第2話 掛け違い

 告白祭の本番、舞台に上がった俺が、マイクを通してあいつに呼びかける。


「――神酒下みきしたいりすっ、さっさと舞台に上がってきやがれっっ!!」


 ……喧嘩腰なのは仕方がない。だってあいつは、あっちの世界でべたべたとくっつき、好意をアピールするくせに、こっちだと目も合わせないくらいに俺を嫌っている。


 小学校、中学校、そして高校と、さすがにクラスまでは別れてはいたけど、九年間も毎日、顔を合わせている腐れ縁だ。

 出会ったばかりの頃こそ仲は良かったものの、高校に上がってからは無視どころか俺を突き放してくる始末だ。


 理由を聞いてもまったく相手にしてくれない。中学の時は交流こそ減ったものの、それでも顔を合わせれば世間話くらいはする仲だっただろうにっ!


 すると、呼ばれてすぐに、こつ、こつ、と強調したわけでもないのに高く響く足音——舞台上から見える観客の間を、あいつが真っ直ぐに進んでくる。


 俺に呼ばれて素直に歩き出したのは、ここで言い合ったら、周りに迷惑がかかると思ってのことだろう……、まず気を遣う、あいつはそういうやつだ。


 肩まで伸びているリッチウェーブ……、クリーム色の髪を揺らしながら、である。


 身長は平均的で、細身だが、出るところがきちんと出ていて、単純にスタイルが良い。


 服装によってぐっと印象が対極に変わるような、汎用性の高さを備えた理想の体型。


 すると、誰に言われたわけでもなく、さっと左右に引いた生徒たちで作られた、人の道。


 やがて、舞台上にいる俺と同じように、スポットライトがいりすを照らした。


 文化祭なので服装は自由だ。普段着ている、男子なら赤いワイシャツに学ラン、女子なら水色のセーラー服に囚われることなく、クラスで作ったTシャツや、飲食系の出店をしている生徒はエプロン姿のままだったりと、多種多様だ。

 その中でもいりすの衣装は仮装に近いものだった――そう、吸血鬼。


 俺たちのクラスがお化け屋敷をしているからこその仮装だ(ちなみに俺は包帯を全身に巻いたミイラ男だったりする)。


 黒いマントを羽織り、コウモリの小さな羽を背中につけ、付け八重歯をマウスピースのように咥えている。

 吸血鬼らしく、肌の色を薄くする化粧もしていた。顔色が悪い、と言えなくもないが、それでも変わらず美少女に見えてしまうあたり、さすが『百人斬り』と呼ばれるだけある。

 本当に百人も告白してフラれたのかは定かではないけど。


 舞台に上がったいりすが、まず八重歯をはずす。咥えているので、客寄せのためにただ立っているだけならいいが、返事をするには咥えたままでは難しいからだろう。

 黒いマントを脱ぐ必要はない……が、いっそのこと脱いでほしかった。


 マントの下はいつも見ている水色のセーラー服であり、だからこそ見慣れているはずなのに、マントの隙間からちらちらと見えてしまう肌色が、いつもより心をざわつかせる……。

 隠れているからこそ、なんだか色っぽく見えるのだろうかっ!?


 そんな雑念を振り払う。


 性格はあれだけど、やっぱり可愛いな、こいつ……。


 振り払い切れなかった雑念に、両手で頬を叩き、気を引き締めた。


 よしっ、と気合いを入れてさあ開口だ――。


「いりす……俺、お前のことが――」



「嫌です。ごめんなさい付き合えません……はい、これで満足?」


「ちょっ――俺、まだ肝心なところ言ってないだろ! 最後まで言わせろよ!!」


 というか、こいつ今、断りやがった!?


「最後までって……、どうせ『好きです付き合ってください』でしょ? この状況でそれ以外の言葉が出てくるなら、企画の趣旨を理解していないバカじゃない。

 それとも告白祭を台無しにしてまで伝えたい別のことがあったりするの?」


「それは……」


「ないのよね、じゃあ終わり。吸血鬼の化粧も落としたいし、帰っていいわよね」


 冗談の欠片もなく、さっと背中を向けて舞台から下りようとするいりすを慌てて止める。


 企画の趣旨を言うならお前も! もうちょっとこう……こっちの意を汲めよ!?


「お、お、お前! よくもまあこのシチュエーションで断れるよなあ!? 俺、超ダセえじゃん! 笑いものじゃん! こんなん、不登校になってもおかしくないレベルのトラウマになるって分かってんのか!?」


「あんた、そんなに弱いメンタルだったっけ?」


「お前に鍛えられたおかげで今はだいぶ強くなってるよ!!」


「あたしが言ったのは昔のあんたのことだけど……ならいいじゃない、誰も困らないし」


「そりゃそうなんだが……だとしても、傷ついてるからな!? 

 断るならもっと――っていうか、なんで断るんだよ、意味が分からねえ!!」


「え、簡単なことでしょ。あんたのことなんか好きじゃないから」

「嘘つけぇ!!」


 どの口が言う。あっちのお前は、お前自身のはずだ。


 表に出ないからこその裏だが、だからこそ表裏一体で、お前の気持ちのはずなのに。


「お前は、俺のことが、好きなんだろ!?」


「…………気持ち悪いんだけど……。その妄想にあたしも付き合わなくちゃならないの?」


 身を引いたいりすの本気の拒絶。

 これまでも拒絶と言えばそうだったが、明らかに毛色が違う。

 理由は分からないが、あくまでも友人ということは認めた上で突き放されているのとは違い、赤の他人として、変質者を見るような目だった。


 いりすの怯えが周囲に伝播していく。


 今の一連のやり取りは、忘れていたが、舞台の上でおこなわれていた。


 スポットライトが当たって、どうぞ見てくださいと言わんばかりの中で、俺の醜態は、生徒たちから非難の対象になるには、充分過ぎる素材だった。


 だから行動は迅速に。


 早いこと鎮火させなければ、俺の体がネズミにかじられたチーズ状態になってしまう。


「――ごめんなさいっ」


 だから土下座をした。舞台上で。


「えっ――ちょっ、ちょっとっ!!」


 戸惑ういりすの声だけが、頭上から聞こえてくる。

 顔は見えない。だって頭を下げているから。


 床に額をこすりつけて、加害者の最低野郎から、とにかく最低でも、ダサくて惨めな可哀想なやつにまで印象を上げる(下げる?)しかない。


 これが今の俺の、精一杯だった。


「いいから、もういいから顔を上げなさいよ。……らしくない。らしくないわよ!!」


「いりすだって、ここで俺に頭を上げさせるのは、らしくないと思うぞ」


「あんたがあたしをどう思っているのか、よーく分かったわよっ!」


 思う存分、罵るだろうと思っていたけど……。


「はぁ。許す、から……頭を上げて。

 この光景は逆にあたしの印象が悪いから」


「それもそうか」


 すんなりと頭を上げた俺を見て、いりすは訳が分からないと言いたげな表情を見せる。


 俺もお前の裏表を見比べた時、そんな感じだったよ。それは今も変わらないが……。


 いりすにとって不都合になるなら、彼女のための土下座もすぐにやめるべきだ。


 とにかく、周囲に、「いりすは傷ついているわけじゃない」と思い込ませる必要がある。


 それでもチクチクとした痛みはあるだろうが、刃物で突き刺されるような痛みに比べたら全然マシだ。応急処置としては、求めた成果はもう出ているだろうから、後はできるだけ周囲の目に映らないように逃げるのみだ。


 となると、


「いりすって、可愛いよな」


「はぁ? 急になによ。

 そんなこと言われたって、あんたのことが嫌いなのは変わらな」


「みんなもそう思うだろ?」


 客席に同意を求める。

 男子はもちろん、女子からも厚い信頼を置かれているいりすへの同意を、無下にする者はいない。入学当初から美少女として話題に上がっていたのだ、いりすの容姿は既に嫉妬する者がいないくらいの共通認識になっている。


 既に手が届かない場所にいる者に、嫉妬なんかしないだろう。

 レベルが違うという諦めの境地に入ると、信仰心と同じで、ほとんどがイエスマンになる。


 いりすが言うことは全て正しい……とまではいかないまでも、彼女の影響力は凄まじく、だからこそあいつが俺を許せば非難も収まる――という前提の上での回避だから、これが崩れるとなると正直、対処がなくて厳しい……。


 それでも俺が取れる行動は思いつく限りこれしかないため、不安でも進むしかない。


 だから客席からすれば、今更なことに同意を求められていることになるが――実際の狙いはいりすの方だ。本人がいないところでたくさん言われていたとしても、じゃあ、いざ目の前で言われること、というのは、そうそうない。


 面と向かって可愛いと言う生徒はいないし、いりすも言われた経験などないだろう。


 だからこそ、衆目を集めた舞台上の彼女は、

 俺の手の平の上で転がるように、顔を真っ赤にさせた。


 ころころと変わる表情は、普段から澄ました態度のいりすからは見られないものだ。


「や、やめて……。そんなこと、ないからぁ……っっ」


 褒め殺しで唸っているいりすを尻目に、俺はゆっくりと舞台から下りる。


 客席の目から俺の意識を逸らすことに成功……。いりすの照れ顔というレアな表情が見れた生徒は、俺のことなど忘れる――まではいかなくとも、そう強く印象に残ることもないだろう。


 それにしても、ますます分からなくなった。


 俺のことが好きじゃないなら、あの過剰な好意のアピールは、一体……?

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