第201話 フロレンツの秘策

 帝国中部直轄領の西端。皇帝フロレンツを冠し、実務的な総指揮をベルナールが担う四万の軍勢は、西から迫る敵軍を待ち構えていた。

 皇帝家の膝元たる中部直轄領から少しでも戦場を遠くするため、こちらもゆっくりと西進しているので、敵軍と接触するまではおよそ一週間足らず。軍の規模が大きい上に、大量の徴集兵を抱えているために遅々とした行軍の最中で、ベルナールは憂鬱を募らせていた。

 数の上では、敵側とほぼ互角となった。しかし質の面では酷い有様だ。

 片や、士気旺盛な北西部閥や西部直轄領の軍勢と、大陸西部各国から選りすぐられた遠征部隊。

 片や、自分たちの勝利をもはや疑わしく思っている帝国西部貴族たちの手勢と、力ずくで連れてこられて、少し目を離したら逃げ出しそうな徴集兵たち。まともに信用できる戦力たる近衛兵団や帝国常備軍は、なんとか一万に届く程度しかいない。

 これで勝てと言うのだから、神は残酷だ。運がどんどん自分の手から遠ざかっていくのを感じる日々だ。

 いや、神を裏切ったのは自分の方か。皇帝家の立て直しと強き帝国の再建という使命に燃えていたのは嘘ではないが、上手く言いくるめれば傀儡にできそうなフロレンツを立てようなどと欲を出したのがやはりまずかったか。神は自分に罰を与えているのか。

 そんなことを思いながら馬の背に揺られていると、隣に並んでくる者がいた。

 横を向くと、そこにいたのは厄介の種たるフロレンツその人だった。皇帝自ら騎乗して進軍するという見栄を張っている彼は、癪に障る微笑を浮かべている。


「随分と気難しい顔をしているな。大戦の前の緊張か?」


「……そのようなところです」


「ははは、今からそんなに緊張していては戦の当日までもたないだろう」


 朗らかに笑うフロレンツに、ベルナールは苛立ちを覚える。感じているのは緊張ではなく憂鬱で、原因はお前だと言い放ちたい衝動をこらえる。


「大丈夫だ。敵は複数の勢力が寄り集まった烏合の衆。その上で数は互角、戦場は我がガレド皇帝家の領土だ。有利も神のご加護もこちらにある」


 何故そんなに自分のことを信じられる。今まで何ひとつ結果を示したこともないくせに。そう思いながら、ベルナールは機械的に頷く。


「それに、まだとっておきの策がひとつ残っているではないか……目の前の戦いではなく、その背後に向けて策を仕掛ける有効性を教えてくれたのは、他ならぬスレイン・ハーゼンヴェリアだ。彼からもらった学びの成果がもたらされるのを待とう」


「……はい、皇帝陛下」


 あまり認めたくないが、フロレンツが講じた「策」は確かに効果を見込めるものだった。失敗すればさらにスレイン・ハーゼンヴェリアの怒りを買う諸刃の剣だが、自分たちにはもはやリスクを負うことをためらっている余裕はない。

 フロレンツの「策」が成功することを、ベルナールは神に祈る。今までの人生で最も切実に。


・・・・・・・


 西サレスタキア同盟の遠征部隊が帝国領土へと進軍している間も、帝国と国境を接している国々は戦時体制にあった。

 なかでもハーゼンヴェリア王国は、いざとなれば遠征部隊の撤退路となるために、未だ厳重に守りが固められていた。ザウアーラント要塞はリヒャルト・クロンヘイム伯爵を指揮官に同盟各国の兵士数百が守り、王都ユーゼルハイムは残留している王国軍一個中隊の指揮下で住民による自警団が組織されて秩序の維持に努めていた。

 そして王城には、こちらも残留している二十人の近衛兵が泊まり込みで警備につき、その他の官僚や使用人も、男は全員が帯剣して有事に備えていた。さらに、後方と遠征部隊の連絡役兼、王城の警備要員として、王宮魔導士ブランカも今回は居残っていた。

 城門は閉ざされ、勝手口なども原則として封鎖され、見張りはいつもの倍の人数。リベレーツ王国で王城襲撃が起こったことも踏まえ、万全の警備体制がとられている状況で――しかし、唯一守ることのできない、守りようのない場所があった。

 それは、空だった。

 遥か東では、同盟の遠征部隊をはじめとした味方の軍勢と、皇帝フロレンツの軍勢が数日後の激突に向けて進軍を続けている頃。ハーゼンヴェリア王家の城では、いつもと変わらない厳重警戒下の日常がくり広げられていた。


「……小隊長。あの鳥、少し変じゃないですか?」


 空を指差してそう言ったのは、城館の一角。最上階のバルコニーで見張りについていた若い近衛兵。

 バルコニーの反対側の端で同じく見張りについていた近衛小隊の隊長は、若い近衛兵の方に歩み寄る。


「どれだ?」


「あそこです。四羽が固まって飛んでいるんですが、何というか……綺麗に隊列を組んで、真っすぐこちらに近づいているように見えます」


 若い近衛兵が指さした方に顔を向けた小隊長は、その鳥の群れを見据えて目をこらす。


「…………っ! 敵襲! 敵襲ー!」


 そして、突然血相を変えると、全力で声を張った。


「あれはガレド鷲だ! 何かを吊るしてる! 襲撃に備えろ!」


 大陸西部には、ガレド鷲はオルセン王国の一羽しかいない。そしてガレド大帝国においても、使役されているガレド鷲は十羽程度しかおらず、その全てが宮廷魔導士の保有だという。

 皇帝の陣営から、宮廷魔導士が西の陣営に集団で寝返ったなどという話は聞いていない。そうなったとしても、ガレド鷲使いが先触れなく、四人もこの王城にやって来る理由がない。

 にもかかわらず、四羽が編隊を組んで迫ってくる。襲撃と考えるべき状況だった。

 敵襲の報に、城内は慌ただしくなる。屋外にいた近衛兵や使用人たちが、それぞれ武器を取って敵の到来に備える。庭の隅で丸まっていたツノヒグマのアックスが、筆頭王宮魔導士ブランカに起こされる。

 ガレド鷲の飛翔速度は凄まじい。馬の全速力に匹敵する速さで長距離を飛ぶことができる。豆粒ほどの大きさだった四羽のガレド鷲は、既に騎乗している者の姿が見えるほどに迫っていた。

 乗っているのは、鷲の主と思われる使役魔法使いのみ。しかし鷲の足の方に、鎧を纏って武器を構えた者が何か特殊な器具でぶら下がっている。

 ガレド鷲が長距離移動で抱えられる重量は限られており、だからこそ鷲を使役する魔法使いは小柄な者が選ばれるという。同乗できるのも、平均体重以下の女性や小柄な男に限られる。

 しかし短距離であれば、その限りではない。例えば、山道などを使って大陸西部にあらかじめ入り込んだ兵を、王都から少し離れたところで拾って王城まで運ぶ程度であれば、兵が多少重装備でもガレド鷲の体力は持つ。

 僅か数人の兵力で乗り込むつもりということは、よほどの手練れ――肉体魔法使いなどか。

 小隊長は険しい顔で空を睨む。


「お前は王妃殿下と将軍閣下に報告を! クロスボウは置いていけ!」


「はっ!」


 若い近衛兵が屋内に飛び込んでいき、バルコニーに残ったのは小隊長と、二人分のクロスボウ。

 一人か二人でも、城内に乗り込まれる前に仕留めなければ。そう思いながら小隊長はクロスボウを構える。

 一射目。矢は狙ったガレド鷲の遥か下へと逸れた。

 距離が遠すぎたか。小隊長は舌打ちしながら、若い近衛兵が置いていったクロスボウを構える。


「……神よ」


 どうかご加護を。

 そう祈りながら、小隊長は敵の使役魔法使いの表情が見える距離まで引きつけた上で、二射目を放つ。

 矢はガレド鷲の胴体を直撃した。鷲は大きくバランスを崩し、兵士を吊り下げていた器具を落とした。放り投げられるかたちとなった兵士は城館の屋根に落ち、その重量に耐えられず屋根に穴が開いた。

 そして、ガレド鷲は使役魔法使いもろともバルコニーに落下。鷲を仕留めた小隊長を巻き込みながら、バルコニーは衝撃に耐えられず崩れ去る。

 残る三羽のガレド鷲は、城館の前庭、地面から数メートルの高さを滑空する。その足にぶら下がっていた兵士たちが地面に飛び降りると、ガレド鷲はそのまま上昇して離脱していった。


・・・・・・・


 城館の屋内。君主の執務室で、今は王の代理を務めるモニカに将軍ジークハルトが報告を行っていた。


「――引き続き、要塞の警戒と国内の治安維持に努めてまいります。王妃殿下」


「異状がないのであれば何よりです。引き続きよろしくお願いしますね……将軍であるあなたにとっては、退屈な仕事になるかもしれませんが」


 微苦笑するモニカに、ジークハルトは首を横に振った。


「決して退屈などということはございません。国王陛下の出撃の最中、王城と王都、王国を守るのはこの上なく名誉ある務めです……尤も、本来の将軍としての務めを果たせていないことにつきましては、忸怩たる思いがありますが」


 言いながら、ジークハルトが視線を向けたのは自身の左足だった。

 昨年の、サヴィニャック伯爵率いる侵攻軍との戦いで負った傷のうち、重いのは腕の骨折の方であるとジークハルトは当初考えていた。

 しかし、傷が治り始めてから、足の方に問題があると気づいた。

 魔法薬は血を止め、皮膚や肉を再生するが、神経だけはどうしようもない。おまけに、既に五十代に入っているジークハルトは、若い頃と比べると傷の回復が遅くなったと実感せざるをえなかった。

 少しずつ状態はましになってはいるものの、左足は未だ軽く引きずって歩いている状態。右腕も骨折自体は治ったが違和感が残る。この状態で長距離を行軍しての進撃についていくのは難しいため、止むなく遠征部隊の実務指揮をイェスタフ・ルーストレーム子爵に任せ、自身は留守を守ることとなった。

 本音を言えば這ってでも国王スレインについていきたかったが、将軍の自分が足手まといになることは許されない戦いであるため、泣く泣く諦めた。

 今後も、王国領土内で将軍として指揮をとるのはともかく、国外への長距離の遠征などは厳しいかもしれない。こうして軍人としての一線を退いていくことになるのかと、ジークハルトは半ば諦念を覚えていた。


「とはいえ、国王陛下は今や歴戦の英雄。ルーストレーム卿も、陛下の参謀を務める上で申し分ない能力を備えております。同盟諸国の有能な諸将もおります。私などがいなくとも、何ら心配はないでしょう」


「留守を守る私としては、将軍のあなたが傍についていてくれることは心強く思います。共に陛下の勝利と、遠征部隊の無事での帰還を祈り――」


「殿下」


 自分を気遣って言葉を選ぶモニカの発言を、ジークハルトは無礼を承知で制した。静かにするよう手振りで彼女に示した。

 ジークハルトのただならぬ表情を見て、モニカはすぐに黙る。


「……」


 ジークハルトは耳を澄ませる。

 敵襲、と叫ぶ声が外から聞こえた。


「敵襲のようです。直ちに寝室へ避難を」


「……っ、分かりました」


 モニカは硬い表情で立ち上がり、剣をいつでも抜けるよう柄を握るジークハルトに続いて執務室を出る。

 叫び声が聞こえた者は多かったらしく、城館の屋内は既にざわつき始めていた。


「皆落ち着け! 男は武器を取り、女はどこかへ隠れろ!」


 ジークハルトは声を張りながら、モニカを先導して進む。

 目指すのは国王と王妃の寝室。城館の最上階の最奥にあり、入り口が一か所しかないために守りやすい。最悪の場合、隠し通路から脱出もできる。

 急ぎ移動する途中、二人は子供たちと合流する。

 王太子ミカエルと王女ソフィア、そしてまだ幼い王子エルマー。ミカエルはメイドに手を引かれ、ソフィアとエルマーは別のメイドたちに抱きかかえられ、寝室を目指していたらしかった。あらかじめ定められた、敵襲時の避難計画の通りだった。

 さらに、屋内を警備していた近衛兵も二人合流。一同は寝室へと走る。


「敵はどこから来た?」


「まだ分かりません。屋外にいる班からの報告待ちです」


 階段を最上階へと上がりながら、ジークハルトと近衛兵が言葉を交わしたそのとき。


「王妃殿下! 将軍閣下! 報告です!」


 寝室へと続く廊下の正面側から、若い近衛兵が一人走ってきた。待望の状況報告らしかった。


「帝国の刺客と思われる者たちが空から襲来しました! ガレド鷲四羽が兵士を吊り下げ――」


 次の瞬間。

 瓦を砕き、木材をへし折る凄まじい音が響き、廊下の天井が崩れた。

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