旧題・最終話 最上位『死に神』

 がちゃり、と鍵がかかる音。


「え」


 気付いた時にはもう遅く、袋小路。


 ――閉じ込められた!?


 すると、さっきよりも一際大きく――ゾゾゾッ!! と背筋が震える。


 感じた視線に、ゆっくりと周囲を見回すと……、

 最初、教室を見た時には確実になかったはずの大きな人形が、机の上に座っていた。


 綺麗なL字で、なんの支えもなく自立している。


 可愛い普通の人形だが、だからと言って近づいて触るほどの度胸はなかった。


 不気味過ぎる。

 おれが左右に移動しても、ずっと目が合っているような、そんな気がして仕方が無い。

 できることならすぐに教室から出たいけど……、前と後ろ、どちらの鍵もかかっていて、出られない。窓も同じ。最悪、割って脱出もできそうだが、四階だ。

 飛び降りて助かる可能性も、半分よりは低いだろう。


「な、なんなんだよ……」


 強気でいこうとしたら声が震えてしまった。


 ……やばい、相手に主導権を握られる……。


 廊下の襲撃が囮で、こうして教室に逃げ込ませるのが罠なのだとしたら、おれを呼び込んだ理由があるはずだ。


 カカカッ、と背後で音がして振り向くと、黒板に文字が書かれていた。


 ――私を呼んだのはおまえか


「呼んでな――!?」


 振り向くと、人形の位置が変わっていた。


 前の席へ、一つ、近づいてきている。


「…………」

 カカカッ、と再び背後で音。


 ――おまえの力に助けられた


 ――厳重な封印を破ってくれたことに、感謝しよう


『——Thank you』


 と、宙に浮かぶチョークが文字を描く。


 恐る恐る振り向くと、人形はおれのすぐ近く、一番前の席にあった。


「っ!?」


 すぐに背後から音。


 ……いやらしい配置に唇を噛む。

 文字を見ようと後ろを向いている間に、おれの背後からなにかをしようって言うんだろ?

 そんな手に乗るわけ――、


 だけど、もしも。


 本当に感謝していたのだとしたら?


 ――幽霊を見たらすぐに逃げろと教わったおれは、普通の幽霊と悪霊の区別もつかないまま、逃げ続けていた。


 それが今では、教室で雑談を交わすようになった。それは初のおかげだった。


『わたしが守るから』

 ……その言葉通り、初と出会ってから、おれは幽霊に襲われることがなくなった。


 初とずっと一緒にいるわけじゃないから、一人きりの時に幽霊に出会ったら、すぐに逃げるように徹底しているけど……今みたいな状況も、あるのだ。


 逃げられない、なんてのは今回が初めてだけど。


 しかし、昔のおれとは違う。

 幽霊にも善悪がある。悪霊にしたって、強い感情に引っ張られているだけで、自我がある中、おれを攻撃したわけじゃない。

 目についた誰でもいいから、引っ張り込みたかっただけなのだから。


 そういう悪霊に比べたら、この人形には意思がある。


 話せば分かる、ってことだと思うのだ。


 だから振り向いた。


 ――ただし、それはそれ、これはこれだ


 外に出られたことに感謝はするけど、それはそれとして――。


 きゅっと心臓が握られた感覚と共に、冷や汗がぴたっと止まった。


 世界が静止したように感じた。


 そして。

 再び人形の方を振り向いた時には、おれを狙う刃が、振り下ろされていた。



 ――切っ先が額に触れる寸前で、人形の輪郭が歪んだ。


 回し蹴りによって勢いがついた人影のかかとが、人形の脇腹を打ったのだ。


 三日月のように歪んだ人形が、教室の机の列を乱して床に叩きつけられる。


 人形の、その丸い手で握っていた包丁が、カランカランと床を滑っていった。



「う――初!!」


 咄嗟に目を瞑る暇もなかった。襲われた恐怖よりも初が間に合ってくれた安心感の方が勝って、反射的に初の名前を叫んでいた。


 いつもおれが困っている時に駆けつけてくれる。

 それにしても、よくおれの場所が分かったな……。トイレにいくって言ったから、近くの教室にいると予想でもしたのかな……、あれ? でも鍵がかかっていたような……。


 扉を見てみると、斜めに切ったように、扉の半分が抜かれていた。


 平らな三角形が、片面を上にして床に倒れている。


 ……断面を見てみると、綺麗な面だった。


「な、なあ、初……、おまえ、どうやって……」


「ひつぎ、わたしの傍から離れないで」


 落ちた扉から視線を廊下に向けると、さっきおれを追いかけていた幽霊が二人、教室の中を覗いていた。


「ひっ!?」


 初を盾にし、あいつらの視界から隠れる。

 だけどそうなると今度は、初と対面する人形の視界には入ってしまうで、あちらを立てるとこちらが立たず、の状況だった。


「大丈夫だよ、あれは教室に入ってこないと思う」


「な、なんでだ……?」


 初の言う通り、教室を覗き、扉の縁に指をかけるものの、二人とも入ってこない。


 ……入ってこれない?


 黒目の子供も、火傷姿の悪霊も、怯えている様子だった。


 ガタガタッ、と机が床をこすり、音を立てる。


 初に蹴飛ばされた人形が、机に手をつき、立ち上がったのだ。


「やってくれたな……」

「しゃ、喋った!?」


 喋れたのか!? さっきまで黒板に文字を書いていたのに!


「ひつぎ、それ、あいつの作戦」


 黒板に文字を書くことで、おれの意識は人形がある前方と、文字がある後方へ、いったりきたりしていた。接近を許す大きな隙を作ってしまっていたのだ……。

 いや、相手の策にまんまとはまって、隙を作らされていたのだ。


 廊下にいる悪霊たちに襲われた時から――、

 教室に誘い込まれたことからそうだ。おれは最初から、あいつに狙われていた。


 幽霊を引き寄せる体質と知ってからは、どうして悪霊に狙われるのか、考えることもなくなっていた。おれが超特殊な霊媒体質だから――だと思っていたのだから。


 しかし、少し手が込んでいるんじゃないか?


 意識を乗っ取る、殺して魂を奪う……なんでもいいが、他の悪霊に協力を頼んでまで、おれを誘い出したからには、特別な理由でもあるんじゃないかって、思ったのだ。


「ひつぎ、同情なんてしなくていい」


 おれの心を読んだように、初が、諭すように制止した。


「あれはたくさんの魂を喰らってきた悪霊。こっちが油断したら、くるよ」


 倒れた机を足場にし、人形が跳んで、立つ机の上に着地した。


 人形から発せられる声は、まだ幼い女の子のものだった。


「いくら幽霊が見える、触れる霊能力者だろうと――あたしが悪霊として積み重ねた年月は他の悪霊とは違うのさ。

 ……廊下にいる霊が教室に入ってこれないのも、持つ怨念の強さに差があるからだ。伊達に封印されていた呪いの強さじゃないッッ!」


 叫びと共に、黒い稲妻のようなものが人形から八方に伸び、教室内の足下が黒いもやで満たされる。次の瞬間、強風を受け止める凧のように窓ガラスが歪み、変形する形に耐えられず、パリンッ、という音を立てて、一斉に全てが割れた。

 飛び散った破片が宙で静止し、鋭利な刃が、おれたちを狙っている。


「…………初……ッ」


「……、無理、かな……」


「初!?」


 諦めの言葉に、悪霊の入った人形が、表情が変わったはずはないのに、笑った気がした。


「その極上の魂、味わわせてもらうよ!!」


 ガラスの破片が、豪雨の雨粒のように一斉に飛んでくるッ!


「勘違い。無理って言ったのは、隠し通すのはもう無理……ってこと」


 初はどこからか、背丈以上もある大きな鎌を取り出し、手に握っていた。


「なん、だ……?」


 先っぽを床につければ、三日月の形をした鎌が、天井に触れてしまう長さだ。


 すると初が再び、


「ひつぎ、後ろにいて」


 初が両手を使い、前方で鎌を回転させる。

 高速回転する鎌は、満月の姿を一時的に見せて――迫るガラスの破片を全て弾き返していた。


 人形が一歩、足を引く。

 机の上の足場を踏み外し、床に落下した。


 尻もちをつきながら、人形が教室の後方へ、怯えた様子で後退していく。


「お、おまえ、は……ッ!!」


「悪霊の中で、あなたは上位個体みたいだけど……わたしの前では意味ないよ」


 初が、鎌の切っ先を人形の首元に突きつける。


「オカルトの最上位は、わたしたち」

「し、死に神……!?」


 初の背中しか見えないので、鎌を持ち、刃を突きつける幼馴染の表情は分からない。


「や、やめろ……っ、お、おまえの主人に、手は出さない……。

 だから、せっかく、あのガラスケースから出られたんだ……あたしも、自由がほしい……ッ」


「それはできない。野放しにするには、呪いが強過ぎるもの」


 初の鎌が人形の首を壁に押しつけ――壁をこすって、持ち上げられる。


 人形の足が、地面から離れた。


「他の悪霊に影響を与えられたら困る」


「あ、与えないさ! それに、仮に与えてしまったとしても、あたしよりも序列が上になるわけじゃない。その時は、序列を利用して、おまえの主人には手を出さないように――」


「必要ない」


 初の容赦ない言葉に、人形の視線が僅かにずれて、おれに向いた。


「……ここは、あたしたちにとっては、とても恵まれた場所なのだろうね……」


 霊的なオカルトを一か所に集めたこの人工都市は、霊にとって住みやすい町だ。


 霊能力者、霊媒師、幽霊……。

 オカルトに属するあらゆる超常現象。

 それらは敵対しているように見えても、根本では同種だ。


 おれが、この町で望んだものがあるように。


 幽霊にだって――悪霊にだって。

 諦めていた希望をもう一度……、夢を見させてくれる場所でもある。


「ここなら……」


 悪霊は、元を辿れば人間だった。


 目の前にいる悪霊は、まだ幼い女の子なのだ。


「友達が、できると思った、のに……」


 人形が鎌の束縛から逃れ、重力に従い落下する。


 初が同情した? ――違う。

 初が鎌を構え直し、人形を両断するように振りかぶって、


「初、ダメだ!!」


 後ろから抱きつき、初の鎌を止める。


「っ、……ひつぎ」


 こんな時でも初は驚いた様子を見せないし、声色にも表さない。


「この町は、ああいう弾かれ者のための町でもある!

 そりゃあさ、そういう計画で作られたものではなくて、実際に住んでるおれたちが勝手に繋がりを期待してるだけかもしれないけど……。普通じゃないおれたちから、さらに弾かれたあの子は、じゃあ、どこなら受け入れてもらえるって言うんだっ!?」


「でも……」


 初に迷いが見えた。

 それを察した人形が、勢い良く跳ねた。


「こんな甘ちゃんが、よくもまあ他の悪霊の標的にされなかったもんだ。いや、されたのか……され続けたけど、ずっとお前が守り続けていた――。世話が焼ける主人だな、死に神」


「……ひつぎが与えた逃げる隙を捨てるなんて……バカね」


「気にかけてくれたお兄ちゃんへの……置き土産だよ」


 周囲の机が渦を巻いて、おれたちを取り囲んだ。


 漆黒の暗雲が支配し、紫電が瞬く。


「う、うわああああああああああっっ!?」


「基本的に、悪霊は信じない方がいいよ」


 嵐の中で小さく聞こえる声の全てを聞き取ることは難しかった。


 ただ、


 言葉とは裏腹に、女の子の声は、満足そうだった。


「そこまでチョロいと、ころっと呪い殺されちゃうんだから」



 人形の胴体を突き刺す鎌があった。


 目を見張る初。

 ……初?


 初の鎌が、人形を突き刺したわけではない。


 鎌の持ち手を辿れば、先には新たな人影が。


 おれよりも背丈が小さな少女。染めるのに失敗したくすんだ金髪が、両側で結ばれたツインテールになっており――片目には眼帯……、女の子の背後には、二回りも大きな大男がいた。


 猫背でこの大きさなので、姿勢を正せば、もっとある。二メートルはありそうだ。


「なに躊躇ってんのよ、悪霊はさっさと殺しなさい。

 だから最後に捨て身の攻撃をされるのよ、この甘ちゃん」


 鎌に刺さっていた人形が、燃えるように小さくなっていき、消えていった。


 鎌に染み込んでいった……ようにも見えた。



「見つけた、墓杜ひつぎ」


 少女が言う。


「こんな遠いところまで、あんたを連れ戻しにきたんだからねっ」



 少女が持つ鎌と、初が持つ鎌が同一であることに目がいかなかったのは――、

 彼女が言った、そのセリフのせいだった。



 ―― 完全版へ ――


「死に神ちゃん再起不能-リタイア-」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054925993839

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