七章 玉座への凱旋

第195話 確約

 サレスタキア大陸西部でのガレド大帝国侵攻軍との戦いが終わり、冬が間近に迫ったある日。スレイン・ハーゼンヴェリアは、オルセン王国へと呼ばれた。


「世話になりました。名誉女爵ミルシュカ殿」


「いえ、仕事ですので」


 オルセン王国王都エウフォリア。王城の中庭でガレド鷲から降りたスレインが言うと、ガレド鷲を操っていた使役魔法使いは無表情で言った。

 ガレド鷲は大きく強い魔物だが、人を二人乗せて長時間飛ぶとなると、乗る者の体重に制限が出てくる。ミルシュカが女性の中でも特に小柄で、スレインも成人男性にしてはかなり小柄な方であることが幸いし、こうして僅か一日半の移動でエウフォリアに到着できた。

 急ぎの移動とはいえ、一人きりでオルセン王国の使役魔法使いに身柄を預け、そのままオルセン王国に乗り込むというのは、スレインとガブリエラが築いてきた信頼あってこその行動だった。


「スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。お待ちしておりました」


「よろしくお願いします。ノールヘイム卿」


 出迎えたオルセン王国軍将軍ロアール・ノールヘイム侯爵と挨拶を交わしたスレインは、出迎えの列に並んでいた数人――戦時ということもあり、連絡役としてエウフォリアに常駐させているハーゼンヴェリア王国の外務官僚や騎士と顔を合わせる。滞在中は、彼らがスレインの従者と護衛を務めてくれる。


「早速で恐縮ですが、お疲れでなければ我が主のもとへ」


「ええ、すぐに行きましょう」


 ロアールに答え、スレインは歩き出す。

 のんびりしてはいられない。今日はオルセン王国へと来訪した重要な客人――マクシミリアン・ガレドの使者と会うためにここへ来た。

 屋内に入ったスレインは、ロアールに続いて廊下を進む。間もなく、応接室に到着する。


「失礼いたします。スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下が到着されました」


 扉を開けてそう言ったロアールに促され、応接室に入ると、そこでは既にガブリエラと使者が待っていた。二人とも、スレインの到着を受けて立ち上がった。


「ハーゼンヴェリア王。よく来てくれた」


「貴国の王宮魔導士殿のおかげです。ありがとうございました」


 ガブリエラと握手を交わして手短に挨拶を済ませ、スレインは使者の方を向く。


「お久しぶりですね、ドーファン伯爵」


「ご無沙汰しております。ハーゼンヴェリア国王陛下。此度は私の要請に応じていただき、感謝申し上げます」


「このような状況です。帝国内の現状を知ることは私にとっても急務である以上、こうしてあなたに会いに来るのは当然のことです」


 プロスペール・ドーファン伯爵。スレインも何度か会ったことのある、マクシミリアン・ガレドの側近中の側近。

 彼を送り込んできたことからも、マクシミリアンが大陸西部との情報共有や連係をいかに重要視しているかが分かる。


「両名とも、ひとまず座ってくれ。早速本題に入ろう」


 ガブリエラに促され、スレインもプロスペールも席につく。平時ならば場の空気を温めるために雑談などを挟むところだが、生憎そのような雰囲気ではなかった。


「ではまず、我が主マクシミリアン・ガレド殿下の陣営の現状から。オルセン女王陛下には既にお聞きいただきましたが、改めてご説明します」


 切り出したのはプロスペールだった。

 彼によると、皇兄マクシミリアンとパトリック、帝国東部貴族と北部貴族による陣営は、皇帝フロレンツ及び東と北の隣国に対し、互角の戦いをくり広げているという。総兵力では敵の兵力の合計に及ばないが、地の利と練度の高さを活かし、堅実に勢力圏を守っている。

 フロレンツの側近の一人であるレジス・ルフェーブル侯爵率いる軍勢の実力は、肩透かしもいいところだったという。数ばかりが多い烏合の衆だったと。

 彼らが「敵の敵」としてあてにしていたであろうシレー王国と紅龍王国は、既に攻勢の勢いを落としている。帝国が弱った好機と見て攻め込んだものの、思っていた以上に東部や北部の防衛線が硬いため、マクシミリアンたちが切り捨てた領土を確保した段階で守りに入っている。

 両側から挟んでじわじわと勢力を削るのがフロレンツの計画だったと思われる以上、マクシミリアンとしては、隣国が大人しくしている間にフロレンツの陣営と一気に決着をつけたい。そうして自身が帝位についた上で国内を早急に安定させ、隣国に一度明け渡した領土も取り返しにかかりたい。そのために、次の春にも大攻勢を仕掛ける計画を立てている。

 そのようにプロスペールは語った。


「聞き及んだところ、西サレスタキア同盟も冬明けに攻勢を仕掛ける計画があるとのこと。つきましては、同盟と攻勢の時期を合わせることで、東と西から皇帝フロレンツの陣営を挟撃するかたちをとりたいと、我が主はお考えです」


「なるほど。それで、マクシミリアン殿の側近であるあなたが使者として来訪したのですね」


「はい。私は殿下より全権を委任され、皇帝家の印を預けられた上で参上いたしました。政治的な事項の調整については、殿下より一任されております」


 全権委任。すなわち、プロスペールの決定はマクシミリアンの決定だということ。帝国東部にいる彼と意思疎通をするには時間がかかりすぎるための措置だろうが、何とも思いきったことをするものだと、スレインは思う。

 こちらの想像以上にマクシミリアンから信頼されているらしい彼の将来は、軍務大臣か外務大臣あたりだろうか。


「分かりました。それではそのつもりで話します」


「まずは攻勢の方法からだ。マクシミリアン殿は、ルフェーブル侯爵率いる軍勢とどのように決着をつける?」


 ここからはガブリエラもまだ話を聞いていないらしく、プロスペールにそう問いかける。


「単純に、会戦をもって」


「……よほど自信があるようだな」


 真正面から戦い、打ち勝つ。当然のような言葉に、ガブリエラが呟いた。


「今年のうちに、ルフェーブル侯爵の軍勢とは一度刃を交え、勝利しました。大損害を負った敵側は、マクシミリアン殿下が西に向ける兵力と同数の七万程度まで数を減らしています。数が互角となれば、兵の練度を考えても、用兵の腕を考えても、殿下がルフェーブル卿に敗北することはあり得ません」


 大した自信だったが、彼の言葉にはスレインたちも納得する。歴戦の将であるマクシミリアン率いる精強な軍勢が、家格やフロレンツとの距離の近さだけで大将の座についた領主貴族の率いる烏合の衆に敗けるとは思えなかった。


「会戦に持ち込む手はずについても、問題なく?」


「無論です。今まで殿下の陣営が兵力を勢力圏に分散させていたのは、敵の出方を見て防御に徹するためでもありましたが、今まで共闘したことのない東部と北部の兵力統合に向けて、調整を進めていたためでもありました。既に調整は完了し、具体的な編成や進軍の計画も立った今、七万の兵力が集結して西進を開始すれば敵も無視はできません。必ずや会戦に臨んでくるでしょう」


 プロスペールの言葉は理にかなっていたので、スレインもガブリエラもその説明で納得する。


「よく分かった。次にこちらの話をさせてもらおう……我々は西部皇帝家直轄領を大陸西部の味方につけ、そこを橋頭保として帝国西部に進軍することを考えている」


「西部直轄領? ゼイルストラ侯爵が皇帝フロレンツに反旗を翻したと聞いていますが、侯爵領の方ではなく?」


 驚いた様子のプロスペールに、ガブリエラは頷く。


「そうだ。こちらが集めた情報では、帝国西部における大将ベルナール・ゴドフロワ侯爵は、こちらがゼイルストラ侯爵領を通過して攻め込むことを警戒し、南側に依るかたちで本隊を置いているという。一方で、ザウアーラント要塞と対峙する北側には、要塞の東側を塞いでおくための最低限の兵力しかいないと。西部直轄領の民が反乱を起こせば、一時退却に追い込むのも難しくない。それを機に要塞から打って出れば、同盟軍は容易に帝国領土へと進出できる」


「……確かに仰る通りです。ですが、西部直轄領でそう簡単に反乱を起こせるのでしょうか」


 帝国西部における皇帝家の直轄領は、元より扱いが悪かったところ、今回の戦争で消耗させられたことで新皇帝フロレンツへの不満がさらに溜まっている。しかし、反乱まで起こさせるというのはさすがに容易ではない。


「卿の疑問は尤もだ。その点に関しては、ハーゼンヴェリア王が策を考えてくれた」


 ガブリエラがそう言い、スレインが話し手の立場を代わる。


「ザウアーラント要塞防衛戦の中で確保した敵の捕虜のうち、西部直轄領出身の兵士のみ、厚遇して保護していました。それ以外の捕虜――帝国軍人や帝国貴族の手勢に関しては、健常な者は奴隷商人に売り、重傷者には『情け』をかけました。そして冬を前に、保護しておいた西部直轄領の捕虜たちを、無条件で帝国側に返還しました」


「……?」


 スレインのこの手の謀略を聞くのに慣れていないプロスペールは、怪訝な表情で首を傾げる。


「今頃、西部直轄領の中では、西部直轄領出身の者とそうでない者との間で分断が広まっているはずです。帰ってきた捕虜たちは同盟から客人のような扱いを受け、他の者は奴隷にされるか殺された。帝国軍人や貴族の手勢が、西部直轄領民に対して不信感や反感を抱くのは必至です。そうなるように、悪い噂を意図的に広めるための工作員も、少数ですが忍ばせています」


 プロスペールの表情が強張り始める。


「西部直轄領民は元より帝国内で冷遇されがちだった上に、現皇帝フロレンツが第三皇子として先代皇帝陛下の名代を務めていた頃には、彼の無謀な侵攻のために大きな犠牲を払いました。今回もまたフロレンツの都合で動員され、消耗戦力として扱われ、西部直轄領に駐留する軍勢からは裏切り者扱いされる。彼らの不満が限界まで高まるのも、やはり必至です」


 そこまで語り、スレインは笑みを浮かべる。


「爆発寸前の西部直轄領に対し、この冬のうちに最後の揺さぶりをかけます。市井の有力者たちに接触し、皇帝フロレンツに反旗を翻して抵抗することで、マクシミリアン殿が帝位についた後は彼ら西部直轄領の民の貢献に応えてくれると伝えれば、火種としては十分でしょう……なので、マクシミリアン殿より全権を委任されているあなたから、彼らに向けて確約をいただきたい」


「……西部直轄領を皇帝家の直轄支配から解放し、ある程度の自治権を与える、といった確約でしょうか?」


 額から汗を一筋流しながら、プロスペールは尋ねる。


「さすがですね。その通りです。西部直轄領の人々は、かつて自力で都市国家群を成り立たせていた誇り高き商人の末裔です。内政の自由や徴税権を与えられれば、彼らの誇りはある程度満たされるのではないかと思います……それに加えて、今後、帝国と同盟が末永く友好を築くことを考えると、間に緩衝地帯があるのは悪くないことかと思いますが」


「……」


 国家をはじめとした勢力は、一対一で接したときが、最も仲が悪くなる。

 異なる勢力同士が良好な関係を築く状況は主に三つ。それぞれ遠い場所になわばりを持つか、共通の敵を持つか、緩衝地帯を挟むか。

 一つ目に関しては、帝国と同盟では達成しようがない。二つ目は今のマクシミリアン陣営と同盟にまさに当てはまる状況で、フロレンツという共通の敵を持つからこそ両者は協力関係を築いているが、フロレンツを打倒した後はいずれまた隣り合って利益が衝突する。

 なので三つ目、間に緩衝地帯を挟むことの有効性を、スレインは説く。

 南にはゼイルストラ侯爵領を、北には西部直轄領――旧都市国家群を、緩衝地帯として置く。前者は再独立させ、後者は自治領のような扱いにする。

 そうすれば、帝国と同盟は適度な距離を保ちながら、一定の友好を維持できる。


「確かに、理にかなっているとは思いますが……帝国西端の南と北、両方においてそれほどの妥協をしろと仰いますか」


「帝国が内乱状態にある現状、マクシミリアン殿の勝利の可能性が高まるのであれば、対価としてさほど惜しくはないかと思いますが」


 スレインがそう返すと、プロスペールは思案の表情を見せる。

 西部直轄領は規模としては帝国の一貴族領程度であり、一定の自治を認める程度であればそれほどの損にはならない。ゼイルストラ侯爵領は元より帝国にとって不安定な要素だったので、一度手放しても状況はさして変わらない。むしろ、向こう数十年にわたって帝国南西部の政情を安定させる大きなガス抜きとなる。

 これはマクシミリアンにとって十分に妥協できる範囲だと、スレインは踏んでいる。


「ゼイルストラ侯爵領に関しては、既に再独立を支持する誓約書を何人かの君主の連名で贈ってしまっています。西部直轄領は、このまま皇帝家が力で押さえ込むには不満を溜めすぎています。選択の余地はないのではないかと……さあ、どうか決断を」


 侯爵領と西部直轄領を揺さぶった張本人であるスレインが言うと、プロスペールは長い沈黙の後で、最後には頷いた。


「……かしこまりました。ゼイルストラ侯爵領に関しては再独立を。西部直轄領に関しては一定の自治を、マクシミリアン殿下の御名において認める文書を作りましょう」


 それを聞いたスレインは、一度ガブリエラと顔を見合わせ、再び前を向く。


「ドーファン卿。英断に感謝します」

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