第198話 時は満ち

 ガレド大帝国領土の北西部。アーレルスマイアー侯爵領は、帝国と大陸北部とを隔てる大山脈に寄り添うように存在する。

 侯爵家が領地に抱える人口は二十万ほど。周辺に領地を持つ小貴族家をまとめ、自家の派閥を構成している。元は独立した小国の主であり、一応は帝国を代表する大貴族家のひとつであるが、そもそも北西部が帝国領土の中では辺境であるため、その権力は小さい。

 当主の娘が第二皇妃であり、孫娘二人が皇女であることで貴族社会での存在感を増していたが、それも今では状況が一変した。

 現皇帝フロレンツに娘と孫一人を殺され、残る孫一人が大陸西部に逃げ込んでいる現状、アーレルスマイアー侯爵家は家の名誉にかけてフロレンツに安易に服従はできない。かといって、面と向かって反旗を翻すだけの力は持たない。

 結果、侯爵家とその派閥は中立を保ちながら帝国の内戦を静観し、皇帝フロレンツが差し向けた帝国軍およそ二千に領域を睨まれていた。当代侯爵にとっては、苦難の日々が続いていた。

 そんなアーレルスマイアー侯爵領の領都に、小さな隊商が入った。戦時の冬でも人の行き来が絶えない大都市の門を、他の入場者に紛れて、誰からも注目されることなく。

 隊商を率いているのは、中年の商人――に変装した、ジルヴェスター・アーレルスマイアー。

 彼ら一行は領都の大通りに入ると、間もなく道を逸れて小さな通りを何度も曲がりながら進み、アーレルスマイアー侯爵家の屋敷に近づく。

 そして、出入りの商人などが使用する裏門に到着する。そこには侯爵領軍の兵士が二人、門番として立っていた。


「止まれ。商会名を――じ、ジルヴェスター様!?」


 隊商に制止を命じた門番の一人が、ジルヴェスターの顔を見て目を見開いた。隣に立つもう一人の門番も、驚愕の表情を浮かべた。


「静かに。あまり大きな反応を見せるな。敬礼もするな……おい、そっちのお前。父上に私が帰ったと報告してくれ。父上か家令以外には、まだ話すな」


 次期当主の命令を受け、兵士は急いで屋敷内へと走っていった。


・・・・・・・


 屋敷の裏門を通されたジルヴェスターは、ローザリンデを引き連れて応接室に入った。

 それからさして待つことなく、応接室の扉がまた開かれる。入ってきたのはジルヴェスターの父で、現当主のユルゲン・アーレルスマイアーだった。


「父上。お久しぶりにございます」


「ジルヴェスター! お前、何故ここへ帰ってきた!」


 狼狽えるユルゲンを見て、ジルヴェスターは無表情のまま考える。

 最後に会ったときと比べて、さらに老けたように見える。年齢のせいだけではない。娘と孫一人を失い、政治的に厳しい立場に立たされているが故の心労のためか。

 ただ老いただけではない。老い枯れた。そう思った。


「今見つかれば、お前の命はないのだぞ! それにこの少女は一体……っ!? ま、まさか!」


 ジルヴェスターが立ったままで、ローザリンデをソファに座らせていたことから、ユルゲンも目の前の町娘らしき少女の正体に気づいたようだった。町娘ではなく、少女でもないと。


「お久しぶりにございます、おじい様。私の変装はいかがですか?」


「おお、ローザリンデ皇女殿下! なんと!」


 ローザリンデがにこりと笑ってみせると、ユルゲンは目を見開いて動揺し、よろけてテーブルに手をついた。


「父上」


「おじい様! 大丈夫ですか!?」


 ジルヴェスターは素早く動いてユルゲンを支え、ローザリンデは心配そうに腰を浮かす。

 息子に助けられながら、ユルゲンはローザリンデの前で床に膝をつく。


「で、殿下! このような御姿で……帝国の姫君であらせられる貴方が、常に高貴な御方として遇されるべき貴方が、まるで市井の娘のような……おお、おおおぉ……」


 泣き出したユルゲンと、戸惑うローザリンデを見ながら、ジルヴェスターは思う。

 老いただけではない。弱くなった。

 ジルヴェスターの知っているユルゲンは、老いてもなお強き貴族だった。帝国北西部の盟主として、老練な政治家として知られていた。息子や孫の前で泣き出すような人物ではなかった。

 愛する子や孫に先立たれた者は、これほど弱くなるのか。父のこのような姿は、できることならば見たくはなかった。


「ジルヴェスター! 何故、何故ローザリンデ殿下をここへお連れした! 殿下にこのような装いをさせ、危険を冒してアーレルスマイアー侯爵領へと連れ帰ったのだ!」


 やがて泣き止んだユルゲンは、顔を上げてジルヴェスターを睨んだ。

 その肩に、ローザリンデがそっと手を触れた。


「私がお願いしたのです。おじい様」


「……殿下が、ですか?」


「はい。私の意思で、皇女としてここへ戻りたいと願い、ジルヴェスターに頼みました。困難な願いを、ジルヴェスターは見事実現してくれました」


 これまで象徴的な皇族として、悪く言えばお飾りの皇族として、自身の意思などほとんど示してこなかったローザリンデが、自ら望んで舞い戻った。それを聞いたユルゲンは呆然としていた。


「し、しかし何故?」


「戦うためです」


 そう言って、ローザリンデは立ち上がる。


「おじい様は、これからどうしたいとお考えですか? このまま中立を保ち、いずれは現皇帝フロレンツ・ガレドに膝を屈して忠誠を誓いたいとお考えですか?」


「まさか。フロレンツは帝位の簒奪者、我が愛する娘と孫娘を殺めた大罪人です。あのような者に帝国貴族として忠誠を誓いたいはずがございません。北西部閥の他の貴族たちとて同じです。フロレンツは我々の誇りを傷つけ、我々の忠誠を踏みにじりました」


 ユルゲンの言葉に、ローザリンデは優しく微笑んだ。


「では、どうか私を帝国北西部の旗頭としてください」


「ですが、ですがそんなことをすれば殿下に危険が」


「覚悟の上です」


 答えるローザリンデの声は穏やかで、しかし力強かった。


「私は帝国の皇女です。皇帝家の一員です。であれば負うべき義務があり、果たすべき責任があります。いつまでも小娘のように隠れて泣いていることは許されません」


「殿下……」


 孫娘の変化に、ユルゲンは呆然としている。


「それに、皇女の帰還は間もなくこの屋敷内に広まり、やがて領都に、領内に、そして帝国北西部の全域に広まるでしょう。私はもはや逃げることは叶わず、逃げるつもりもありません……なのでおじい様、いえ、アーレルスマイアー侯爵ユルゲン。どうかお願いです」


 ローザリンデは祖父であり臣であるユルゲンの手を取り、彼を立たせる。


「私を旗頭とし、行動を起こしてください。派閥の貴族たちにも呼びかけてください。冬明け、我が兄マクシミリアンは東部より大攻勢を仕掛け、同時に西サレスタキア同盟は西部より大攻勢を仕掛けます。それに合わせ、決起してください……簡単な決断ではないと分かっています。ですが今は、帝国の歴史の岐路です。あらゆる者を勝者と敗者に分ける岐路です。誰もが決断を求められています。愛するおじい様。皇帝家の真の忠臣。どうか正しい決断を」


 呆然とその言葉を受け取ったユルゲンの――その目に、力が戻った。老い枯れた顔に、帝国の大貴族家の当主としてふさわしい覇気が満ちた。


「皇女殿下。我々は殿下の臣として、貴方様の後ろ盾として、全霊をもって貴方様をお支えいたします。どうか共に戦わせてください」


 そう言って頭を下げるユルゲンを前に、ローザリンデは優しく笑った。


・・・・・・・


 オルセン王国王都エウフォリア。王城の会議室に、大陸西部の全二十一か国の代表者が集っていた。この会合の中で、リベレーツ王国、レフトラ王国、ハーメウ王国は正式に西サレスタキア同盟に加わり、西サレスタキア同盟は完成した。同盟という言葉が。すなわち大陸西部という言葉と同義になった。

 そして、盟主ガブリエラ・オルセンが、集った全員を見回した。


「――それでは、西サレスタキア同盟の代表者諸卿」


 皆、静かにガブリエラを見返していた。彼女が何を言うか、誰もが理解していた。


「冬明けの攻勢が、西サレスタキア同盟の未来を決める。我々の国が、子々孫々まで存続するか否かを決める戦いとなる。だからこそ、諸卿に求める……全力を出してほしい。持ち得る限りの力をこの戦いに投入してほしい。全ての国が全力で戦うことこそが、皇帝フロレンツに対する勝利に繋がり、我々の末永い信頼の構築に繋がる」


 厳かに、ガブリエラは語る。


「神の名の下、大陸西部に勝利をもたらそう。我々全員で」


 その宣言に、皆が静かに頷いた。




 時は満ち、戦いが始まる。

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