第202話 忠臣
崩れたのはジークハルトたちのいる位置から少し離れた場所。ちょうど若い近衛兵がいる辺りだった。何か重いものが空から降ってきて、城館の屋根を突き破ったのだと分かった。
こちらへと駆けていた若い近衛兵は、瓦礫の山と、降ってきたものに押し潰された。おそらく生きてはいない。
瓦礫の山の上、これほどの衝撃をもって落下してもなお平然と立ち上がったのは――肉体魔法使いの装甲歩兵だった。
「下がれ! 逃げるぞ!」
進路を塞がれた。寝室にはたどり着けない。他の場所に逃げるしかない。
瞬時に判断したジークハルトは皆に指示を飛ばす。ミカエルを近衛兵の一人が抱きかかえ、王族を守るようにジークハルトともう一人の近衛兵、そして数人のメイドが囲み、廊下を反対方向へと走る。
それを、装甲歩兵は追ってくる。重装備に似つかわしくない速さで迫りくる。
ジークハルトたちは階段を降りようとしたが、下からも装甲歩兵が一人、上がってくるのが見えた。もはや階下も危険と判断し、廊下をさらに奥へと逃げる。
瓦礫と敵に押し潰された伝令は、ガレド鷲が四羽いたと言っていた。四人の装甲歩兵が城内に侵入したとなれば、相当に厄介な状況と言える。最終的には敵の魔力が切れて勝利できるとしても、どれほど犠牲が出るか分からない。その犠牲に王族が含まれてしまう可能性もある。王族を人質にとられ、こちらが身動きをとれなくなってしまう可能性もある。
ガレド鷲を四羽も投入し、肉体魔法使いの損耗を厭わず少人数で敵地の只中に置く。帝国だからこそ実行できる恐るべき策に、ジークハルトは表情を歪める。
逃げる最中、メイドの一人が転んだ。しかし誰も足を止めない。モニカでさえ、彼女を一瞥して辛そうな表情を見せたが、そのまま走り続ける。
装甲歩兵が迫る中、メイドは悲鳴を上げながらも身を盾にした。装甲歩兵の足にしがみつき、その歩みを少しでも止めようとした。
装甲歩兵は表情こそ見えないが、煩わしそうに足元のメイドに顔を向けると、剣を振り下ろす。メイドは肩から腰まで両断されて絶命し、しかし彼女が稼いだ少しの時間で、ジークハルトたちは廊下の反対側の奥へとたどり着いた。
角部屋は王族の書斎だった。隠し通路どころか身を隠す場所さえろくになく、扉もさして頑丈ではない部屋だが、もはやここしかモニカたちを避難させる場所はなかった。
「この中へ!」
モニカたち王族と、非戦闘員であるメイドたちを書斎の中に押し込めると、ジークハルトは近衛兵二人とともに迫りくる装甲歩兵を見据える。
「いいか。命に代えてもあれを倒し、王妃殿下と御子様方をお守りする」
「「はっ」」
廊下の奥に追い詰められ、敵は装甲歩兵。一人目はもう目の前で、階下から上がってきた二人目も歩いてくるのが見える。いずれ他の装甲歩兵も現れるだろう。
絶望的な状況で、しかしジークハルトも二人の近衛兵も動揺は微塵も見せない。覚悟と使命感だけを顔に表す。
一人目の装甲歩兵が剣を振り上げて突進してくる。それに対し、近衛兵二人が斬りかかる。
強行突破を防ぐために鎧の僅かな隙間を狙って牽制し、装甲歩兵の動きを封じる。一方で、肉体魔法によって強化された筋力任せの重剣の斬撃は紙一重で躱す。
二人がかりでの牽制によって時間が稼がれる中で、ジークハルトは敵に致命傷を負わせる一撃を叩き込もうと隙を狙う。片足に未だ違和感を抱えるジークハルトにとって、それが唯一の勝ち筋だった。
幸いにも、装甲歩兵は二人同時には攻撃してこない。そうするには廊下は狭すぎる。
「――っ!」
装甲歩兵の動きに隙を見出し、ジークハルトは必殺の攻撃を加える。
鎧のない脇を狙った攻撃は、しかし装甲歩兵が咄嗟に腕を降ろしたことで間一髪、防がれる。
その動きで生まれた、兜と胴鎧の間、首の横側の間隙を、近衛兵の一人が狙おうとした。
「待て!」
ジークハルトの制止は間に合わない。既に攻撃の体勢に入っていた近衛兵は、装甲歩兵が恐ろしい速さで横薙ぎに振った剣を避けることが叶わない。
近衛兵は咄嗟に剣で防御しようとしたが、装甲歩兵に対してその行動は悪手。剣はいとも容易く折られ、近衛兵の頭は敵の重剣と廊下の壁に挟まれて果実のように叩き潰された。
「でやあああっ!」
大振りな攻撃を放ったことでがら空きになった装甲歩兵の脇に、ジークハルトは今度こそ一撃を叩き込む。斜め上に振り抜くように放った斬撃は装甲歩兵の片腕を斬り飛ばす。
くぐもった叫び声をあげた装甲歩兵の兜、視界を得るための隙間に、生き残っているもう一人の近衛兵が剣先をねじ込み、そして引き抜く。
兜から血を溢れさせながら、装甲歩兵が頽れる――と思った瞬間、その身体が勢いよくジークハルトに迫ってきた。
後ろに控えていたもう一人の装甲歩兵が、倒された仲間の死体を蹴り飛ばしたのだ。
装甲歩兵の重い身体にぶつかられては踏ん張れるはずもなく、ジークハルトは後ろに倒れる。それは肉体強化によって常人ならざる素早さを誇る装甲歩兵の前では、致命的な隙だった。
「やめろおおおっ!」
ジークハルトにとどめを刺そうとした二人目の装甲歩兵の頭を目がけ、近衛兵が剣を振る。
当然、兜に阻まれて刃は通らないが、その衝撃で装甲歩兵は脳を揺さぶられて動きが止まり、さらに運の良いことに兜の金具が剣先に引っかかり、脱げ飛んだ兜が廊下の壁に跳ね返って床に転がった。
その隙にジークハルトは立ち上がり、剣を構えなおす。
「あああっ――」
近衛兵の援護に回ろうとしたが、間に合わなかった。装甲歩兵が振り抜いた重剣に、近衛兵は胴を両断されて上半身が千切れ飛んだ。
これで一対一。ジークハルトと装甲歩兵の視線がぶつかる。互いに睨み合う。
兜が脱げて顔が見えた敵は、思っていたよりも年嵩だった。ジークハルトよりもさらに上か。
特攻任務であるが故に、投入されたのは老兵ということか。無謀な戦いに身を投じる上で、一体どんな報酬を与えられた。
「さあ来い!」
ジークハルトが吠える。
装甲歩兵は雄叫びを上げながら突進してくる。ジークハルトはそれをぎりぎりまで引きつけた上で躱し、同時に敵の足を蹴る。
軍服のブーツで装甲歩兵の足を蹴っても、ろくなダメージは入らない。ほんの僅かによろめいた敵の頭に剣を叩き込もうとするが、敵が頭を庇うように掲げた左腕の籠手で受け止められる。
そして次の瞬間。装甲歩兵はジークハルトの剣の刃を掴んだ。金属製の籠手に守られた手に握られ、刃がへし折られる。
「くそっ!」
さすがに剣なしでは厳しい。ジークハルトが悪態をつくのと同時に、装甲歩兵の斬撃が迫る。
ジークハルトは後ろ向きに転がるように避けたが、完全に回避はできなかった。
左腕を肘の先から斬り飛ばされた。
「ぐあああっ!」
鋭い痛みが走り、ジークハルトはうめき声をあげる。辛うじて右手に持っていた、折れた剣を取り落とす。
それで戦闘不能と見たらしい装甲歩兵は、モニカたちが隠れている部屋に迫ろうとする。
「待てえええっ!」
絶叫しながら、ジークハルトは立ち上がる。言うことを聞かない左足を軸に、右足で床を蹴り、前のめりに倒れるように突進する。
装甲歩兵が振り向きざまに、重剣による突きを放ってきた。
その素早い突きは――ジークハルトの腹を貫く。
「ぬうううっ!」
それでもジークハルトは止まらなかった。自ら重剣の刃に身体を沈めるように前進し、その行動に驚愕する装甲歩兵の喉を、残っている右手で掴んだ。
「死ねえええええっ!」
獣のように吠えながら、ジークハルトは右手に全身全霊で力をこめる。肉体魔法によって強化されている敵の皮膚と肉と血管を、爪で無理やり突き破る。
そして、敵の首を掴んだ右手を、後ろに勢いよく引く。装甲歩兵は肉を引きちぎられた首元から鮮血を吹き出して倒れ、自身の血に溺れながら絶命した。
ジークハルトは腹に重剣が刺さったまま、床に座り込む。
重い足音が聞こえる。そちらへ視線を向けると、三人目の装甲歩兵が迫ってきていた。
もはやここまでか。そう思ったとき。
「アックス! 目の前の奴だけ殺せ!」
筆頭王宮魔導士ブランカの声が聞こえた。
その直後、廊下を揺らすほどの咆哮が、装甲歩兵の後ろから響く。
装甲歩兵は振り返り、兜の隙間から動揺の声が零れる。ジークハルトもさすがに少し驚く。
城館の一体どこから入ったのか、屋内にアックスがいた。
ツノヒグマの中でも特に大柄な個体であるアックスは、後ろ脚で立ち上がれないほど天井の低い廊下を窮屈そうに突進し、装甲歩兵に迫る。剣を振り上げようとした装甲歩兵を力任せに押し倒し、そのまま前脚で滅茶苦茶に殴りつけた。
最後には装甲歩兵の兜をくわえ、頭ごと噛み潰す。いかな装甲歩兵でも、逃げ場どころか攻撃を避ける空間さえない場所でツノヒグマに襲われては無力だった。
「よし、それまでだ! ……っ、フォーゲル閣下!」
アックスの動きを止めたブランカは、剣に刺し貫かれているジークハルトを見ると、血相を変えて駆け寄る。
「あと一人は……敵があと一人いるはずだ」
「城館の一階で近衛兵たちが仕留めました。敵はもういません」
ブランカはそう言いながら、ジークハルトの腹を貫いている重剣を見て絶望的な表情になる。
「誰か! 誰か医者と治癒魔法使いを!」
ブランカのその声が聞こえたからか、モニカたちの隠れていた書斎の扉が少し開く。メイドが安全を確認した上で外に出てきたモニカは、ジークハルトを見てやはり血相を変える。
「フォーゲル卿!」
「……王妃殿下」
悲鳴のような声を上げて駆け寄ったモニカに、ジークハルトは力なく答える。その顔は血の気が引き、死体のように白い。
「フォーゲル卿。ああ、そんな、何てこと……」
「おい、医者と治癒魔法使いを! 早く呼んで来い!」
そう叫んでメイドを走らせるブランカの腕を、ジークハルトは掴む。
「いいか。二度目の襲撃がないとも限らない。王妃殿下と御子様方を王城から逃がせ。終戦まで隠せ。委細の判断は宰相に仰げ」
「……分かりました。必ずや、皆で王妃殿下と御子様方をお守りします」
これがジークハルトから受ける最後の命令になる。そう理解したブランカは、表情を引き締めて答えた。
そしてジークハルトは、モニカを向く。
「王妃殿下。私はここまでです。お許しを」
「……ジークハルト・フォーゲル伯爵。あなたの忠節と貢献を決して忘れません。私も、そして国王陛下も」
モニカは涙を零しながら、しかし毅然と、そう言った。
その言葉に、ジークハルトは満足げな表情を浮かべる。
ジークハルトの視線が、モニカの後ろに向けられる。
そこにフレードリクが立っている。穏やかな顔で、ジークハルトを見下ろしている。
「……」
そうか。
自分もそちらへ行くのか。
視界が薄れていき、そして静寂が訪れる。
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