第197話 西部直轄領

 ガレド大帝国の西部皇帝家直轄領における、平民評議会。

 その評議員の一人であり、直轄領首都アーベルハウゼンに商会と屋敷を構える豪商ピエール・ランジュレは、頭を痛める日々を送っていた。

 その原因は、今まさに西部直轄領が直面している混乱にある。

 ある日唐突に大陸西部から帰ってきた、西部直轄領民の捕虜たち。彼らを巡っての、西部直轄領民とそれ以外の者たちの対立。深まった分断は、もはや西部直轄領の存続を脅かすほどになっているというのが、評議員たちの共通認識だった。

 ピエールも、帝国常備軍や帝国西部貴族たちは憎い。

 かつては都市国家群を自らの手で統治する誇り高き民であった自分たちは、今は皇帝家の直接支配下に置かれ、長年にわたって搾取されてきた。

 特に、現皇帝フロレンツによる扱いは酷かった。彼は第三皇子時代、一見すると温和な支配者のような顔をしながら、官僚たちを手なずけるために彼らの不正を放置し続けた。それをいいことに官僚たちは、ピエールたち地元商人や地主から下品な搾取を続けた。

 そしてあるとき、フロレンツは大陸西部侵攻を企て、西部直轄領の民が五千人、動員された。そのうちおよそ千人が死に、千人が捕虜となった。捕虜たちはフロレンツに見捨てられ、異国の地で奴隷に落ちた。

 そんな悲劇を経てフロレンツは失脚し、ローザリンデ第三皇女とその後ろ盾のアーレルスマイアー侯爵家による統治の中で、ようやく西部直轄領は平穏を取り戻した。尊厳はないとしても、平和は得た。

 そう思っていたところ、再びフロレンツが皇帝に返り咲いた。西部直轄領は対大陸西部の最前線として、再び過酷な状況に落とされた。多くの若者が徴集兵として動員され、このアーベルハウゼンをはじめとした各都市には帝国軍人や貴族の手勢が大挙して駐留するようになった。

 駐留する彼らの態度は酷いもので、略奪や暴行、強姦も起こっている。

 そこに来て、この分断だ。散々搾取された上に、裏切り者扱いされてはたまらない。もはや不満を隠すことなく反抗する民の気持ちはピエールも痛いほど理解できる。

 しかし、自分たちはこの西部直轄領の評議員。かつての都市国家群の指導者層の末裔で、現在の直轄領民のまとめ役。感情任せに動いてばかりもいられない。

 この戦争がどのようなかたちで終わるにせよ、その後も歴史は続き、社会は続き、西部直轄領は帝国の一部として続いていくのだ。

 もしフロレンツが勝利を収めて終戦した場合、帝国軍や貴族の手勢との分断を修復不可能なほどに深めた西部直轄領がどのような扱いを受けるか、想像するだけでも恐ろしい。フロレンツが敗北し、皇兄マクシミリアンが勝利した場合でも、このまま西部直轄領の反抗が過激化していけば暗い未来が待っているだろう。

 一体どうすればいいのか。実質的な権限をほとんど持たない評議会では、対応策は限られる。だからこそピエールは頭を抱えている。他の評議員たちも、おそらく今頃同じように。


「商会長! た、大変です!」


「……どうした。今度は何があった?」


 またアーベルハウゼンの住民と帝国軍人の衝突でも発生したのか。そう思いながら、ピエールは執務室に駆け込んできた部下を振り返る。


「そ、それが……その、西サレスタキア同盟の使者を名乗る女が、一人で商会に乗り込んできて。ハーゼンヴェリア王家の封蝋がされた書簡を持ってます」


「何だって!?」


 他にも評議員はいるのに、何故よりによって自分のもとにそんな面倒くさそうな来客が。

 そう思いながら、ピエールは叫んだ。


・・・・・・・


 商会本店の応接室でピエールが顔を合わせたのは、貴族然とした美しい女性だった。


「ピエール・ランジュレ評議員。社交の場でお見かけしたことはありますが、きちんとご挨拶するのは初めてですね。私はエステルグレーン伯爵エレーナ。ハーゼンヴェリア王国において、国王陛下より外務長官の職を賜っております。突然の来訪となったこと、お詫び申し上げます」


「……ようこそお越しくださった。エステルグレーン卿」


 穏やかな笑みをなんとか堅持しながら、ピエールはエレーナと握手を交わした。西部直轄領の評議員は一応は貴族と同格の扱いになっているので、彼女とはほぼ対等の立場として接する。


「いやはや、驚きましたな。この情勢下でハーゼンヴェリア王国の要人が、それも女性が、従者もなくアーベルハウゼンに来訪されるとは」


「大陸西部にはガレド鷲が一羽しかおらず、運べるのも女性や小柄な男性に限られますので。外務長官の私自ら志願し、こうして参りました」


 ガレド鷲で、おそらくはロイシュナー街道あたりの上空を飛んできたということか。エレーナの言葉を聞き、ピエールはそう理解する。


「しかし、あまりにも危険では? 私が即座に帝国軍を呼ぶ可能性もあったはずです」


「ええ。なので、いざとなれば自害するつもりで準備もしていますわ……尤も、あなたと同盟の内通を連想させるものを私が持っていると警戒して、安易な行動には走らないだけの賢明さをお持ちだと確信したからこそ、あなたにお声がけしましたが」


 事も無げに言うエレーナを前に、ピエールは額の汗を拭った。

 手強い相手になる。そう思った。


「おそらく、あまりゆっくりと滞在することはできないものと思います。早速ですが、用件を伺っても?」


「ええ。そうさせていただきます。私が来訪した目的は、我が主より預けられたこちらの書簡をお渡しすることです」


 差し出された書簡にハーゼンヴェリア王家の封蝋がされていることをピエールはしっかりと確認し、それを割って書簡を開く。少しだけ、手が震える。


「……こ、これは!」


 書簡を開いたピエールは、その内容に驚愕する。

 それは、西部直轄領の民が皇帝フロレンツに反旗を翻し、西サレスタキア同盟の進軍に協力すれば、戦後に西部直轄領の皇帝家支配からの解放と大幅な自治を認めるという宣言書だった。

 マクシミリアン・ガレドより全権委任を受けた使者、プロスペール・ドーファン伯爵の署名がなされ、皇帝家の印も確かに押されていた。


「偽造でないことは、皇族の方々と接する機会も多かった評議員の貴方にはお分かりいただけることと思います」


「……」


 エレーナに答える余裕もなく、ピエールは食い入るように宣言書を読む。

 独自の軍事力を持たず、勝手な独立を宣言しない限り、現西部直轄領には帝国西方自治領として自治を許す。評議会に行政権と徴税権を与え、皇帝家には一定額の上納金――今吸い取られている税のおよそ五分の一程度の額だった――を納めることのみを義務づける。

 他の皇帝家直轄領からの商人に対して通行税や関税を徴収することは禁じるが、貴族領や異国からの商人や旅人に対しては関税と通行税をかけても良い。

 そうした譲歩を確約する内容が、宣言書には記されていた。

 凄い。ピエールはそう思った。

 これが実現すれば、旧都市国家群は経済大領として息を吹き返す。大陸中部と西部を繋ぐ要所のひとつとして交易で多くの富を集め、それを積み重ね、投資で増やし、経済的には独立国家と呼んでもいい力を得る。


「併せてこちらも。我が主をはじめとした、複数の西サレスタキア同盟諸国の君主による宣言書です。西部直轄領の自治を強く支持し、支援する旨が、連名で記されています」


 それは、このときのピエールはまだ知らないが、ゼイルストラ侯爵に送られた文書とほぼ同じ内容のものだった。


「……よくぞ、これほどのものを」


「貴方がたに大きな決断を求めるのですから、西サレスタキア同盟としても誠意を見せるべきであると我が主は考えておられます。これこそが、誠意の証です」


 ピエールが顔を上げて言うと、エレーナはにこりと笑う。

 再び、ピエールは二枚の文書に視線を落として思案する。

 これらの約束が破られる心配は、おそらくない。もし皇帝家と同盟のどちらかが文書の誓約を破れば、もう一方は面子を潰されたことになる。そして、両者が仲良く西部直轄領を分け合うようなことは、西部直轄領の位置と両者の関係からしてあり得ない。

 何より、マクシミリアン・ガレドの存在。いかにもガレドの皇族らしい尊大な人物で、その尊大さに見合う能力があり――皇帝家の名誉にかけて、約束は守る男として知られている。

 好きではない。しかし信用はできる。

 なので、問題はそこではない。


「もし西部直轄領の評議会がこのご提案を断れば、どのような事態に?」


「賢明な評議員として知られる貴方であれば、既に想像できておられるのではないかと考えます」


 エレーナの笑顔に、ピエールは寒気を覚えた。

 現状、フロレンツが勝利した後の西部直轄領には暗い未来が待っている。これ以上ないほどに分断が深まった上で、皇帝家の軍勢に逆らった民として西部直轄領民はさらに酷い扱いを受けることだろう。どのような冷遇が待っているか想像もしたくない。

 ピエールがこの文書を持って他の評議員たちに呼びかければ、おそらく皆、マクシミリアンと西サレスタキア同盟の提案に乗るだろう。評議会が主導すれば、民もついてくる。

 幸い今は冬で、駐留しているのは帝国軍が二千ほど。二十万の西部直轄領民がいれば、追い返すことは叶うだろう。

 しかし万が一、それだけの反抗をした上で、最後にやはりフロレンツが勝利すれば。西サレスタキア同盟が敗北すれば。ただ現状を傍観する以上の地獄を迎えることになる。


「ひとつだけ、こちらから申し上げるとすれば……貴方がたがどのような決断をなされたとしても、私たち同盟は冬明けには帝国領土へと攻勢を仕掛けます。貴方がたが味方として私たちを迎え入れるか、敵として私たちの前に立ちはだかるか。それによって私たちのとる態度も変わります。貴方がたが決断すべきときに決断しなければ、血を以てその代償を払うことになるでしょう」


「なっ……」


 ピエールは絶句する。

 冬明けにはおそらく、同盟の軍勢が攻め込んでくる。帝国軍の諜報活動でそのような話は聞いていたが、ただ彼らに西部直轄領が占領されるのと、味方につくチャンスを与えられたのに敵対を選んだ上で占領されるのとでは、エレーナの言う通り扱いは大きく変わるだろう。

 帝国軍や貴族の手勢が、この地を命懸けで守ってくれることも期待できない。

 西部直轄領は帝国に見捨てられ、新たな占領者となった同盟に酷い扱いを受けることになる。略奪、暴行、強姦、殺人。悲惨な事態が待っているのは間違いない。

 現状維持を決め込むのは地獄。反旗を翻すのは大きな賭け。

 どちらを選ぶのがいいかは分かる。しかし、決断には大きな覚悟が要る。


「……何故、この話を私のもとへ?」


 これほど重大な話を最初に聞く。そんな重荷は背負いたくなかった。そう思いながらピエールは尋ねる。


「ランジュレ評議員が、とても賢明なお方だと見込んでのことです」


 微笑を浮かべて言うエレーナに、ピエールは力なく笑い返した。

 おおかた、自分にはこの場で一人、何か勝手な判断を下す度胸はないと思われたのだろう。そのような臆病な男が相手であれば、帝国軍に直ちに引き渡される心配もしなくていい。


「もちろん、今貴方に一人で決断しろとは申しません。これから他の評議員の方々と情報を共有した上で、冬の間、時間をかけてゆっくりとご検討ください。貴方がたの決断の結果は、私たちが進軍する頃におのずと分かりますので問題ありませんわ」


 エレーナはそう言い残すと、余裕のある態度を保ったまま帰っていった。

 彼女の退室を見送った後、ピエールは一人、無言で思案する。

 やがて立ち上がり、部下を振り返る。


「帝国軍には知られないよう、議長に連絡を入れたい。手配してくれ」

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