが早い……、数ヶ月前のことが今更、燃え広がることはないのだ……だから直近のこと。
プライベートなことなので細かくは絞れないが、それでも直近でなにか、目玉となるイベントがあれば原因はそこにあるだろう。
直近で言えば……文化祭。
ううん……? 裏で誰が非難を受けていたかなんて、そんなものごまんとケースがある。
悪目立ちをした俺の印象で、周りの些細な事件なんて消されてしまいそうなものだが、そうでもないのか? 声に出すほどではないが、それでもちくちくと痛かったのだから、誰もが裏で俺のことを良く思っていないのは分かっていたけど……。
俺以外で、文化祭の中で非難を受けても仕方ない人物がいた……?
多くの三年生が、一人の三年生に非難をする失敗なんて……。
もうこれはプライベートな問題に首を突っ込まなければ分からないと思えたその時だ。
「……まさか、柔道部の……!」
思えば、確かに、責められても仕方のない立場にいた三年生だ。
しかも俺の醜態が広がれば広がるほど、芋づる式に掘り返されてしまう。
なぜなら彼が持っていた最後のスタンプを俺に渡さなければ、別の三年生が告白祭の舞台に立てていたのだから――。
「じゃあ、だったら……ッ、先生は関係ないだろうッッ!?」
まだ朝にもかかわらず、夕日のような赤が見える……それは炎だった。
気付けば、保健室を真っ赤に染めていたのは、ガタイの良い赤魔人。
そのシルエットは文化祭で向き合った、柔道部主将のそれである。
「はい、れた……?」
きっかけは分からないが、つまりここは――裏面の世界!
その時、背後から聞こえた足音に振り向くと、大穴が開いた壁の先から、青い魔法少女姿のいりすが部屋に入ってくる。
三又の槍の切っ先を、赤魔人に向けて構えていた。
「やっとこっちにきてくれた」
「いりす……ぼろぼろじゃないか!」
怪我はないものの、肌を守る衣服は破れてぼろぼろだった。
今まで赤魔人に対して、遅れを取らなかったいりすにしては珍しい苦戦だ。
「――俺も手伝うぞ、いりす」
「気持ちだけもらっておくね。大丈夫だから気にしないで」
「でも……!」
「いいから。足手まといはこっちこいって」
大穴の先から、俺を手招くステイシアの姿が見えた。
足手まといと言われて黙っていられなかったが、反論の余地もない。
いりすのような武器も魔法もない俺が、ただでさえ炎に包まれて手が出せない赤魔人に対抗できる術はなに一つ持っていない……。
客観的に見れば確かに、俺はいりすの邪魔にしかならないだろうな。
手招くステイシアの元へ進む俺とのすれ違いざま、
「ありがと、もぐら」
いりすがそう言って、赤魔人に飛び込んだ。
「あんなにぼろぼろになって……いりすは本当に大丈夫なのかよ……ッ」
こんな俺にでも、なにかできることがあるのではないかと思ったが、それは随分と前にステイシアによって否定されている。
表面の身代わりになれない俺は、生身で炎に突っ込むのと変わらない。
たとえ離れたところから干渉したとしても、危険の渦中にいることがいりすの神経を無駄に使わせてしまう結果になる。
だから、黙って見ていることが一番の手助けになるのだ。
それは隣で見ているだけのステイシアも同じだった。
ただ、見ているだけでは落ち着かない俺とは違う。
ステイシアは裏面の管理人であると同時に、魔法少女の契約者でもあった。
つまり、いりすが傷だらけになって戦うことを受け入れているどころか、それを促した張本人である。
もちろん、怪我をしてほしいとは望んでいないだろうが……。
「安心しなよ、いりすの力はこんなもんじゃない」
視線を戻せば、ぼろぼろだったいりすの衣服が綺麗に復元されていた。
体中の汚れも、洗い流した上でさらに身なりを整えた完璧な容姿に戻っている。
それから。
身の丈以上の槍を軽々と振り回し、
襲いかかってくる炎を斬って道を開き――力強い刺突!
三つの切っ先が、赤魔人を貫いた。
「仕方ないことなのに悪者にされては責められて……みんな酷いわよね。
同情はするけどね、でも、無関係な先生にまで手を出したのは見逃せないわよ」
『あいつさえ……天条もぐらさえ、いなければ……ッッ』
「だーかーら。あれは天災みたいなものなんだって。だから同情するって言ったでしょ」
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