第4話 妹二人と弟
「おかえり兄ちゃ……っ、ッッ!?」
成長期なのか、最近、すこぶる身長が伸びてきた上の妹が、黒髪のポニーテールを揺らしながら玄関で俺を迎えて、すぐに言葉を詰まらせた。
「ただいま。どうしたんだよ、ぽかんとアホな顔をして」
「だって兄ちゃん……、後ろ……」
妹の視線は俺の後ろに向けられている。驚くのも無理ないだろう、俺は滅多に家に友達を連れてきたりはしないし、しかもそれが彼女だなんて――生まれて初めてだ。
「なんで! い、いりす会長!?」
「久しぶり、かなたさん」
俺以外に向けられる外面モードでいりすが妹に微笑んだ。
この二人は面識がある。中学の頃の俺といりすよりも密接だろう――なぜなら二人は生徒会長と庶務として、一年間も共に活動をしていたのだから。
「ほら、あんたたち、早く入りなさいよ」
最後尾にいた母さんが俺といりすを急かす。
……元々、いりすを家に招くつもりなど欠片もなかったのだが、下校中に買いもの途中の母さんに見つかり、話の流れで一緒に夕食を食べることになったのだ。
いつものいりすなら断っていただろうが――今回は仕方がない。
母さんの厚意を無下にしないために空気を読んだわけでなく、母さんのお誘いを受けたのは本来なら裏面にいるはずの、もう一人のいりすだったからだ。
「……お邪魔します」
――のだけど、今のいりすは表面のいりすであるため、母さんと出会った時の元気も、俺へのべったり感もなく……、
かと言っていつものように俺に罵詈雑言を浴びせることも当然できない状況だ。
さすがに家族の前で俺を貶めることまではしないようで一安心だ。
「あら、見られていると素っ気ない感じ? さっきまであんなにラブラブだったのに」
「そ、それはっ、その……っ」
「母さん」
俺が制止すると、母さんは、
「はいはい」と追及をやめて、買いもの袋の中身を冷蔵庫へ移し始めた。
「狭くて、汚くてごめんねー。もぐらが初めて連れてきてくれた彼女ちゃんだから、もっと盛大にお祝いをしたかったんだけど、見ての通り家計がね……」
「い、いえ、それはお構いなく……」
部屋が丸見えになる玄関から上がると、すぐにキッチンが見えるリビング。
襖を一つ挟んだ先の一部屋で、俺と弟、二人の妹と母さんの五人家族で生活している。
築五十年になりそうなボロいアパートの二階で、隣の部屋のテレビの音が聞こえるくらいの薄い壁だ。物心がついた時からここに住んでいる俺は気にしないが、いりすは気になるようで……というより珍しがって部屋を物色したり、些細な音に敏感に反応している。
アパートのすぐ目の前が踏切なので、電車が通る度に騒音がうるさいし、通過する電車の風で部屋が揺れる。
もうほとんど地震なので、本当の地震との違いが分からないことが俺たち家族には多々ある。
「三匹の子豚……」
「わらじゃないからな?」
失礼な呟きを漏らしたいりすを、奥の部屋へ招く。
すると、坊主頭。
が、一番最初に目を引いた。
部屋に一つしかない大きなテーブルに勉強道具を広げている一つ年下の弟が、力尽きて突っ伏していた。だらんと投げ出した両手の先には、ペンすら握られていない。
「……兄ちゃんか……おかえり」
「よう受験生。その様子を見るに、苦戦してそうだな」
「なんだよこれ、分かんねえよ……難しいっての……これ覚える必要あんのか……?」
「俺も通った道だから気持ちは分かるけど、仕方ないよ。選んだのはお前だ。
お前がいきたい高校は俺のところよりも偏差値が上なんだから、去年の俺よりもっと頑張らないと合格できないぞ?」
「分かってるんだけどさあ……っ」
「どこが分からないの?」
すると、弟の隣にいりすが座った。
今更ながら、いりすの訪問に気付いた弟――
「い、いりす会長……!?」
「元、よ。そっか、そうよね……いっこ下なら今年が受験生よね」
「に、兄ちゃんっ、なんでこの人がここに……ッ!?」
「ああ、俺の彼女なんだよ」
「よりにもよって!?」
「……それ、どういう意味なのかしら」
世覇が怯えるのも無理ない。
いりすはよく世覇を呼び出し、お灸を据えていた。
悪意がないのは誰にでも分かるのだが、世覇は何事もやり過ぎてしまう。
上手く加減ができないのだが、言い換えればいつも全力だ。やるか、やらないか。極端な弟は、だからこそ、中学では問題ばかりを起こしていた。
去年はその後始末にいりすが奔走させられていた。
問題と言っても悪童ってわけではなく、世覇は基本的に興味か善意でしか動かない。
困っている人を見つけたら思わず手助けしてしまうくらいには良いやつだ。
ただやり方がな……。
過激な時があれば、間違った方向に一直線に進んでしまうこともあった。
それによって出る被害は小さなものから大きなものまで。
なまじ、世覇の人柄が知れ渡り、行動原理が把握されていると、教師としては取り締まりづらかったのだろう……、誰だって自分が悪者にはなりたくはない。
そんな中で、人の目を気にせず世覇を説教したのがいりすだったわけだ。
人の目を気にせず、なんてどころか、生徒会長として自分がやらなければ誰もやらないことを感じ取って、空気を読んだいりすの行動だろう……なのでばっちり気にしている。
結果的にいりすの会長としての株はこれでかなり上がったのは事実だ。
「いや、いいっす。会長に教わるくらいなら自分で頑張ります」
「へえ、ますます面倒を見たくなってきたわね。それと元、ね。もう会長じゃないの」
世覇のことは、会長でなかった二年生の頃から、いりすは気にかけてくれていた。
一応、小さい頃に面識はあるはずだけど、世覇の方は記憶になさそうだ……。
俺の後ろをついてくるだけだった世覇やかなたは、あくまでもおまけで、いりすと頻繁に絡むこともなかったのだから。
俺といりすが会わなくなれば、二人も会う機会もそうそうないだろう……、妹のように生徒会に入りでもしなければ。
なので、下の妹であるこなたは、いりすと接点がまったくなかった。
今も同じ部屋にはいるのだが、元から人見知りをする性格のせいか、部屋の隅っこで俺たち兄妹で一台を共有しているスマホを熱心にいじっていた。
ネットサーフィン中かな?
でも、ちらちらとこっちを窺っているので、没頭しているわけではないようだ。
視線を逸らすと――、
「あ……」と、か細い声が聞こえたので仕方なく視線を戻す。
「ただいま、こなた」
「……兄さん……いいから、放っておいてよ」
構ってほしいアピールをしておきながら、すぐこれだ。妹じゃなかったら向き合う気も起きずに放っておいている。
だけどまあ、こなたがこうなった理由を知らないわけでもない。
こなたの友達が病気になって登校しなくなってから、もう一年以上が経っている。その子はまともに喋れなくなってしまったらしく、こなたはその子に罪悪感があった。
喋れなくなるような、直接的になにかをしたわけではないようだが、謝りたかったことができずにいることで罪悪感が膨らみ、一時は自責に押し潰れそうになっていた。
そこからいくらかマシになったとは言え、今度は塞ぎ込んでしまうようになり……、不登校にはなっていないが、昔ほどの元気はなくなった。
その子を気にして、なにをしても楽しめないのだろう……、どうにかしてやりたいとは思うが、どうにもしようがない。
謝りたいその子が回復しない限りは、こなたも完全に、復活できるとは言い難い。
心の問題だ。荒療治はできるだけ避けた方がいいだろう。
「いりすかいちょー」
「だから……、もういいわよ会長で。どうかしたの?」
「お母さんが兄ちゃんの好物の作り方を教えてくれるって」
キッチンの方から母さんの声が届く。
「胃袋を掴めば、もうあれを制御できたようなものよ」
あれって……。
俺は食べもの一つで言うことを聞く単純な生物じゃないんだが……。
「いりす会長……いってきていいぜ。おれのことは気にするな」
「あなたは勉強したくないだけでしょう……! はぁ。お母さんのせっかくの提案を断るわけにはいかないし……。別に、あんたのために作り方を覚えるわけじゃないからっ」
そう俺に捨てセリフを吐いて、いりすがキッチンに立つ。
しばらく、
母さんといりすが背中をこっちに向けて料理をしている姿を見て……うん。
なんかいいな、こういうの。
「それで、兄さん」
珍しく……いや、昔のように前のめりになってこなたが急接近してくる。
そして、以心伝心しているかのように、世覇も腰を上げて俺の隣に座った。
やがて、キッチンに通じる襖を閉めて、上の妹のかなたが背後から俺の首を絞め――、
「お、お前ら……ッ、なにが……!?」
『どうやって口説いたの(たんだ)?』
……興味津々な三人の瞳からは、逃げられそうになかった。
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