「リバース魔法少女」

第1話 綺麗なだけの世界

 妹と母親が一台しかないテレビを取り合っていた。


 リモコンを独占する妹とテレビ本体のボタンを連打してチャンネルを戻そうとする母親の攻防は、既に三十分が続いていた。

「ドラマ!」「映画!」

 そんなやり取りを嫌でも見てしまうのは、五人家族だけど部屋が一つしかないためだった。


 扉がないので見えてしまうし、聞こえてしまう。

 俺は弟の宿題をキッチンのダイニングテーブルで手伝い、下の妹は家族で共有のスマホをいじってネットサーフィンをしている……二人とも仲裁する気がまったくない。


 そういう俺も見ているだけで、見苦しいあれを止める気はないが……。


 母さんが見たがっているドラマに関しては、もう前半が過ぎてしまっている。それでもまだ粘り強く奪おうとしているあたり、狭い感覚でザッピングした点滅のような視聴方法でもなんとなくの内容は把握しているのかもしれない。


「お母さんっ、もういいでしょ! 譲ってよ! お母さんが見たがってるドラマって最初から最後までいじめの話じゃん! あたしたちの教育上よくないよ!!」


「あんたの方はもろに戦争のお話じゃないの。てっぽーをばんばん撃ってるし! 血もたくさん出てるし! そっちの方が教育上よくないと思うわよ!?」


 どっちもどっちだと思う。

 ただ、映画にしてもドラマにしても、助長している内容ではないのだから、メッセージは別にある。前半部分だけを見て「これは教育上よくない」と決めつけるのは早計だ。

 喜劇を見て憧れるみたいに悲劇を見て反面教師にしたっていい。


 そういう見方でなかったら、恐いもの見たさだろう。


 現実ではあり得ない空想を再現したのが創作物なのだから、作品の求心力にまんまと引き寄せられる二人はごく自然の行動だと言えた。

 テレビがもう一台あれば、平和に解決できたのだろうけど……今の家計では無理だろう。


 それに、もう一台があったらあったで、別の問題が浮上してくるはずだ。

 コンセントにも限りがある。

 それ以前に電気代がな……。


 大した金額ではないと思うかもしれないが、それでも我が家にはきつかった。


「兄ちゃん、この問題ってどうやるんだ?」

「ん? ええっと……これはな……」


「映画!」「ドラマ!」


「……あ、通信制限……」


 いつもの日常を繰り返すように、今日も我が家は平和だった。



 もっと言えば、世界も平和だった。

 いじめや戦争に魅力を感じるほどに。


 異物の一つも許さないくらいに綺麗で、


 歪みを見つけたらすぐに整えるくらいに神経質で、


 そのおかげで差別はなくなり、みんながみんなを肯定している。


 少なくとも、表向きは。



 世界は平和だった。

 ……そう、平和に見えている。


 綺麗な世界。

 汚い部分をまとめて別のところへ追いやったとは、誰も想像していなかった。


 そういう俺も。


 尻拭いをしてくれている誰かがいることを、あの日を境に知ることになる――。


 ―― ――


 二日間にわたりおこなわれる文化祭の大トリを務める、注目度、最大のイベント――、

 公開告白——通称『告白祭』。


 名目上は演劇部の出しものとしてエントリーされており、リハーサルでも使い古されたロミオとジュリエットを発表していたが、生徒の誰もがフェイクであることを理解している――。

 そう、どうやらこれは毎年恒例となっているイベントらしい。


 先生たちは知らない生徒主導の恒例行事。


 異性交遊が禁止されている校則であるため、大々的にはできないためだ。


 今年が初めての文化祭である俺にとっては、よく知らないイベントでしかなかった。

 だから充分に楽しむために、遠巻きに見ているだけのつもりだ。


 ようするに他人事でしかなく、迷う誰かの背中を押すだけ押して、成功すれば嫉妬するし、失敗すれば笑いものにする。

 渦中に立った時のハイリターンには手を伸ばしたくもなるが、ハイリスクに目を瞑るにしては、さすがに見過ごせない大きさだ。


 好きな女の子に告白するなんて……二人きりでさえ言葉は詰まるものなのに。


 それを大衆の目の前で……。よくやるぜ、と勇気ある上級生に敬礼したのも、思えばつい昨日のことだった。だいぶ懐かしく感じる……、半年前に感じるほど遠い。スキャンダルで追い込まれた芸能人の謝罪会見を興味本位で見ているような無関係を貫いていた。


 それがまさか、真っ暗闇の中の眩しいくらいに強い照明が照らされた舞台上に、一歩踏み出すことになるとは、あの時の俺は想像もしなかっただろう……。


 舞台に上がった俺を注目してくる多数の目に遅れて緊張が走るも、今更、引き返せない。


 侵入者を見つけるような動くスポットライトに当たってしまった以上、ここから先の主人公は嫌でも俺になってしまう。


 担ぎ上げられたわけでも罰ゲームでもなく、自分の意思で上がってきたんだけどさ。


 ……思えば、リハーサルでロミオとジュリエットを発表したのが悪意に感じてきた。


 これから告白するって言うのに、あれの結末は悲劇なんだけど……。


『全身ボロボロですね、随分と部長たちにしごかれたみたいで』


 司会の女子生徒(もちろん先輩だ)がマイクを向けてくる。


「……かなりの無理難題をふっかけられましたけど、なんとかここまでこれました」


『ほほう、ずばり、愛の力ですね!』


 そう言われると恥ずかしいけど……違うとも言いづらい。実際、違うわけでもない。


 ただ……、「告白祭で告白をする権利」を得るための関門に、各部活の部長が好みと偏見で決めたルールでテストをおこなっている。

 それに合格してバッジを集めなければここには立てないわけだ。

 しかも早い者勝ち……なのだけど、意外と審判である部長たちが感情に流されるというか、関門にしては、関門ではないと言うか……。


 確かに、ただでさえ少ない参加者が全滅でもしたらイベントとして元も子もないのは分かるが、それでも融通を利かせ過ぎている気もしないでもない。

 つまり愛の力よりも、部長たちの忖度が大きいのではないかと思ったわけだ。


 まあ、ここでわざわざ言わないけど。


 そのおかげでここに立てていると考えたら、感謝こそあれ、不満はない。


『では、学年とお名前を聞いてもよろしいですか?』


「一年、天条てんじょうもぐら、です」


『へえ、珍しいお名前ですね。漢字はそのままで?』


「ええ、まあ。土と竜で、土竜もぐらです」


 なるほどー、と先輩は話題を広げることなく次の質問をして先に進める。


 人の名前というデリケートで、コンプレックスかもしれない部分を掘るには危険だと判断したのか。はたまた、文化祭も終盤なので、時間も詰め詰めなのかも分からないが――本題だ。


 質問がくる。


『では、天条くんは誰に気持ちを伝えたいですか?』



 舞台の上から、後ろまで見通せる多くの顔を順番に確認していく。


 そんなことをしなくとも一瞬で目には入っていたのだが……、少しでもいいから時間が欲しいという狡い作戦だった。


 普段なら、女子なら水色のセーラー服、男子ならワインレッドのワイシャツに学ランという制服で並んでいるはず生徒たちは、文化祭のおかげで各々が好きな服を着ている。


 クラスで作ったTシャツや、ハロウィンが近いためか、仮装をしている生徒もちらほら見えている。そんな中で、うちのクラスはお化け屋敷をやっていたため、仮装も他と比べたら過激に見える。


 血のりを顔にべったりとつけているクラスメイトもいるし。

 ちなみに俺は包帯を全身に巻いたミイラ男だ。


 そして目的の彼女は……吸血鬼。


 黒いマントを羽織り、背中に小さなコウモリの羽をつけて……吸血鬼というか悪魔っぽい。


 普段の立ち振る舞いも相まって、小悪魔って感じに見える。


 かろうじて、飛び出た八重歯が吸血鬼っぽいが、そんなものは焼け石に水だろう。


 そんな俺も、部長たちにしごかれてボロボロになった姿は、ミイラ男だからなのか、怪我をしているからなのか分からないが……見ているだけじゃ分からない。


 聞いてみないと分からない。

 言葉にして聞いてみなければ、一生、伝わらない。


 いくら長い付き合いだろうとも、だ。


「誰に、ですか? って、そんなの決まってますよ――大体のやつがあいつを狙っているのは知っていましたから。だから苦労してここまできてやったんだ。文化祭マジックなんていう吊り橋効果で奪われるのはまっぴらごめんだ!! だったら玉砕したっていい、言わないまま後悔するくらいなら言って後悔した方がまだマシだってもんだろうがよおっ!」


 先輩のマイクを奪い取り、想いを寄せている幼馴染に向けて指を差す。


「一年、神酒下みきしたいりすっ、ここまで上がってきやがれっっ!」


 ……言ってから、まるでプロレスラーみたいだな、と思って後悔した。



 客席から、強調したわけではない高い足音を鳴らしながら、さっと左右に開いた人の道を歩いて進む女子生徒が一人。


 スポットライトの一つが彼女を追いかけ、照らし出す。


 その対応の早さから、美術側も元々目星をつけていたのだろうことが分かる。


 衆目が彼女に注目した。

 彼女も彼女で、戸惑うことなく、真っ直ぐに舞台へ向かっている。


 ここであたふたする方がみっともないと思ったのだろう。あいつはそういうやつだ。


 肩まで伸びているリッチウェーブしたクリーム色の髪を揺らしながら。

 身長は平均的で、細身だが、出るところがきちんと出ていて、単純にスタイルが良い。


 服装によってぐっと印象が対極に変わる、汎用性の高さを備えた理想の体型だ。


 軽く化粧をし、吸血鬼らしく肌の色を少し薄くしている。顔色が悪い、と言えなくもないが、それでも変わらず美少女に見えてしまう辺り、さすが『百人斬り』と呼ばれているだけある。

 さて、俺で本当に斬られた人数が『百一人目』なのかは定かではないが。


 途中で黒いマントを脱ぎ捨てた。簡単な仮装だったのでマントの下は水色のセーラー服だ。見慣れているはずなのに、一気に見えた肌と短いスカートにどきっと心音が跳ねる。


 体育館が良い意味でざわついた。


 さらに咥えていた付け八重歯をはずす。マウスピースみたいなものなので、笑顔で立っているだけの客寄せなら問題ないが、返事を必要とするこの場には似合わない。


 いや、八重歯自体は似合っているんだけど。


 ただ、マント側についていたコウモリの羽も一緒に取れたのは勿体ない気がする。


「……バカじゃないの?」

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