第203話 手向け

 王城襲撃の報は、事態が収束する前に市街地にも広まった。ガレド鷲の群れが王城を急襲する様を目撃した住民たちによって、瞬く間に噂が拡散された。

 それを聞いたセルゲイ・ノルデンフェルトは、屋敷にとどまってはいられず、王城を訪れた。

 足を踏み入れた王城は、平時ではあり得ないほどに荒れていた。

 前庭の至るところに血が飛び散り、死体さえまだ転がっている。正視に耐えない凄惨な死体ばかりだった。前庭の隅では、数人の負傷者がメイドたちから手当てを受けていた。

 城館はバルコニーが半壊し、正面玄関の扉は爆ぜたように壊れていた。


「伯父上! どうしてここに!」


 呆然とその様を見回していると、宰相を務める甥のイサークが駆け寄ってくる。


「王妃殿下と御子様方は! ご無事なのか!」


「……皆様ご無事です。お怪我もされていません」


 それを聞いてひとまず安堵したセルゲイは、しかしイサークの表情がひどく険しいことに気づく。


「では、誰か要人が死んだのか」


 その問いかけに、イサークは少しためらうような素振りを見せた後、口を開く。


「……ジークハルト・フォーゲル伯爵が戦死しました」


 それを聞いたセルゲイは目を見開いて固まり、そして深く、息を吐いた。


・・・・・・・


 四人の装甲歩兵による襲撃で、ハーゼンヴェリア王家の城では十五人の死者が出た。

 敵の目的は殺戮ではなく、おそらくは王族の暗殺か、王族を人質にとることだった。そのため、死者は敵の進路上に運悪く居合わせた者と、命を賭して敵に立ち向かった者だけだった。

 使用人八人。近衛兵六人。そして、王国軍将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵。

 襲撃を受けたことによる異様な緊迫感がようやく落ち着いた夕刻、セルゲイは城館の一室に安置されたジークハルトの遺体と対面する。


「……」


 遺体を覆っていた毛布をめくると、穏やかな死に顔がそこにはあった。その目が開かれることは二度とない。


「……お前まで逝ったのか。この老いぼれよりも先に」


 ため息交じりに、セルゲイは呟いた。

 古い記憶がよみがえる。まだ若き王太子だったフレードリクと、その親友であり若き側近であったジークハルトを、宰相として導き支えた日々。それよりももっと昔、幼いフレードリクとその遊び友達であったジークハルトを机につかせ、教育を施した日々。

 あの頃は当然に、自分がいずれ老いて役目を終え、彼ら二人に見送られるのだと思っていた。こんな運命が待っているとは思わなかった。自分が生き長らえたまま、彼ら二人ともを見送ることになるとは。

 セルゲイはジークハルトの肩にそっと手を置く。

 多くの無念が残っていることだろう。王国と大陸西部の運命を決める戦争、その決着を見ることも叶わない。皇帝フロレンツとの戦いに赴いた主君スレインの帰還を迎えることもできない。戦いの後に訪れる平和を見ることもない。


「……」


 セルゲイは無言で、ジークハルトの死に顔を見下ろす。

 ならば、自分が代わりを務めよう。彼の代わりに戦争の決着を見て、主君の帰還を迎え、終戦後のハーゼンヴェリア王国を見よう。

 時間はそう長く残されてはいまい。三年、いや二年とないだろう。どれだけ見られるかは分からないが、彼が見たかったであろう王国の未来をでき得る限りこの目で見て、そして自分も逝こう。神の御許で、彼とフレードリクに伝えよう。


「安らかに。我が友よ」


 共にフレードリクを支え、彼亡き後の王国を共に守り、そして共にスレインを導き支えた。

 最後の友に告げて、セルゲイは部屋を後にした。


・・・・・・・


 西サレスタキア同盟、帝国北西部閥、そして西部直轄領。三つの陣営の部隊が入り混じった野営地は、装備も所属も違う者たちが行き交い、雑然とした雰囲気が漂っていた。

 そんな野営地から少し離れたところに、スレイン・ハーゼンヴェリア国王の副官パウリーナ・ブロムダールはいた。

 パウリーナは立場上、スレインの遣いとして他の陣営の将のもとに赴くことも多い。また、兵士の中には当然ながら粗野な者もおり、パウリーナの身分や立場を知らない他の陣営の兵士たち全員に紳士的な振る舞いを期待できるとは言えない。

 そのため、この進軍中、彼女には常に近衛兵の護衛がつけられている。専属護衛を務めるのは、騎士ルーカスだった。


「……すみません。あなたにとっては退屈な仕事でしょう。せっかくの歴史的な大遠征で、陛下の副官である私の護衛なんて」


「いえ。あなたは陛下の側近です。あなたの護衛任務を、陛下より名指しで命じていただいたことは大変な名誉だと思っています。それに、近衛兵団はもともと戦功からは遠い部隊ですので」


 暇な待ち時間でパウリーナが雑談を振ると、ルーカスは首を横に振る。


「では、せめてあなたに手間や苦労をかけないよう気をつけます。一度命を救ってもらって、また大変な思いをさせてしまうのは心苦しいですから」


「お気遣いはありがたく存じますが、近衛兵団は王家の盾です。王家や、あなたのように王国にとって重要な方の盾になれるのであれば本望。何度でも身を盾にしてあなたをお守りする所存です」


「……そうですか」


 パウリーナはそう答えながら、ルーカスから少し顔を逸らす。まるで表情を隠すように。


「尊敬します。あなたの覚悟を」


「恐縮です」


 その後、二人の間に沈黙が流れる。パウリーナも、そしてルーカスも、この沈黙を気まずいとは感じなかった。二人とも、元々あまり多く喋る質ではない。

 それから間もなく。パウリーナは空を見上げる。近づいてくる鳥の影が見える。

 後方、ハーゼンヴェリア王家の城から定期報告を届けに来る、鷹のヴェロニカだった。パウリーナが地面に広げていたハーゼンヴェリア王家の紋章旗を目印に降下したヴェロニカの脚、そこに丸めて括りつけられている小さな手紙をとったパウリーナは、その内容を確認する。


「……え」


 そして、呆然として声を零した。


・・・・・・・


 城から重要な報告が届いた。ハーゼンヴェリア王国の遠征部隊の主要な顔ぶれ、その全員が急ぎ把握すべき内容だった。

 パウリーナにそう言われ、スレインは自身の天幕にヴィクトルとイェスタフ、貴族領軍をまとめるトバイアス・アガロフ伯爵とユルギス・ヴァインライヒ男爵を集めた。

 皆の前で、硬い表情のパウリーナが口を開く。


「……ガレド鷲四羽に運ばれ、帝国の装甲歩兵四人が王城を強襲。しかし将軍フォーゲル伯爵閣下と筆頭王宮魔導士ブランカ様、近衛兵団によって殲滅されました。王妃殿下と御子様方は全員がご無事でしたが、近衛兵団と使用人に少なくない人的被害が発生……また、フォーゲル伯爵閣下が戦死されたそうです」


 それを聞いた誰もが息を呑み、驚愕した。

 スレインは唖然としていた。


「現在、ノルデンフェルト侯爵閣下のご判断で王族の方々は王城から避難され、所在は近衛兵団と一部の貴族以外には明かされていないそうです。王都や王領に治安の乱れなどもなく、国家運営は引き続き問題なくなされていると」


「……そうか。モニカと子供たちの無事は確かなんだね?」


「はい。皆様、無傷であらせられると文で明言されています」


「分かった……そして、ジークハルトが戦死したと」


「はい。そのようにあります」


 聞き直しても、答えは変わらない。

 しばしの沈黙の後、スレインは立ち上がった。


「イェスタフ・ルーストレーム子爵」


「はっ」


 名を呼ばれたイェスタフは、敬礼して応える。


「今この時より、君がハーゼンヴェリア王国軍の将軍だ。王家の剣たる王国軍、その実務指揮の全権限を君に預ける。心して務めてほしい」


「我が命と名誉に賭け、全霊をもって職務に臨む所存であります!」


 力強く、これ以上なく頼もしい返事を見せたイェスタフに、スレインは穏やかな表情で頷く。


「それと、パウリーナ。この件はひとまずオルセン女王にのみ伝えてほしい。後で、僕から同盟の諸王に直接伝える場を設ける」


「御意」


 パウリーナは静かに一礼した。


「それじゃあ皆、今は下がっていい。少しだけ一人になりたい。今後のことについてはまた後で話そう」


 スレインの言葉で、この場にいる臣下たちは天幕を出ていく。

 そして、スレインだけが残る。

 椅子の背に身体をもたれかけ、天幕の天井を見上げ、そして、深く、深く息を吐く。


「………………ジークハルト」


 彼の名を呼んだ。

 王城に帰還しても、彼がもういないとは。この世のどこにもいないとは。軍服に包まれたあの大柄な体躯を、懐の深さを感じさせる快活な笑顔を、見ることが二度とないとは。信じられない。この先も実感が湧く気がしない。

 まだ王城に来たばかりで、ひどく困惑していたときのことを思い出す。謁見の間から一度は逃げ出した自分に、前を向いて最初の一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたのは彼だった。

 彼は常に自分を支えてくれた。色々な話をしてくれた。彼を通して、自分は亡き父フレードリクがどのような人物だったかを知った。


「……」


 ただ静かに、スレインは彼を悼む。彼が今、安らぎを得ているよう祈る。

 そして、立ち上がった。

 泣きはしない。狼狽えはしない。憤って冷静さを失ったりもしない。フロレンツ・ガレドの思い通りにはならない。

 これから決戦が待っている。自身の死で主君がふさぎ込むことを、ジークハルトは望まないだろう。彼が望むのはハーゼンヴェリア王国の勝利だ。栄誉ある平和と未来だ。であれば、勝利を得て帰還することこそが、彼への最も大きな手向けとなる。

 彼を偲び、涙を流すのは、勝利の後にするべきだ。

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