第206話 分水嶺②

「簡単に誘いに乗ってきましたね……」


「無理もない。敵将はあのフロレンツ・ガレドだ。政略の面では多少の悪知恵が働こうと、戦術の才覚があるはずもない。参謀についている大貴族も、派閥掌握の能力はともかく名将というわけではないだろう……こちらが連携の弱さを逆手にとって罠を張ると、確信して動くことは叶うまい」


 自軍の右側面に突入してくる敵騎兵部隊を眺めながら、スレインとガブリエラは言葉を交わす。

 単純な陣形を選び、鈍重な動きしかできない軍勢。敵側はそう考えたのであろうが、それは決して間違いではない。複数の勢力が集まった即席の大軍は、意志はともかく、行動の面では寄り合い所帯もいいところ。

 だからこそ、スレインたちは自軍の隙を無理に消そうとはしなかった。あえて隙を残し、そこへ敵を誘引して罠にかけることにした。


「第一、このようなかたちで決戦に持ち込まれた時点で、敵の負けは決まったも同然だ」


「それは尤もですね」


 決戦が違うかたちであれば、フロレンツの側にも勝ち目はあった。

 西部直轄領、あるいは帝国北西部閥が寝返っていなければ。西サレスタキア同盟が今よりもずっと弱い枠組みであったならば。西の陣営は四万もの軍勢を揃えることはできなかった。同盟は当初より少ない勢力で進軍し、西部直轄領の制圧で消耗した上で、北西部閥を含む皇帝の陣営と対峙していた。

 そうなると、徴集兵二万を追加で動員した皇帝の陣営に数で押し負けただろう。おそらくは無理をして援軍を大動員したフロレンツの行動は、状況が違えば決して悪手ではなかった。勝利の一手だった可能性さえある。

 ハーゼンヴェリア王家の城への襲撃が成功し、モニカと子供たちが死亡していたら。あるいは人質にでもされていたら。自分が平静を保っていられた絶対の自信は、スレインにはない。自身の動揺が致命的な隙となった可能性も決して否定はできない。

 そもそも昨年の時点では、帝国の侵攻は決して行き詰ってはいなかった。フェアラー王国の裏切りと、蛇将軍サヴィニャック伯爵による大陸西部侵入は、間違いなく西サレスタキア同盟にとって最大の危機だった。

敵軍がリベレーツ王国で予想外に手間取らなければ、同盟諸国の兵力が結集する前に各個撃破され、そこで同盟の歴史が終わっていたとしても不思議ではなかった。

 しかし、現実の結果は違う。西サレスタキア同盟は危機を乗り越え、今まで積み重ねた努力をもって大軍を動員し、政略をもって味方となる勢力を増やし、後方の城への強襲という事態も乗り越え、今ここにいる。

 これまでのあらゆる積み重ねの結果として、王手をかけた状態で決戦に臨んでいる。


「……かかったな」


「ええ」


 敵の騎兵部隊が何かに足をとられたように速度を落としていく様を見て、二人は呟く。

 決戦の場所を選び、先に布陣したのは西の陣営。こちらは数日前からこの平原にいた。

 そして、罠を張っていた。敵の斥候狩りを徹底し、いくつもの見張りの班を立てた上で、毎日夜が来る度に土魔法使いと水魔法使いが出て、密かに地面に細工を施していた。

 まずは土魔法使いが、地面の土を解きほぐす。見た目の上では変化が見えないよう、しかし重力と年月によって固まった土をやわらかくする。

 そこへ、水魔法使いが水を流す。解きほぐされた地面に水を吸わせ、そして人工的に泥濘を作り出す。

 魔法発動の光を隠すため、護衛の兵士たちに魔法使いを厚い布で覆わせながらの、数日にわたる作業。その結果、向こう数日は持つであろう細長い泥濘が生み出された。

 その泥濘を右側面に置くよう位置を逆算して、西の陣営は布陣していた。無理をして複雑な陣形や部隊編成をすることは端から放棄し、この位置に布陣することだけに注力した。

 まだ王太子だったスレインが、フロレンツの仕向けた侵攻軍を撃破した際の策。スレインが初めて勝利を掴んだ策。それを応用し、もう一度同じ手を使った。


「……」


 かつての戦いから学ぶべきだったのだ、と思うのはフロレンツに対して酷か。彼はあの戦場にはいなかった。

王太子だったスレインは自ら戦場に立ち、第三皇子だったフロレンツは全てを配下に任せて戦場には出てこなかった。


「諸卿、よろしいか? ……ではクロスボウ部隊に攻撃を許可する! 敵騎兵を射殺せ!」


 形式的に各勢力の代表者に確認をとった上で、ガブリエラは総大将として命令を下す。それが最前線まで伝達され、陣形の右側面にいる兵士たちが動く。

 そこにいるのは、クロスボウを装備したハーゼンヴェリア王国の予備役兵や、その制度を真似て数年前より同盟諸国が揃えた予備役兵。

そして、西部直轄領の志願兵の一部。彼ら志願兵の主装備も、日々の糧を得るための狩りや商業活動を行う上での自衛のために所有していたクロスボウだった。

 総勢で四千ほどのクロスボウ兵が、敵騎兵に向けて得物を構える。敵騎兵は人工の泥濘に足をとられ、あるいはそんな仲間に進路を塞がれて立往生しながらも懸命に前進しようとするが、彼らが泥濘を脱して突撃を再開するよりも、射撃開始の方が早い。

 まずは半数の二千が、一斉に射撃する。大量の矢が、逃げることも叶わない敵騎兵を貫いていく。

 二人一組のクロスボウ兵たちは、一射目を放った者が装填作業を行う間にもう一人が構え、さらに斉射する。

 もはや、一方的な虐殺に近い様相が生まれる。皇帝の陣営、その左翼側の騎兵部隊はこれ以上の部隊行動をとれる状況ではなく、実質的に無力化された。


「とどめといこう。こちらの騎兵部隊は突撃を」


 その命令で、西の陣営の騎兵部隊、およそ三千が動き出す。主力の左側面で待機していた騎兵たちは、勢いよく馬を駆る。


・・・・・・・


 その様を見たフロレンツは、ぎらついた目と興奮気味の笑顔のまま、口を開く。


「ベルナール! 防いでくれ!」


「敵騎兵が本陣に来るぞ! こちらの右翼側騎兵を前に出せ! 弓兵の右翼側にも援護させろ!」


 ベルナールはフロレンツに代わって指示を飛ばし、間もなく皇帝の陣営の右翼側騎兵、およそ二千が動く。敵騎兵を迎え撃つためにこちらも突撃を開始する。さらに弓兵たちも、狙いを左前方の敵歩兵から、迫りくる右前方の敵騎兵へと移す。

 このように、敵騎兵部隊が動いた際は右翼側騎兵と弓兵で対応し、左翼側騎兵で敵のがら空きの右側面を叩くのがフロレンツたちの元々の作戦だった。

 しかし、事はフロレンツたちの狙い通りには進まない。


「なっ……」


 敵騎兵の後衛の千ほど、その進路が横に逸れた。本陣を無視し、こちらの右翼側騎兵との衝突を前衛に任せ、こちらの歩兵の側面に殴りかかった。

 三千の騎兵戦力をもってこちらの右翼側の防御を突破し、大将首をとる絶好の機会をあえて無視し、騎兵の過半を、こちらの右翼側を押さえるための壁として使った。残る騎兵を側面攻撃に投入し、皇帝の陣営の力を確実に削ぐ道を選んだ。

 この戦場で決着をつけるのではなく、最終的に確実に勝利する道を選んだ。それが敵軍の選択だった。


・・・・・・・


 西の陣営、その騎兵部隊の後衛を担っていたのは、西サレスタキア同盟軍の騎士たちだった。


「神よ、我に力を!」


 手を掲げながら叫んだのは、オスヴァルド・イグナトフ。この決戦でも騎士として最前で戦うことを選んだ彼は、風魔法を発動させながら敵歩兵の側面に斬り込む。

 敵歩兵も無策で側面を晒していたわけではなく、正規軍人の精鋭が槍衾を作って迎え撃とうとしたが、強力な突風に怯んだ隙を突かれてその槍衾を破られる。陣形のほころびが一か所でも生まれれば、そこを突破された後ろにあるのは無防備な隊列だった。


「ははは! 雑兵ども! 皆殺しにしてやる!」


 一方で別の位置では、ドグラス・ヒューブレヒトがやはり国王自ら隊列に加わり、敵歩兵に斬り込んでいた。ケライシュ王国との戦争時と同じく、戦好きの気質を隠そうともしない。

 ドグラスたちが突入したのは、敵歩兵の前衛、徴集兵の隊列の只中。当然ながら彼らは騎兵に立ち向かうだけの度胸も能力もなく、一方的に蹂躙されるがままとなる。ドグラスは大戦の只中で剣を振るうことに狂喜しながら、元は民衆であった徴集兵たちを一方的に狩る。

 その間、帝国北西部閥の騎士たちや、西部直轄領が金で集めた傭兵たちは、味方後衛の突入の隙を稼ぐために敵右翼側の騎兵部隊と軽くぶつかった後、離脱に移っていた。長く戦って徒に損害を増やすことはせず、役目は終わったとばかりに退いていた。

 前面が空いた敵騎兵部隊がこれから友軍の側面を守ろうにも、既に同盟軍の騎士たちは突入を済ませている。

 こうして、皇帝の陣営の歩兵部隊は隊列を維持できず崩壊。徴集兵たちはただ逃げまどうばかりで、それを防ぐ役目を持っていた後衛の正規軍人たちも、既に大損害を負い、隊列を大きく乱している。督戦隊の任を果たすことも、疲弊した敵前衛に斬り込むことも、もはや叶わない。


・・・・・・・


「……皇帝陛下。これまでです。退避を」


 ベルナールは悔しげな表情で、フロレンツに呼びかける。

 敵騎兵がこちらの本陣ではなく歩兵を狙って突撃したおかげで、本陣は未だ無事。しかし、このまま留まっていてはいつまで安全か分からない。

 戦力を維持している右翼側の騎兵部隊二千を基幹とし、できる限りの部隊再編を行いながら帝都まで後退するしかない。それとて、無事に帝都へ戻れるのは全隊の何割か分かったものではない。

 状況は絶望的だが、とにかく今は、皇帝フロレンツを生き長らえさせなければならない。

 ベルナールが顔色をうかがうと、フロレンツは――いつもの穏やかな表情に戻っていた。


「そうだな、仕方がない。ひとまず帝都に帰ろう……まったく、何度やってもハーゼンヴェリア王には敵わないなぁ」


 笑顔さえ見せながら、しかし目は虚ろで、フロレンツは馬首を後ろへと転換させる。ベルナールをはじめ、皇帝を囲む側近や近衛騎士たちが後に続く。

 急ぎ気味に馬を進めながら、ベルナールは一人、思案する。

 後悔は山ほどある。

 個人的な野心や復讐心で二正面作戦を選んだフロレンツを、どれほど不興を買おうと止めるべきだった。全戦力を東に向けていれば、十万を超える大軍をもってまず最初にマクシミリアンとパトリックを仕留め、帝国全土を支配下に置いて安定させることができていただろうに。

 アーレルスマイアー侯爵家をはじめとした帝国北西部閥を敵に回すことを避けるため、第二皇妃や第二皇女は生かしておくべきだった。第三皇女ローザリンデを追うべきではなかった。彼女たちを皇族として変わらず遇しておけば、北西部閥が敵に回ることはなかった。この会戦で敵の兵力は減り、こちらの兵力は大幅に増えていただろうに。

 自分ならば大軍の将も務まるなどと考えるべきではなかった。帝国中央の軍部の掌握はお手のものだったが、外部の敵と真正面から戦争をして勝利できるだけの才覚は、自分にはなかった。政略の才覚はあり、戦略についても悪くはなかったはずだが、戦術の才覚は自分にはない。わきまえるべきだった。自惚れるべきではなかった。

 今さら後悔してももう遅い。自分たちは敗けてはならない決戦で敗けた。

 こうなったら、東でマクシミリアン・ガレドと戦ったレジス・ルフェーブル侯爵が勝利していることを祈るしかない。

 彼がマクシミリアンに打ち勝っていれば、そのまま帝国東部や北部を掌握し、残った兵力を連れて舞い戻ってきてくれる。こちらは帝都に立てこもって救援を待っているだけでいい。

 しかし、果たしてそう上手くいくだろうか。ルフェーブル侯爵は老獪な大貴族だが、所詮は政治が専門の男だ。自分がそうであったように、彼に将としての才覚があるとは思えない。軍事畑の人間でない分、自分より酷いだろう。

 当初のこちらの予想より遥かに善戦し、大兵力を揃えてきたマクシミリアンに、レジスが勝利する光景が思い浮かばない。


 そんなベルナールの悪い予感は、やはり的中した。

 西の陣営の追撃を受けながら帝都へと逃げ戻るその道中で、帝国東部における皇帝の陣営の大敗と、レジス・ルフェーブル侯爵の戦死の報がフロレンツのもとへ届けられた。

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