第199話 勝利への道

 冬明けの直前に、事態は大きく動いた。

 まず、ガレド大帝国の西部皇帝家直轄領、その評議会と民が行動を起こした。領都アーベルハウゼンで数千人規模の蜂起が発生し、駐留していた数百人の帝国軍部隊を都市から追い出した。

 これは本来の予定よりやや早い蜂起だったが、この数日前に帝国軍兵士たちがまだ未成年の西部直轄領民の少女を暴行し、殺害する事件が発生。民の怒りが高まっていたため、評議員たちが蜂起を早める決断を下した。

 蜂起の火は西部直轄領へと瞬く間に広がり、少なくない犠牲を払いながらも民は勝利。民兵のみでもおよそ二万人という圧倒的な数と、そして長年溜めた怒りを武器とし、少数の帝国軍をついには一時退却に追い込んだ。

 それとほぼ同時期に、アーレルスマイアー侯爵家を中心とした帝国北西部の貴族たちが、皇帝フロレンツへの敵対を明確に宣言。一万を超える兵力をもって、北西部を睨んでいた帝国軍の前に対峙し、その兵力差による威嚇でやはり退却させた。

 北西部閥の旗頭となったのは、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド皇女だった。彼女の帰還に驚かされた皇帝の陣営は、しかし今は彼女を捕縛する能力を持たなかった。

 さらに並行して、ゼイルストラ侯爵領でも動きがあった。侯爵領軍と、その陣営についた小貴族の手勢が、他の帝国貴族領との領境で小競り合いを開始。西部直轄領や北西部へと主力を動かそうとした皇帝の軍勢を牽制した。

 西端、北西、そして南西。いずれも帝国領土内で同時に発生した混乱に、西部侵攻軍の総大将ベルナール・ゴドフロワ侯爵は対処する術を持たなかった。

 冬の間それぞれの領地に帰っていた帝国西部貴族の手勢は、冬明けには三分の二ほどしか帰ってこなかった。西部侵攻の進捗が明らかに帝国側に不利であると判断した一部の貴族が、中立の立場へと態度を変えた。

 ベルナールは急きょ帝都周辺を守る予備兵力からも一部を引っ張り、それでも総兵力はなんとか二万を超える程度。三か所の火種を消すどころではなく、兵の質はともかく数では既に不利な状況に陥った。

 そんな中で――西サレスタキア同盟軍が、ロイシュナー街道より帝国領土へと進軍を開始。同盟の盟主ガブリエラ・オルセン女王を総大将に、総勢およそ二万の大軍が、西部直轄領の支援を受けながら東進し始めた。

 大陸西部の軍勢が帝国領土に踏み入るのは、ザウアーラント要塞が建設されて以降では、史上初めてのことだった。

 同盟軍。帝国北西部軍。そして、ある程度組織立ったかたちへと再編された八千ほどの西部直轄領民による志願兵部隊。これらを合計した四万の軍勢が、帝国西部における決戦のために結集を進めつつあった。

 一方のベルナールは、徒に軍を分けることなく、帝国中部の西寄りの位置に兵を集結させた。西部直轄領や北西部から逃げてきた帝国軍の部隊も加え、二万強の兵力で、どうにか四万の軍勢に勝利する術を考えていた。


「まったく、不運もここまで来ると笑えるな」


「まさしく仰る通りです、総大将閣下」


「しかし今こそが、我ら愛国派の正念場でしょう」


「左様。皇帝家の膝元たる帝都と中部直轄領を守るためにも、ひとまずはここで勝利を掴まなければなりません」


 司令部の天幕で半笑いを浮かべながら言ったベルナールに、彼を囲む将たちが答える。ベルナールが幕僚として傍に置いているのは、信用できる愛国派の同志ばかりだった。今この段階になっては、もはや西部貴族たちもあまり信用できない。いつ誰が立場を変えるか分からない。


「そうだな……見方を変えれば楽しい状況だ。倍近い軍勢に会戦で勝利すれば、我らこそが帝国の英雄。帝国貴族の鑑として子々孫々まで語られ、歌や物語になり、銅像が立ち、都市や大通りに我らの名前がつけられるだろう」


 ベルナールは将たちに同調した。楽観的な妄想、虚しい威勢だとは分かっていても、無理をして前向きにならざるを得ない。もはやそんな状況だった。

 そのとき。


「閣下! 総大将閣下!」


 伝令の士官が、司令部に飛び込んできた。


「なんだ騒がしい。何があった?」


 敵はまだ遠く西にいて、集結と編成を進めている段階。この短期間に進撃してくることはあり得ないはず。

 では一体何の報せだ。そう思いながらベルナールは尋ねる。


「報告いたします! こ、皇帝陛下がおよそ二万の援軍を連れ、数日中にもここへ到着されるとのことです!」


「………………何?」


 何故?

 ベルナールはそう思った。


・・・・・・・


 それから四日後。フロレンツは本当に二万の援軍を引き連れてやって来た。


「ベルナール! 大層苦戦しているようだが、ここまでよくぞ持ち応えてくれた。もう安心していいぞ。ここからは私も共に戦うからな」


「……皇帝陛下」


 帝国の主を皆が最敬礼で出迎える中で、ベルナールは呆然としながら言った。

 その反応を嬉しさのあまり立ち尽くしていると思ったのか、フロレンツは下馬し、ベルナールに歩み寄り、その肩を親しげに叩く。


「敵は四万ほどという話だったが、これでこちらの兵力も四万、いやそれ以上だ。数ではこちらが有利になった。勇ましく愛国心溢れるお前が指揮をとるのならば、負けることはあるまい」


「……はい。あの、ところで陛下……この二万の軍勢は、どのようにして?」


 呆けた顔のままベルナールが問いかけると、フロレンツは自慢げな顔になる。


「私も馬鹿ではない。帝都の防衛兵力を丸ごと引っこ抜いてくるような愚行はもちろんしていないぞ。我が直衛の近衛兵と、全体を監督する帝国軍人たちもいるが、それ以外の大半は中部直轄領民から集めた軍勢。まさしく皇帝の民による軍隊だ」


「ということは……まさか、徴集を?」


「ああ。兵の徴集はしない予定だったが、帝国存続の危機とあらば甘いことも言っていられないからな」


「……では、二万の軍勢を動かす資金は? 戴冠後の政策とここまでの戦争で、国庫にはほとんど余裕がないはずですが」


「もちろん物資も、増税と徴収で集めた。神聖なる皇帝の名において」


 平然と言ってのけたフロレンツを――ベルナールは、衝動的にぶん殴りそうになった。怒りを顔に出すことを耐えた自分を褒めてやりたいと、心底思った。

 戴冠直後、フロレンツは自身への支持を固めるため、民衆に大きく譲歩した政策をとった。

 大幅な減税。徴集をしない旨の宣言。それらは向こう三年は守られると、フロレンツ自らが民衆に向けて宣言していた。

 それが、一年も経たないうちに手のひらを返し、中部直轄領から二万もの兵を徴集し、それを支えるための物資まで徴収。こういうことをしないと民に向けて一度言った上でその約束を破ってしているから余計に質が悪い。これなら、最初から徴集や徴収をしていた方がまだましだった。

 民は単純で感情的な生き物だ。ただ生活が苦しいことより、一度楽を覚えた上でそれ以前の状況に戻される方が反感を抱き、為政者への恨みを深くする。ベルナールは軍事畑の宮廷貴族だが、派閥の盟主格の侯爵ともなればそれくらいの政治感覚は持っている。


「……」


 ベルナールはフロレンツが引き連れてきた徴集兵たちを見回す。皆、それはそれは凄い顔をしていた。

 泣きそうな者。眉間に皺を寄せて怒りや不満を表している者。そもそも表情がなく、顔が死んでいる者。ないと言われていた兵力徴集に巻き込まれ、軍需物資徴収の名目で家の蓄えまで奪われたのだから、こんな顔になるのも当然だった。


「どうだベルナール。これだけの兵力があれば勝てるな?」


「……もちろんです、陛下。我々の前には勝利以外の道はございません」


 ベルナールは硬い笑みを浮かべて言った。

 中部直轄領は皇帝家の権力の土台。その民衆にここまで反感を持たれるのは非常にまずい。

 こうなったら、敵軍に圧勝し、西部直轄領が荒れ果てるまで掠奪し、北西部閥からは恩赦と引き換えに多額の賠償を引き出し、それらをもって中部直轄領民への褒美(という名の補償)として支持を回復するしかない。

 それに、どちらにせよ、ここで敗北すればこちらの陣営は帝都まで追い詰められるだろう。自分たちの前には勝利以外の道はない。この道の両側は奈落まで続く崖なのだから。

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