第196話 皇女の覚悟

 それからは両陣営の官僚も交え、文書の大まかな内容を話し合う。マクシミリアン不在の状況で詳細まで詰めることはできないが、最低限ゼイルストラ侯爵が今の態度を堅持し、西部直轄領がフロレンツへの反抗に踏み切る決心をつけるだけの条件を確定させる。

 二日に及ぶ会議の末、皇帝家の印が押された文書は完成し、プロスペールは急ぎ帝国東部へと帰っていった。


「……どうも、マクシミリアン殿はこちらの要求をある程度予想していたようですね」


「そうだな。まったく大した次期皇帝だ」


 一仕事終えたスレインとガブリエラは、お茶を囲みながら話す。

 スレインの要求を聞いたとき、プロスペールは焦ってはいたが、驚愕してはいなかった。自治権の話題については自分から切り出した。

 彼が焦ったのはおそらく、スレインの要求が、マクシミリアンから妥協を許されているぎりぎりの線だったため。

 帝国西部の状況はあまり入ってこないはずの状況で、同盟の考えをそこまで予想して全権委任の使者を送り込んでくるあたり、やはりマクシミリアンはただ者ではない。

 そんな男が、勝利の末には皇帝となる。あまり近しい隣人となりたくはない。

 緩衝地帯を持てるのは、同盟側としてもありがたい。スレインとガブリエラはそう思った。


・・・・・・・


 大陸西部侵攻軍の本隊。その司令部が置かれている帝国西部のある都市で、西部侵攻の大将ベルナール・ゴドフロワ侯爵は頭を抱えていた。


「まったく、笑いが出るほどに何もかも上手くいかないな」


 西部皇帝家直轄領からの報告を受け取ったベルナールは、そんな愚痴を零す。

 問題はいくつもある。ザウアーラント要塞攻略のためにあてにしていた、大陸西部内への侵攻軍が無力化された、エマニュエルがこちらの言うことを聞かず、あっさりと敵に降伏した。フェアラー王国を取り返され、さらにゼイルストラ侯爵領が寝返った。

 そして新たに発生した、今最も深刻な問題――西部直轄領にて、駐留部隊と直轄領民の分断が深まっている。

 発端は、少し前に同盟側から唐突に捕虜が返還されたこと。無償での捕虜返還に首をかしげながら受け取ったところ、帰ってきた捕虜は西部直轄領民の徴集兵ばかりだった。

 彼ら以外の捕虜が全員奴隷化あるいは殺害された、という話はすぐに広まり出した。箝口令など敷く暇もなかったし、敷いたところで機能しなかっただろう。

 そして、分断が始まった。帝国軍人や貴族の手勢は、自分たちだけ生きて帰ってきた西部直轄領民の捕虜たちを、延いては全ての徴集兵や、地元民までをも非難し始めた。

 歴史的に西部直轄領民は大陸西部との繋がりが深かったことや、捕虜たちが収容中も厚遇されていたことを指摘し、公然と裏切り者呼ばわりする者もいた。

 それに対し、西部直轄領民も反発した。今まで二級国民のような扱いを受け続け、今回の戦争でも以前のフロレンツによる侵攻でも犠牲を払い、今は大勢の兵士の駐留を受け入れているのに、この期に及んで何故裏切り者呼ばわりされなければならないのか。そんな不満を抱えた西部直轄領民の中には、兵役を拒否して勝手に家に帰る徴集兵や、駐留部隊の撤退を求めて公然と抗議する地元民の集団なども出始めた。

 帝国軍人や貴族の手勢が徴集兵や地元民を虐待したり、逆に徴集兵や地元民が暴走して駐留部隊の兵士を袋叩きにしたりといった、暴力沙汰もいくつか発生していた。

 さすがにこの現状はまずいと思ったベルナールは、子飼いの精鋭を動員し、暴力沙汰については沈静化させた。また、冬を前にした今は徴集兵を一旦解散させ、駐留部隊も貴族の手勢は一度帰らせて西部直轄領の負担を減らしたので、ひとまずは小康状態となっている。

 しかし、彼らは今頃、仲間内だけで相手側への不満を語り合い、分断を深め続けているだろう。冬明けの軍事行動がどうなるか思いやられる。


「……」


 こんなはずではなかった、とベルナールは思う。

 四万を率いての大陸西部攻略。簡単な任務とは言えないが、自分にならばできると、ベルナールは考えていた。

 西サレスタキア同盟の実力などたかが知れているだろう。ゼイルストラ侯爵を懐柔すれば侵攻路や補給路の確保も余裕だろう。そう思って戦いに臨んだ。

 結果はこれだ。同盟は思っていた以上に強固だった。ゼイルストラ侯爵は裏切った。

 そして何より、こちらの軍勢を分断しようという敵のこの策略。こんなもの、どう対処しろと言うのか。

 この状況を皇帝フロレンツに報告したところ、帰ってきたのは「現状を維持し、引き続き尽力せよ」という返事のみ。御輿の上の皇帝に聞くだけ無駄だったと、ベルナールは徒労を覚えた。

 しかし、自分の、ゴドフロワ侯爵家の、愛国派の命運がかかっている以上、やらないわけにはいかない。

 冬明け、西部直轄領民の成人男子からできる限りの兵を徴集する。彼らをザウアーラント要塞へとけしかけ、退路は帝国軍や貴族の手勢で塞ぎ、絶え間ない攻勢で要塞を疲弊させる。そうしながら西部直轄領民の成人男子を使い潰し、将来の反乱分子を消す。

 十分に要塞を疲弊させたところで、帝国軍と貴族の手勢を投入し、一気に攻略する。

 かつてのヴァロメア皇国の名将たちが成せなかった力ずくでの要塞攻略に、帝国貴族の自分が挑戦する羽目になるとは。ベルナールは自嘲するような笑みを、一人浮かべた。


・・・・・・・


 初冬。セレスティーヌ・リベレーツは、政治的な会談のためにイグナトフ王国を訪れていた。

 以前は犬猿の仲というべきだったオスヴァルド・イグナトフとは、今はそつなく仕事上の話をできる程度の関係を築けている。

 話し合ったのは、フェアラー王国の西半分を統合したリベレーツ王国の、社会維持や国境警備に対するイグナトフ王国側の支援について。手練れの官僚や将官士官を何人も失ったリベレーツ王国のみで拡大した領土や国境を管理するのは未だ難しく、近隣諸国の支援は必須だった。

 オスヴァルドが君主として協力的な態度を見せてくれたこともあり、会談自体は予定通りの日程で問題なく終わる。


「――ところで、リベレーツ女王」


「はい、何でしょうか?」


 仕事の話を終えての雑談中。オスヴァルドに切り出され、セレスティーヌは社交的な笑みを浮かべて首を小さくかしげる。


「今この王城に、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド皇女が来ているのだが、貴殿の来訪を聞いて会いたがっているという。会うか?」


 意外な名前を聞き、セレスティーヌは驚く。

 政治的な力はほとんどないとはいえ、現皇帝の妹。何か儀礼的な仕事でもあって来ているのだろうと納得し、少し思案して頷く。


「……ええ。あちらが面会を希望しておられるのでしたら、私も是非お会いしたいですわ」


 皇帝家に思うところはあるが、ローザリンデを恨んでも仕方がない。秋にハーゼンヴェリア王家の城でローザリンデにとった態度も、謝罪しておきたい。そう思いながらセレスティーヌは頷く。


「では、呼ばせよう」


 オスヴァルドの命令を受けて使用人が退室していき、それから間もなく応接室の扉が開かれる。

 そして入ってきたのは――セレスティーヌの記憶にあるローザリンデとは、似ても似つかない少女だった。


「リベレーツ女王、お久しぶりです」


「……?」


 どう見ても帝国の皇族には見えない、せいぜい小金持ちの商家の娘と言った装いの少女は、しかしローザリンデの声と所作で一礼してくる。

 歩み寄って顔をよく見ると、なるほど確かにローザリンデだった。


「ろ、ローザリンデ皇女? どうされたのですかその御召し物は! それに御髪やお化粧も!」


 セレスティーヌが一見して彼女をローザリンデだと判別できなかったのは、服装もさることながら、その髪と化粧のせいだった。

 長く艶のある淡い紫の髪は、今は肩にかからない程度まで切られ、染料で濃い茶色に染められている。化粧は薄く、使われている化粧品も平民用の安物だった。


「これは変装です。これからイグナトフ王国の山道を通り、ガレド大帝国に入るための」


 驚愕して目を見開いていたセレスティーヌは、その言葉を聞いてさらに驚き、思わず口に手を当てる。


「て、帝国領土に入られるのですか?」


「はい。幸い、私の顔をよく知っている者は帝国軍人や帝国貴族の中にもほとんどおりません。知っている者でも、今の私を見て私だと気づく者はまずいないでしょう。小柄で童顔なことも幸いしました」


 ローザリンデはそう言いながら、いたずらっぽく笑った。

 確かに、彼女が皇女だと判別できるものと言えば、特徴的な淡い紫の長髪と、皇族らしい豪奢な衣装、そして童顔を隠すための凝った化粧。その全てが変わった今、彼女はまさに別人だった。

 これが皇女だと言われても、嘘をつくな、ただの商家の娘だろうと言い返してしまうであろうほどに様変わりしていた。

 最初はこの商家の娘の父親に見えた後ろの男性も、服装と髪型を変えて髭を伸ばしているが、よく見ると彼女の補佐役のジルヴェスター・アーレルスマイアーだった。元々あまり帝国の表舞台に出ていないという彼は、この程度の変装でも十分なのだろう。


「その御姿なら、誰の目も欺くことができるでしょうが……とはいえ、皇女のあなたが今、どうして帝国へ?」


「貴方に勇気をいただいたからです、リベレーツ女王」


 にこりと笑うローザリンデを前に、セレスティーヌは困惑を深める。


「貴方は城を追われるほどの苦難に直面しながら、それでもその苦難に立ち向かい、国を取り戻しました。戦いに赴く貴方を見て、貴方の勝利の報を聞いて、私は思ったのです。いつまでもハーゼンヴェリア王家に保護してもらい、泣きながら城に閉じこもっていては駄目だと」


 そう語るローザリンデは、ハーゼンヴェリア王家の城で鉢合わせしたときのような怯えをまったく感じさせなかった。別人のように凛々しく、強く見えた。


「私はガレドの皇族です。母を失い、姉を失い、国を追われ、この上で泣いて隠れていることは許されません。今私にできることをして、責任を果たさなければならないのです……なので私は、これから帝国に入ります。隊商に偽装して帝国領土を北進し、中立を維持して孤立しているアーレルスマイアー侯爵家とその周辺貴族の派閥に接触します。冬明けの攻勢に合わせ、皇帝フロレンツに対して反旗を翻してもらうために」


「……」


 多くの人口を有し、商業が盛んな帝国領内では、冬だろうと移動する商人は多いと聞く。無数の商人に紛れてこの格好で移動するのであれば、よほど運が悪くない限り、皇女だと見破られる心配はないのだろう。とはいえ、もし見つかれば命はないはず。それでも行くというのか。


「私が母方の実家であるアーレルスマイアー家に姿を現し、西サレスタキア同盟との共闘を求めれば、当代アーレルスマイアー侯爵であるおじい様も必ずや私の覚悟を汲んでくださいます。おじい様にとって、皇帝フロレンツは娘と孫を殺めた男。この上で、帝国領土に舞い戻ったもう一人の孫を守るために立ち上がらないお人ではありません。だからこそ、私は自ら帝国に帰るのです。皇女として、皇族としての責任をでき得るかたちで果たすために。これは私の決断です」


 そう言い切ったローザリンデを前に、セレスティーヌは無言になる。

 そして彼女に歩み寄り――彼女を抱き締めた。無意識のうちにそうしていた。


「……どうか、無事でいてください。あなたの決断に神が祝福を与えることを願っています」


「ありがとうございます。リベレーツ女王」


 ローザリンデも優しい抱擁で応え、そしてセレスティーヌを見上げる。どちらかと言えば小柄なセレスティーヌよりもなお、ローザリンデは背が低い。


「私は生きて責任を果たします。ハーゼンヴェリアの王城を発つ前、ミカエル・ハーゼンヴェリア王太子と再会を約束しましたから。生き抜かなければ彼が悲しみます」


 そう言って笑うローザリンデを見下ろしながら、セレスティーヌも微笑を浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る