第204話 決戦の朝

 王城の襲撃とジークハルトの死を受けて、しかしスレインは行動を何ら変えなかった。

 臣下たちが引き続きモニカと子供たちを守ってくれると信じ、王国の未来のため、そしてジークハルトの墓前に勝利を届けるために、前進して決戦に臨むと決意した。ガブリエラをはじめ友邦の君主たちにもそう伝えた。

 そして遂に、スレインたち西の陣営と、フロレンツ自ら率いる皇帝の軍勢が、帝国西部、いくつもの森に囲まれた平原で対峙した。

 およそ四万対四万。スレインたち大陸西部の君主にとっては、自分たちも、その先祖も、体験したことのない歴史的な大戦がもうすぐ始まる。

 決戦の朝。西の陣営を構成する各勢力の長たちが、各々の部隊を前に演説する。


「今まで我らイグナトフ人を散々こけにしてきた皇帝フロレンツ、その軍勢が目の前にいる! 我らが夢にまで見た復讐のときが来た! 我らの強さを、真の力を、敵に思い知らせてやるのだ!」

 オスヴァルド・イグナトフが雄々しく声を張り、騎兵を主軸とした精強な戦士たちが同じく声を張って答える。

 自分たちの王の強さを、イグナトフの貴族と民は誰一人として疑わない。


「いいか諸君! 諸君も知っての通り、私に軍才は乏しい。だが、今回の指揮官は勇猛果敢なガブリエラ・オルセン女王だ。さらには大陸西部の稀代の策士、帝国の軍勢に三度打ち勝った英雄、そして私の可愛い従甥であるスレイン・ハーゼンヴェリア国王も一緒だ。これなら諸君も心配ないだろう。共に戦い、上手いこと生き残り、そして家族のもとへ帰ろう!」

 飄々と言ったのはステファン・エルトシュタインだった。その言葉に、エルトシュタインの軍勢は笑みの混じった明るい返事をする。

 大陸西部の諸王の中で器用に立ち回り、さして強国とは呼べないエルトシュタイン王国を何だかんだで守り抜いてきたステファンへの信頼は厚い。


「我らは生き残ってきた! ヴァロメア皇国の崩壊、動乱の時代、そして多くの国がひしめく時代を、ルマノの地を故郷として乗り越えてきた! この戦乱もまた乗り越える! 故郷ルマノの名を我らの子に、孫に、その先の子孫たちに残すのだ!」

 老体に鞭打って自ら決戦の場に出てきているジュゼッペ・ルマノは、ここが頑張りどころとばかりに精一杯の声を張る。苦労を重ねながら小国ルマノを保たせてきた彼の声に、僅か数百人の軍勢は敬意を込めて応答する。

「……ここまで生き長らえてきたのだ。このようなところで終わってたまるか」

 演説を終えたジュゼッペは、自分だけに聞こえる声で呟く。

 老齢の自分にとって、おそらくこれが最後の大舞台となる。さしたる才覚もない凡庸な王だったが、政略と少しの決断力をもって、ルマノの治世を最後までやり抜いてみせる。ジュゼッペはそう決意を固めていた。


「歴史に残る大戦争だ! 人生最大の晴れ舞台だ! ここで戦功を挙げた者には莫大な褒美を与えてやろう! 敵の大貴族の首を持ち帰れば、平民は貴族に取り立ててやる! 貴族には俺の身内を伴侶としてくれてやる! 者共、奮って戦え!」

 ドグラス・ヒューブレヒトの荒々しい宣言に、騎士も兵士たちも獰猛な吠え声で応える。遠くヒューブレヒト王国から参戦した、武勇伝と戦功を求める者たちがおよそ五百人。数は少ないが、西の陣営にとって頼もしい戦闘狂の集団だった。


「二年前、我々は西サレスタキア同盟に救われた。盟約によって、大陸西部の同胞たちより助けを差し伸べられた。そして今は、我々が盟約を守るときである。エーデルランドの誇りを示せ」

 落ち着いて語るクラーク・エーデルランドに、傘下の部隊は力強い返事を揃える。友邦に守られるばかりでなく、友邦を守るために戦う力を世界に証明する。その決意を滲ませる。


「時代は移ろう。ランツ人民共和国の創始者、我らの同志ユーリ・ウォロトニコフも既に世を去った。社会は変わりゆく。我々の理想を守るため、社会との繋がりを狭め続けることはもはや難しい。我々は新しい時代を、新しい社会を生きなければならない。誰も歩んだことのない道のりだ。苦難もあるだろう。失敗もあるだろう。しかし、我々は歩まなければならない。理想主義と言われても、理想を捨ててはならない。理想を現実とする努力を続けなければならない……だからこそ、今、目の前に立ちはだかる現実の脅威に抗い、共に乗り越えよう」

 ランツ公国の国家主席、ルドルフ・アレンスキーは感情を押さえて語った。それに、公国から派遣された傭兵部隊と、公国の理想を守るために志願した男女三百人の民兵が熱を帯びて応えた。

 その様を、ルドルフは複雑な気持ちで眺める。

 全員が等しい立場で生きる。その国是は、戦後は今までのように維持できないだろう。国を守るために戦った志願兵たちは、帰国後は嫌でも特別の敬意を払われる。おそらく、彼らを率いた自分も英雄視される。

 英雄を必要としない社会を作るためにこそ、ランツ人民共和国が生まれたというのに。

 理想の道のりから逸れる、その最初の一歩を自分が刻んでしまった。これから戦いが待っている。この戦争の後も、理想と現実の狭間で抗う長い戦いが待っている。


「かつて、我が父の時代、我々は敗北者となった。ヴァイセンベルクの名は地に落ち、厳しい日々が何年も続いた。そして二年前、我々は敗北者としての罪を償った。ヴァイセンベルクが大陸西部の同胞であることを再び証明した。今日、我々は誇りを取り戻す。勝者となり、誇り高きヴァイセンベルク王国を蘇らせるのだ!」

 堂々と、ファツィオ・ヴァイセンベルクは語りきった。

 まだ若い、幼さすら感じさせる主君に、かつて大陸西部最強と謳われたヴァイセンベルクの戦士たちが拳を突き上げて応えた。


「私たちは大きな犠牲を払いました。祖国の存続の危機さえ迎えました。ですが今、我らがリベレーツ王国は確かに存在しています。そして、これからも存在し続けるのです」

 セレスティーヌ・リベレーツが語るその御前に並んでいるのは、彼女を女王として己の忠節を捧げる者たち。昨年の戦いで受けた傷が未だ回復していないリベレーツ王国だが、この戦いに志願した騎士や兵士、民衆は多い。

「帝国に示すのです。私たちは屈しないと。私たちの自由を守り、理想を追い求め続けるのだと。この歩みは誰にも止められないのだと!」

 以前にも増して強く凛々しい女王として、セレスティーヌは宣言する。


「私は母と姉を失いました。彼女たちはただ、私の母と姉というだけではありませんでした。帝国北西部を故郷とする皇族であり、帝国北西部の理解者、庇護者でした。アーレルスマイアー・ガレドを名乗る皇族たちでした……その彼女たちはもういません。私だけが、アーレルスマイアー・ガレドを名乗る皇族として生き残りました。だからこそ!」

 かつてとは別人のような堂々とした様で、力強い声で、ローザリンデは語る。彼女の傍らには、老齢のユルゲンに代わって北西部閥の代表を務めるジルヴェスターが、静かに控える。

「これからは私が、アーレルスマイアー侯爵領を、帝国北西部を、あなたたちを庇護します! 私はもう逃げません! 突然に命を奪われた母と姉の仇を討ち、忠節と貢献を踏みにじられたあなたたちの無念を晴らすために! 私が再び、長兄マクシミリアンたちと手を取り合い、あなたたちの忠節と貢献に応える皇帝家を作ります! 秩序ある帝国を復活させます! 我が身を旗頭とし、どうか戦ってください! 簒奪者フロレンツに打ち勝ってください!」

 その呼びかけに、凄まじい鬨の声が返った。

 ローザリンデはもはや飾りではなかった。真の意味で、支配者の血脈を受け継ぐ一人の象徴だった。


「西サレスタキア同盟。その礎となる発想を考えたのは、先々代の王である我が祖父だった」

 同盟の遠征部隊の中でも最大規模を誇るオルセン王国の軍勢の前で、ガブリエラは言う。

「祖父の発想を父が継ぎ、ひとつの思想へと磨き上げた。その思想を私が継ぎ、実現した。同盟が形を成したからこそ、我々は今、ガレド大帝国の領土へ進軍している。大陸西部諸国が力を結集することで、帝国と対等に渡り合うだけの力を得ている……忘れるな。今日という日を。完全な形を成した同盟が勝利する日を。同盟の起点となったオルセン王国、その力を証明せよ!」

 ガブリエラの高らかな声への呼応は、大陸西部諸国の部隊の中で、最も大きかった。


「……国とは、すなわち民である」

 ハーゼンヴェリア王国の遠征部隊、およそ千人。彼らを前に、スレインはまず、静かに語り始めた。

「民こそが国を作る。ハーゼンヴェリア王国もそうだ。五万を超える民の一人一人が、その営みを通して、その生を通して、国を作り、守り、継承してきた。そのことは私もよく知っている。かつて私も民の一人だったからこそ」

 騎士、兵士、予備役兵、徴集兵。それ以前にハーゼンヴェリア王国民である千人が、君主スレインの言葉に耳を傾ける。

「これから始まる戦いは、王族や貴族のための戦いではない。民のための戦いだ。君たちの土地を、君たちの家を、君たちの家族を、君たち自身を。守るためにこそ戦うのだ。それこそが国を守るということだ。そのために、私は王として君たちの前に立っている……王国貴族たちよ。民のために戦い、私と共に為政者としての義務を果たせ。王国臣民たちよ。己のために戦い、以て国を守れ。私たちは幾度も帝国に勝利してきた。私たち皆で勝利を掴んできた。今日、新たな勝利を歴史に刻むのだ!」

 力強く演説を締めたスレインに、千人は声を揃え、応、とただ答えた。


 全ての者が、それぞれの守るべきもののために、決戦に臨む決意を固めた。

 歴史の勝者となる。その一点を共通の信念とし、複数の勢力が寄り集まった西の陣営四万は、ひとつの軍勢となった。

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