第208話 結末の選び方②

「お前は……確か、モンテルラン侯爵の身内だったな」


「はっ。フィルマン・モンテルランにございます」


 東部貴族閥の盟主モンテルラン侯爵家。その縁者であるフィルマンの存在は、ベルナールも把握していた。彼は東部出身ではあるが妻は宮廷貴族であり、フロレンツに恭順する姿勢を示していたために問題視はされず、この戦時中も皇宮に留め置かれて裏方の仕事に回されていた。


「何の用だ? 身内のもとに帰りたいというのであれば構わない。妻子も連れて好きに出ていくといい。侯爵の甥であれば、脅されて従っていたとでも言えば罪には問われないだろう」


 東部貴族閥への人質に使おうにも、モンテルラン侯爵の息子ならばともかく甥では大した効果は見込めない。戦争の結果は変わらず、こちらの汚点が増えるだけ。

 既に近衛兵団や帝国軍の士官級でも脱走者は出ている。今さら一人消えたところで大きな問題はない。そう思ってベルナールが言うと、フィルマンは首を横に振った。


「私の用件はそのようなものではございません……実はつい昨日、皇兄マクシミリアン・ガレド殿下の使者を名乗る者より、帝都の市街地にて接触がありました。ゴドフロワ閣下への言伝を頼みたいと」


「…………ということは、何か内密の打診か。私個人か、私たち愛国派への」


 正式な降伏勧告や、それに伴う何か条件の提示であれば、それなりの立場の者が使者として堂々と帝都に参上するはず。そもそも降伏を促そうにも、敗北寸前の謀反人である自分たちに、死罪以外の結末を与えられるはずがないのでは交渉も不可能だろう。

 そんな状況で、内密の接触が、愛国派の代表である自分にだけ来た。

 裏切りの示唆か。ベルナールはそう考える。


「聞こう。どのような内容だった?」


「では、申し上げます……閣下の信用できる手勢を使い、数日中に、夜間に皇宮の裏門を開くことを殿下が求めておられるそうです。三か所あるうちの、どの門でもよいので開くようにと」


 ベルナールの予想通りの言伝を、フィルマンは語った。

 皇宮には帝都側を向いた正門だけでなく、裏門も複数ある。いずれも堀を渡る橋を上げれば外からの侵入が難しいように作られており、それ以外にも様々な防衛設備を備えている頑強な門だが、内部からの手引きがあれば侵入経路とすることも叶う。


「一つでも裏門が開けば、そこから少数の精鋭が皇宮内に侵入し、他の裏門も解放。さらに多くの兵が夜闇に紛れて皇宮に突入し、一挙に皇宮を制圧して謀反人たちを捕らえられる。殿下はそのようにお考えだそうです……この作戦の実現に協力した者については、処遇を考慮すると」


「考慮、とは? 具体的な内容まで聞いているか?」


 まさか自分たちの助命ではあるまい。そう思いながらベルナールが尋ねると、フィルマンは頷く。


「愛国派を称する謀反人たちは許されざる大罪を犯したが、最後には正当な帝位継承者たる皇兄マクシミリアン・ガレドのために皇宮内への手引きを務め、大義ある勝利のために忠節を示した。その戦功への報いとして、協力した愛国派貴族とその伴侶に対しては貴族の立場のまま、名誉ある斬首刑を宣告する。また、子女に関しては助命し、爵位を下げた上で家の存続も許す……以上が殿下よりのご提案です。もちろん、生き長らえた子女は帝国貴族社会において当面冷遇され、家名にも数代にわたって消えない汚点が残るであろうが、現状ではこの処遇が限界であると殿下は仰せでした」


「……」


 無血開城のために寝返れば、それを戦功という名目にして大罪と相殺する。全てを相殺しきれるはずもないが、子供と家名については助ける。破格の条件と言っていい。

 謀反の首謀者一味でさえ、最期に勝者マクシミリアン・ガレドへの忠誠を示せば慈悲を与えられる。そうして寛大さを見せれば、戦後に帝国中部や西部を統治する上でも都合が良いのだろう。


「我々のような者に対してもそれほどの処遇を提示される、マクシミリアン殿下の慈悲深さ、誠に痛み入る」


 そう答えながら、ベルナールは考える。

 もはや敗北は覆せないだろう。自分たちは道を誤ったのだ。

 フロレンツは自分たちに担げる御輿ではなかった。自分たちは強き帝国を作り上げる器ではなかったのだ。

 だとしたら、今、自分たちにできることは何か。自分にできることは何か。

 できるだけ潔い引き際を見せること、ただそれだけだ。

 帝都と皇宮を戦火に飲ませることはしない。帝国の中枢を、帝国の心臓を、不毛な戦いの戦火から守る。そうすることで――愚かな謀反人の中では、まだましな部類だった者たちとして歴史に名を残す。ましだったことへの対価として家名と血筋を救う。ただそれだけだ。

 他に道はない。これが最善だ。逃せば二度と掴めない最善の道だ。

 それは分かっている。

しかし、それでも。


「今日中には結論を下す。後で私の執務室に呼ぶ。今は少し、時間をくれ」


「……かしこまりました」


 フィルマンはそう答え、下がっていった。


「閣下」


「いかがなさいますか?」


「……お前たちはどうしたい? どちらがいい?」


 側近たちの問いかけに、ベルナールは逆に問う。


「我々は閣下のご決断に従う所存です」


「左様。皇兄マクシミリアン……殿下であれば、約束を違えるということはないでしょう」


 その答えを聞いたベルナールは、思案する。


「……お前たちも少し休んでいてくれ。後で呼ぶ」


・・・・・・・


 一人になったベルナールが足を運んだのは、皇宮の最奥。皇帝の寝室だった。

 入り口の前には、警護の近衛兵が二人と、傍付きのメイド数人が、気まずそうな表情で控えている。ベルナールが歩み寄ってくるのを見ると、彼らは一礼する。


「皇帝陛下のご様子は?」


「……お変わりありません。高級娼婦を何人も連れ込んだ上で、閉じこもっておられます。誰も通すなとの御命令も変わりません」


 それを聞いたベルナールは、小さく息を吐く。


「そうか」


 命からがら帰還した後、温和に冷静沈着ぶるフロレンツの虚勢はもはや持たなかった。彼は現実から完全に目を背け、寝室に閉じこもった。

 連れ込んだ高級娼婦は、いずれもフロレンツより一回り以上も年上の者たち。中を見たメイドたちの話によると、フロレンツはまるで幼子のように娼婦たちに甘えているという。


「お前たちは少し下がっていてくれ」


「ですが閣下。たとえゴドフロワ侯爵閣下でも通すなとの御命令です。お声がけもさせるなと――」


 近衛兵の一人が言うのを、ベルナールは手で制する。


「全て私が責任をとる。だから下がっていてくれ……心配するな。もうすぐ終わるのだから」


 その言葉で何かを察したのか、近衛兵とメイドたちは一礼して去っていった。


「……皇帝陛下」


 そして、ベルナールは寝室の扉に向かって呼びかける。


「今、臣下である我々の意見は割れています。帝都と皇宮を人質として敵を脅し、時間を稼ぐべきと言う者もおります。最後まで誇り高き帝国の支配者層であり続けるために、潔く戦って玉砕すべきと言う者もおります。全て諦め、無血開城を果たすことで帝都と皇宮を守るという選択肢もございます……どのような選択をするか。決断の権限は、帝国の主たる皇帝陛下ただお一人の御手にございます」


 中からの呼びかけが聞こえるよう、寝室の扉は薄い。フロレンツにはこちらの声がはっきりと聞こえているはず。そう思いながら、ベルナールはよく通る声で語る。

 間違いなく、フロレンツは愚帝として歴史に名を残す。彼は皇帝の器ではなかった。自ら帝国を導く才覚も、傀儡として玉座に収まっているだけの分別もなかった。

 それでも今、彼はガレド大帝国の皇帝だ。簒奪の末に、血に濡れた帝冠を戴いたとしても、彼は確かに皇帝だ。

自分たちが彼を玉座に座らせたのだ。


「皇帝陛下。どうかご決断をお聞かせください。いかなるご決断にも、我々は従います」


であれば、彼に決断を問うこともせず、勝手に彼の結末を決めることは許されない。

彼自身が決断を下すというのであれば、それに従わなければならない。彼に機会を献上しなければならない。


「……どうか、ご決断を。貴方様はこの国の皇帝です」


 もう一度、ベルナールは問う。そしてじっと待つ。

 長く、長く待ち続けても、フロレンツが答えることはなかった。

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