「リバース魔法少女」part2
第1話 悪意の赤
歩道橋の上から見渡せる、だだっ広い大通りには走る車が一台もなく、大晦日のように、いや、それよりもまったくと言っていいほど、人も歩いていなかった。
平日、夜の十九時だと言うのに、だ。
等間隔に設置されている街灯が、さっき唐突に割れ、一切の発光をしなくなった。
そのため、頼れるのは月と星明かりだけだった。
だが、遠くから光源が近づいてきているおかげで、変わらぬ町並みが見えるようになる。
光源は白光ではなく、赤光。
炎の塊。
それが、人のシルエットを浮かび上がらせながら、ゆっくりとこっちに近づいてきている。
「なんだ、あれ……っ」
人が燃えているなら一大事だが、助けを呼ぼうにも人っ子一人いないし、取り出したスマホも息を合わせたかのように圏外だった。
『私は、悪くない……ッッ』
炎に包まれた人影が頭を抱えてうずくまった。
女性の声で、同じ言葉が繰り返される。
『悪くないッ、私は、なにもッッ、ただ、私は空気を読んで、合わせただけ……ッッ』
なのに、どうしてッッ!
甲高い大きな悲鳴が、周囲の火力をさらに強くさせた。
炎が柱のように、天に昇っていく。
空まで伸びた炎が、頂点で折り返した後、周囲に大きな塊となって降り注いだ。
まるで噴火だ。
落下した炎の球体が、周囲の建物に直撃し、破壊していく。
そして、岩をめくると見える虫の大群のように、建物の中には多くの人間がいた。
『お前らのせいだ……ッ』
炎に包まれたシルエットが不気味に笑った。
天に昇った炎が手の形に変わり、建物の中にいる人間をつまむように指を伸ばす。
つままれた白髪交じりのスーツ姿の男性は、持ち上げられても恐怖も戸惑いも、一切の反応を示さず、されるがまま――、炎に飲み込まれて跡形もなく消滅した。
『私を見る目が他の若い子に向けるものとは違かった、納得なんていっていないけど、その場を収めるためにがまんして頷いていた……、褒めていたけど心の底では見下していた……——どいつもこいつも、空気を読んで周りに可愛がられたいからって、良い子ちゃん振って!!』
がくんッッ! と、歩道橋が歪んだ。
炎の手が女性の強くなる言葉に反応するように、手近なものを叩いたのだ。
歩道橋はまるでM字のように曲がってしまっている。
ほとんど壁に近い急斜面の先には、橋を叩き壊した炎の拳がある。
咄嗟に手すりを掴んでいなければ、俺は今頃、その炎に飲み込まれていたはずだ。
しかしそれは、まだ回避できた未来にはなっていない……。
『もうやだ、なんで私ばっかり……。
こんな感情を押しつけられなくちゃならないの……?』
その時、炎に包まれているはずの女性の涙は、蒸発せずに頬を伝って流れていた。
『もう、いい……もう――誰でもいい……みんな、死んじゃえば……ッッ』
炎の中の黒いシルエットが、ひび割れ始めたその時だった。
三つの切っ先が、女性の顔、胸、腹を後ろから貫いた。
瞬間、ぱしゅッッ、と、水風船を割ったような音と共に周囲に水飛沫が舞う。
内側から炎の鎧がごっそりと剥ぎ取られ、見えたのはスーツ姿の女性だ。
彼女は意識を失い、その場に前のめりに倒れる。
背中には、刃に貫かれた傷痕はなく、危惧していた流血は一滴もない。
抵抗なく抜かれた三又の槍の切っ先にも、付着した液体は一切なく。
その柄を握っているのは、青と白を織り交ぜた、魔法少女だった。
「いりす……?」
幼馴染、とはお世辞にも言えず、かと言って赤の他人とは言えない腐れ縁と言うべきクラスメイトの少女。
普段、見慣れている制服姿よりも肌の露出度が高く、見たいけど見ちゃいけない気がして視線を逸らしたり戻したりを繰り返している内に、彼女の姿を見失った。
「……あれ?」
「あれ、じゃなくて」
後ろからの声の後、倒れたカメラ映像のように激しく揺れた視界が正常に戻った時、俺は首根っこを掴まれた猫のように、宙ぶらりんの状態だった。
……どうやら槍の切っ先を俺の襟に突き刺し、柄の先を地面に突き立てているらしい……。
身動きが取れない俺の鼻先をその細い指で、ぴんっ、と弾いてから、彼女が言う。
何年ぶりだろう……俺に見せてくれたのは、屈託のない笑顔だった。
「やっぱり……裏も表もないんだね……、だからこっちの世界に入ってこれた」
くす、と微笑んだ彼女が、舌で軽く唇を濡らした。
「欲しくて欲しくてたまらなかったの……こっちのわたしは、遠慮なんてしないから」
「お、まえ、は……」
俺が知っている彼女とは違う今の彼女の様子に、思わず口から出てしまう。
「本当に、いりすか……?」
―― ――
文化祭の大トリを担う、生徒主導の特別イベント――通称『告白祭』。
かいつまんで言えば、代表者一人が舞台上から指名した一人に告白することができる。
原則、内容は問わないが、大体が恋愛絡みだ。毎年、文化祭マジックとでも言うのか、成功率はかなり高いことで有名だった。
伝説の樹の下で告白するよりも圧倒的に現実的である。
参加者の人数制限はなく、文化祭中、各部活動の部長からスタンプを貰い、運動部、文化部を合わせた全てのスタンプを集めることが、登壇条件になる。
しかも早い者勝ちで、勝者は一人のみ。
つまり毎年、この舞台で告白ができるのは一人しかいない。
毎年、登壇するのは主に三年生だ。
参加者は学年問わず自由と言われてはいるものの、大体が空気を読んで、卒業間近の三年生に花を持たせるために譲るのが定石になっている、らしいのだ。
そのため、各部長が押してくれるスタンプには、それぞれが決めた『試練』がついていて、それをクリアしなければスタンプは貰えない……、
それでも同学年である部長の贔屓で、ルールが甘くなることが多々ある。
特定の誰かが贔屓されないための試練のはずなのに、空気という、読まなければならないそれのせいであまり意味がない。
結局、部長が軒並み三年生なのだから、下級生が試練を突破しないように厳しめに判定してしまえば、下級生は関門を抜けにくい。
たとえ空気を読まないやつがいたとしても、そこで止められるような作りになっている……。
ずるいやり方だ。
そこまでして文化祭マジックに頼って彼女を作りたいのか、って思ってしまう。
「――お、前に、言われたくねえ、よ――
「先輩、スタンプもらいますよっと」
カレンダーのように並んだ最後の空欄にスタンプを押す。柔道部の主将から一本を取るという試練は、柔道部員でさえも難しいだろうが、今の俺にはそう難しいことではなかった。
経験なんてもちろんないし、当然、柔道部員でもない。
運動部に所属してもいない、ごく普通の男子でしかない。
平均的な身長と体重……、さすがに筋力は平均以下か? もやしとまではいかないけど、運動部と腕相撲をしたら余裕で負けるくらいの細腕だ。
加えて、日焼けすらしていない外出を嫌うインドアにもかかわらず、なぜガタイの良い柔道部主将を倒せたのかと言えば、不幸中の幸い、と言うのが正しいのだろう。
経験が活きた、とも言える。
この勝利を運が良かったで片付ける気はない。同じ格闘技でもボクシングだったらたぶん勝てていなかった……球技でも同じだろう、柔道だから上手くいったのだ。
だからこそ、柔道部のスタンプを最後に取っておいたのだから。
下級生を一番乗りにさせたくない部長たちは、いちゃもんをつけて最後のスタンプを渡さないようにするはずだ。
だが、柔道部主将が派手に転ばされたら、さすがにスタンプを渡さないわけにもいかない。いつまでも負けを認めないのは格好悪いからな。
「おい、一年……、お前、俺がどう動くのか分かっていたのか……?」
まるで研究に研究を重ねて挑んできたのか、とでも言いたげな表情を浮かべる主将だったけど、そんな手間がかかるようなことはしない。
単純に、目で見て反応できたから足をかけて転ばせただけだ。
「そんなわけあるか……っ、素人に対応できるような動きをしたつもりはない!」
それはそれで、徹底して潰しにきていることに文句を言いたくなるけど……。
「俺、目が良いんです」
嘘ではないけど、胸を張って言うほど特別でもない。一時的なものに過ぎないはずだ。
単に今まで見てきたものと比べてしまえば、主将の動きは遅いし、鬼気迫るその気迫は、なんのプレッシャーにもならない。
もっと凄いものを見てきた俺の目は、この一ヶ月で麻痺しているのだ。
炎に包まれた人間。
それを討伐する魔法少女。
毎日のように巻き込まれていたおかげで、いくらか耐性がついている。
まあ、見えているからと言って、体が対応できるかは別の話なのだけど、今回に関しては上手くはまったと言える。
主将が警戒して、次に試合をしたら俺は簡単に転ばされるだろう。
だから一発勝負だった。
「これでスタンプが全部揃いましたけど……一番乗りって俺でいいんですよね?」
「……ああ。ったく、お前には充分時間があるんだから、告白祭に頼らずに彼女を作ることくらいできるだろ……」
「逆に言うと、先輩たちは三年もの時間があったんですから、告白祭に頼らなくても彼女が作れそうなものですけど」
「そうでもないんだよ。告白祭ってのは、そういう距離を縮める努力を怠ってきた腰抜けたちへ最後に与えられた、勇気を出して踏み出すチャンスなんだ……。
きっかけを作って背中を押さないと動けない奴ってのはクラスにごろごろといるもんなんだ」
「じゃあ、成功率が高いのはなんでですか?」
ある程度、勝算があるからこそ、断りにくいシチュエーションでの告白で確実に受け入れてもらえるように整えたのだと思っていたけど……、主将の言う通りだとすれば、なんの前触れもなく告白して、それが受け入れられてきた、ということになる。
「それこそ、文化祭マジックだろ。参加者が権利をかけて頑張ってる姿は文化祭中、いつでも見れる。女子からすれば、『あの頑張りは自分のためだった』って気付けば、告白してきた男子が魅力的に見えるんじゃないのか?」
分からないでもない。
頑張っている姿はいつもよりも良く映るものだから。
「……お前、勝算はあるのか? 一年なら、どうせあの子に告白するんだろ?」
「そうですけど、勝算ならありますよ。文化祭マジックでも使わないと、あいつの頑固さは緩みそうにありませんでしたからね……」
「……まあ、遠巻きで応援してるよ」
気の毒そうな目で見送られたが、負け惜しみだと思っておいた。
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