第207話 結末の選び方①

 帝都ザンクト・エルフリーデンへと逃げ戻っていく皇帝の陣営を、西の陣営は追った。

 両軍ともに数が多かったため、激しい追撃はなかなか叶わなかった。しかし、西の陣営の騎兵部隊が、皇帝の陣営の捨て駒として置かれた徴集兵や、主君を守るために自ら犠牲となった帝国軍兵士たちを削るかたちで追撃は推移し、敵側には少なからぬ損害が出た。

 皇帝の陣営についていた帝国貴族とその手勢は、もはやフロレンツの側に味方し続けても敗北しか見えないと考えたのか、ほとんどが逃げ去った。己と臣下たちの命を惜しみ、自領へと帰っていく彼らを、西の陣営はわざわざ追いはしなかった。

 そんな追走撃が何日も続き、皇帝の軍勢はいよいよ帝都へと逃げ込んだ。

 同じ頃、帝国東部の戦場で敗北した皇帝の軍勢も、敗残兵が帝都に辿り着いた。帝国常備軍の生き残りと、皇帝家に極めて近しい帝国中部の領主貴族とその手勢。その総数は一万を割っていた。それ以外の兵力は死ぬか、負傷して置き去りにされるか、マクシミリアンの陣営に降伏するか、徴集から解放されて家に帰った。

 東西の皇帝の陣営が立て籠る最後の要害、帝都。その近郊で、西の陣営とマクシミリアンの陣営は合流した。スレインたちはついに、マクシミリアン当人と顔を合わせた。


「オルセン女王。ハーゼンヴェリア王。そして西サレスタキア同盟の諸王よ……はるばる帝都へようこそ」


 会談用の大天幕で、マクシミリアンの最初の言葉を聞いたスレインは、小さく笑みを零す。


「我が弟が兵力を割るという愚行を為してくれたおかげで、我々としては戦いが随分と楽になった。これも積極的に動いた同盟の諸王、特にフロレンツの逆恨みを一手に抱えてくれていたハーゼンヴェリア王のおかげだろう。感謝する」


「お互い様でしょう。ハーゼンヴェリア王国としても、フロレンツ殿が私に対する雪辱だけを考えて侵攻してきたら、ただでは済みませんでした。あなた方が帝国東部や北部を拠点に抵抗勢力を築いてくれたおかげで、我が国も大陸西部も結果として生き長らえました」


「……そうか。ともかく、お互い勝利できて何よりだな」


 スレインの言葉を聞いたマクシミリアンも、微笑を浮かべた。


「マクシミリアン・ガレド殿。早速だが、今後について話し合いたい」


 そこで切り出したのはガブリエラだった。


「もはや我々の勝利は揺るがないだろうが、こうなると勝ち方が問題だ。帝都ザンクト・エルフリーデンは大陸一の巨大都市で、城門を閉めれば大陸一の要害。落とすのは極めて難しいことと思うが……」


「そうだな。帝都の民がこの期に及んでフロレンツに協力的な態度をとり続けるとは思えないが、たとえ帝都が解放されてフロレンツたちが皇宮に立てこもったとしても、その皇宮だけでも相当に手強い要害だ。フロレンツが二万弱の残存兵力とそこに立て籠れば、相当に厄介だろう……だが、こちらもいつまでも、五万を超える大軍勢を維持してはおけない。特に農民の徴集兵は夏の収穫期までには帰したい。それに、帝国の心臓たる帝都や皇宮を、こうしていつまでも封鎖しておくわけにもいかない。帝国の政治と経済が死ぬ」


 そう語ったマクシミリアンに、スレインは神妙な表情で口を開く。


「では、攻め落とすのですか?」


 あらゆる面において帝国の中心である帝都を。皇帝家の居所たる皇宮を。

 大きな損害や犠牲が出ることを厭わず、武力をもって落とすのか。帝国も皇帝家もただでは済まないだろうに。

 その問いに、マクシミリアンは首を横に振った。


「いや、それも避けたい……無血に近いかたちでの開城を目指す。ひとつ策がある」


 策、という単語に、その場に集う諸王や諸将がそれぞれ反応を示す。


「敵の中で、最も話が分かりそうな者を狙う」


・・・・・・・


 マクシミリアンの陣営と西の陣営に包囲された帝都ザンクト・エルフリーデンには、閉塞感が漂っていた。

 民は不満と怒りを抱えていた。帝都からも少なくない男たちが徴集され、そのうち何割かは帰ってこなかった。生還した者たちは、自分たちが戦場でどのような扱いを受けたかを感情的に喧伝した。家族や友人に。ときには路上で見ず知らずの人々に対しても。

 フロレンツが勝利していれば凡庸な平民から地主に成り上がっていたであろう彼らも、フロレンツが敗北した今はただ身体や心に傷を負った帰還兵でしかない。彼らの声は、民衆の皇帝に対する憤りをさらに高めた。

 物資の問題もあった。周辺地域に食料生産を頼っている帝都が長く包囲されれば、そう遠くないうちに皆飢えるのは必然だった。元々、帝都では皇帝家から市井までかなりの食料を蓄えていたが、昨年からの軍事行動への投入、そのための徴収で、備蓄は相当に減っていた。

 こんな状況に希望を見出す者はいない。夜中に帝都から逃げ出す者も相次いだ。水路を泳いで抜けて。あるいは門の勝手口を見張る帝国軍兵士に賄賂を渡して。民はもちろん、軍人でも逃げ出す者がちらほらといた。

 フロレンツとその一派の貴族、そして帝国軍幹部たちは、皇宮に籠っていた。

 彼らの間に漂う空気は重かった。彼らはもはや、何もかも行き詰った袋小路の中で、とりあえず一緒にいるだけの者たちだった。

 皇宮まで生きて帰りつき、ようやくひと段落ついた彼らは、今後について議論とも呼べない喧嘩をくり広げていた。


「この帝都と皇宮そのものを人質にするんだ!」


 叫んだのは、帝国中部の伝統的領主貴族の一人。戦死したレジス・ルフェーブル侯爵に代わって仲間たちを暫定的にまとめている男だった。


「何だと!? 貴殿は何を言っているんだ!」


「言葉の通りだ! こちらを攻めるようであれば、帝都と皇宮に火を放つ。そう脅せばマクシミリアンは安易に動けない! 奴が帝位を取り戻すつもりだとしても、その後も帝都と皇宮は必要だろう!」


「だが……そんなことをして、その先はどうなる? このままでは、冬を前に我々は飢え死にする。実際は、そうなる前にきっと民衆が大暴動を起こすだろう。今でさえ不満が高まっているんだ。いつまでも帝国軍だけで押さえてはおけないぞ」


「そもそも、帝都を焼くなどと言った時点で、帝都に暮らす民の暴動に直結するかもしれない!」


「そんな後のこと、今はいいだろう! とにかく、まずは向こう数日でもいいから時間を稼ぐべきだ! その間に何か策を練ればいい!」


「おいおいふざけるな。そんな場当たり的な……」


「第一、帝都と皇宮を焼くなどと宣言して、我々の大義はどうなる!?」


「大義が何だ! 貴殿ら宮廷貴族も、結局は自家の利益のために謀反に加担したのだろう!」


「何を言う! 我々愛国派への侮辱だ!」


「そうだ! 我々は強き帝国を取り戻すために立ち上がった憂国の士だぞ!」


「じゃあお前たちはどうするつもりなんだ!」


「……せめて最後まで、帝国貴族の誇りを守って戦う!」


「その通りだ! 我々の信念を訴え、最後の一人まで正々堂々と戦って散るのだ! そうすれば、後世で我々が立ち上がった意義を理解してくれる者たちが……」


「はんっ! 論外だな! 幼稚な理屈だ!」


「何だと!? 貴様、この上は――」


 言い争いは止まらない。愛国派の宮廷貴族と伝統ある中部領主貴族たちは掴み合いの寸前まで白熱し、こうした政治を主戦場としない帝国軍の将たちはその様に戸惑うばかりだった。


「諸卿!」


 騒がしい会議室に、一喝する声が響く。声の主はベルナールだった。


「これでは会議とは呼べない。少し頭を冷やそう。また午後に再開する」


 一応は鎮まって視線を向けてきた一同に、ベルナールは告げる。両派閥の貴族たちは互いに睨み合いながら、別々の入り口から退室していく。帝国軍の諸将はため息交じりに首を振りながら、やはり退室していく。

 最後に、ベルナールも会議室を出る。信頼できる数少ない側近数人を連れて。


「……酷い有様ですな」


「まったくだ。ルフェーブル卿を恋しく思う日がくるとは思わなかった」


 側近の一人に言われ、ベルナールは嘆息しながら同意を示す。

 レジス・ルフェーブル侯爵とは意見も性格も合わなかったが、彼は少なくとも話は通じた。帝国中部の名だたる名門貴族たちをまとめ上げて派閥を作り、維持するだけの政治力やバランス感覚を持っていた。彼がいたら、領主貴族たちの総意が「帝都と皇宮を人質にする」などというものにはならなかっただろう。レジスの頭があれば、時間を稼ぐにしてももっとましな案が出た。

 あの策は論外だ。自分たちは帝国の改革に失敗したが、だからといって帝都と皇宮を焼くなどと破れかぶれに喚くのは言語道断。過程を誤り、結果を得られず、この上で最初の信念まで投げ捨てたら、本当に全てを失ってしまう。

 自分たちは強き帝国を取り戻すために立ち上がった。そう宣言し、これほどの大事を引き起こした。そんな自分たちが、帝都と皇宮を人質にすると宣言したら。帝国の心臓に火を放たれたくなかったら攻撃するな、などと言ったら。帝国貴族としての誇りは地に落ちる。愛国派という名称そのものが、自分たちの家名と共に永遠に穢れる。

 それだけはできない。他の全てが失われたとしても、帝国を愛し、帝国の現状を憂うからこそ行動したというその一点だけは、捨て去ってはならない。

 ではどうすればいい。今の自分たちに、後は何ができる。


「ゴドフロワ侯爵閣下」


 堂々巡りの思案を続けながら歩いていたベルナールを、呼び止める者がいた。

 振り返ると、そこには近衛兵団の士官が一人、立っていた。

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