第205話 分水嶺①

 そして戦いが始まる。

 それぞれおよそ四万の兵力で対峙した二つの軍勢。西の陣営は守りを主軸とした、皇帝の陣営は攻めを主軸とした陣形を築いていた。


「見ろ! もたもたと動く鈍重な敵兵たちを! あれが軍を称するとは笑わせてくれる!」


 丘の上に置かれた本陣から眼下の敵軍を見渡し、喜色交じりに言ったのはフロレンツだった。

 西の陣営は前衛に歩兵を、後衛に弓兵を、そして後衛の左側面に騎兵を並べる陣形。しかし布陣に向けた動きはもたついており、隊列もお世辞にも整っているとは言い難い。

 兵の練度も指揮系統もばらばらであるための弊害だと、この様を見たフロレンツは考える。無難な陣形をとっているのも、あえてそうしているのではなく、他の複雑な陣形をとれないため。騎兵が片側に寄っているのも、両翼に配置した騎兵部隊それぞれを効果的に運用する体制が整っていないためだろう。そう決め込む。

 対する皇帝の陣営は、徴集兵が多いことは変わらないが、まとまりという点では多少上回っている。帝国常備軍というひとつの組織を主軸に置き、中部皇帝家直轄領の徴集兵、フロレンツの言うところの「皇帝の民による軍隊」を力によって統率している。

 陣形の最前に立つのは、その「皇帝の民による軍隊」だった。徴集兵でありながら突撃の先頭を命じられた彼らは、「勝利の暁には、報酬として帝国東部や北部に土地と農奴を与える」という皇帝の宣言のみを士気の源に、なけなしの勇気を振り絞って戦場に立っていた。

 その後ろには、突撃の第二波となる帝国軍や西部貴族の手勢。彼らは徴集兵たちの敵前逃亡を防ぐための督戦隊も兼ねている。

 そうして大きな横隊を形成する歩兵の後ろで、八の字に広がるように布陣している弓兵。さらに歩兵の両側面に、十分な数の騎兵が置かれている。陣形の片側のみに騎兵を置いた西の陣営よりも遥かに柔軟に動けるため、この布陣の時点で皇帝の陣営が一段有利だった。


「さあ、戦いを始めよう! 皆殺しにしてくれる!」


 高らかなフロレンツの宣言で、彼の陣営が動き出す。歩兵が前進を開始し、その速度に合わせて騎兵も前に出て、弓兵がそれに追従する。


「……」


 ベルナールはフロレンツの参謀として彼の隣に立ちながら、戦場と彼の横顔に視線を行き来させる。

 人間性や行いはともかく、フロレンツは表面上は、いつも穏やかで落ち着いている人物。臣下の失敗に声を荒げることもなく、敵対的な相手について語るときも紳士的な口調を崩すことはない。自分を寛大に見せるためのポーズかもしれないが、少なくともそのポーズを貫いてきた。

 敵であろうと、決して「皆殺しにしてくれる」などと乱暴な言動をとることはしなかった。

 そのフロレンツの様子がおかしくなったのは、つい一昨日、ハーゼンヴェリア王城を襲撃した部隊からの報告があってから。

 四人の装甲歩兵を手薄な王城に突入させ、王族を捕縛する。場合によっては何人か殺す。「西サレスタキア同盟軍が進軍を停止して大陸西部へと退かなければ、王族を皆殺しにする」と脅す。

 スレイン・ハーゼンヴェリア王は賢しいとはいえ、所詮は平民上がりの若者。愛する妻と子供たちがそのような状態になれば平静ではいられない。動揺し、取り乱すに決まっている。フロレンツはそう語り、その主張には一定の理があるとベルナールも考えた。実際に同盟軍が退くことまではないとしても、その行動や結束に何らかの影響が出るだろうと予想した。

 そうして同盟内、延いては西の陣営内の足並みが乱れれば、共闘の体制が崩れる。決戦直前のほんの数日、いや決戦当日だけでも不和を起こせれば、決戦時に敵の動きに綻びを作らせることもできるかもしれない。

 そんな一か八かの手は、しかし失敗した。王城に突入した装甲歩兵たちから作戦成功の合図が来ることはなかったと、ガレド鷲使いたちから報告が来た。

 それを聞いて以降、フロレンツは目がどこかおかしい。今は言動もおかしくなった。

 穏やかさを保っているように見えて、余裕がなくなっている証左か。ベルナールは内心でそう独り言ちる。

 敵味方の軍勢が近づき、まずは矢と魔法の応酬が始まる。

 弓兵の数は互角で、魔法使いの数はこちらがやや優勢。主に歩兵の前衛を中心に、両軍に損害が発生していく。

 西の陣営の歩兵前衛は盾を構え、矢と魔法の雨に耐えながらその場に踏みとどまる。一方で皇帝の陣営の歩兵前衛は、後ろに正規軍人が待ち構えているために逃げることも叶わず、粗末な装備で必死に前進する。倒れた仲間を踏み越えて敵陣に迫る。その迅速な前進のおかげで、結果的には矢と魔法による損害も少なく済んでいる。

 そして、両軍は激突する。

 最前衛の戦いは、練度で勝る西の陣営が優勢となる。徴集兵による数任せの突撃を懸命に受け止め、耐える。

 しかし、そこへ弓兵と魔法使いによる援護が加わる。味方の最前衛を多少巻き込むことさえ厭わずに敵の前衛へと撃ち込まれる矢と攻撃魔法が、西の陣営の防御に綻びを作り始める。

 西の陣営からも矢と魔法が飛ぶが、それによって損害を受けるのは皇帝の陣営の前衛、徴集兵たち。後続の正規軍人はほとんどが無事なまま。

 間もなく、徴集兵たちが少なからぬ犠牲と引き換えに疲弊させた西の陣営の歩兵前衛へと、帝国軍人や貴族の手勢が進み出る。勝負を決めにかかる。

 それと併せて、騎兵による決着をつけるのも忘れない。


「よし、左翼側の騎兵を敵の右翼に向けて突撃させろ! がら空きの右側面から横腹を食い破ってやれ!」


「お待ちください、皇帝陛下!」


 興奮しながら命令を下そうとするフロレンツを、ベルナールは止める。


「敵にはオルセン女王やハーゼンヴェリア王がいます! ただ右側面を無防備なまま空けているとは思えません! 何らかの罠がある可能性も!」


「おいおいベルナール! 何を弱気なことを言っているんだ!」


 フロレンツは喜色満面で、瞳孔の開いた目をベルナールに向ける。


「確かに、騎兵に対抗するクロスボウ兵などが右側面には多く認められるが、それが何だと言うんだ! その程度の備えで数千騎の騎乗突撃を完全に止められるわけがないし、それ以外には何らの対策も見られない! 地形もただの平原だぞ!」


 フロレンツが指さした先、西の陣営の右側面は、確かにただの平原。空堀も、木柵のひとつも作られていない。まったくと言っていいほど防御陣地化されていない。


「いくら敵側の将がオルセン女王とはいえ、異なる勢力の寄せ集めでしかない軍勢の全体に強権的に命令できるわけではない! いくらハーゼンヴェリア王が参謀についているとはいえ、あの軍勢において彼は大勢いる将の一人だ! 協力体制を築けていない、連係がとれていない、その証左があの無様な陣形だ!」


 そう言われて、ベルナールは返答に窮する。


「今、騎乗突撃を仕掛ければ敵の軍勢は完全に崩壊する! この機を逃す手はない! ……それともベルナール、君には他に何か良い手があるのか? ここで敵軍に止めを刺すよりも良い手があるのなら、是非とも教示を頼む!」


「……いえ、ございません」


 反論はできなかった。西部侵攻において何ら成果を示せていない、失態ばかり重ねた身で、悪い予感がするというだけで皇帝の命令を覆す進言はできなかった。


「では決まりだな! 左翼騎兵部隊! 突撃だ!」


 命令は直ちに伝達され、皇帝の陣営の左翼側、およそ二千の騎兵が突撃を開始する。

 徐々に速度を上げながら、西の陣営の歩兵、その右側面に食らいつこうと迫る。


「……」


 頼む。成功してくれ。

 自分の悪い予感が、ただの考えすぎであったと証明してくれ。

 勝利しなければ、自分たちに未来はない。

 ベルナールは祈るような気持ちで、その騎乗突撃を見守る。

 二千の騎兵は最大速度に達しながら、一気呵成に敵歩兵の横腹へと突入――しなかった。

 騎兵たちは先頭側から急激に速度を落としていき、後続の騎兵たちはそんな仲間に進路を塞がれて行き詰まり、立往生し始めた。隊列がごった返す中で、落馬する者や馬ごと倒れる者もいた。


「ど、どうしてだ! なあベルナール! どうして騎兵たちは止まったんだ!」


「あれは……どうやら、地面に足をとられているようです」


 動揺を露わにするフロレンツの隣で、ベルナールは表情に絶望を浮かべながら言った。

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