第194話 迫る冬
ガレド大帝国東部と北部を拠点に、皇兄マクシミリアン率いる抵抗勢力は順調な戦いをくり広げていた。
レジス・ルフェーブル侯爵率いる皇帝の軍勢八万に手痛い損害を負わせて後退させ、拠点である都市ノヴァレスキアに一旦戻ったマクシミリアンは、丁度同じタイミングで参上した弟パトリックと再会した。
「兄上、久しいな!」
「パトリック。無事で何よりだ」
宮殿の会議室。歩み寄ってきた弟と、マクシミリアンは抱擁し、互いの肩を叩き合う。
「無事に決まっているだろう! 俺があの程度の攻勢を凌げないはずがない」
「それほどに国境の戦況は余裕があるのか?」
二人は話しながら椅子に座る。マクシミリアンの問いかけにパトリックが頷く。
「ああ。シレー王国は今が好機と見て進軍してきたのだろうが、やはり急に動いたために、準備不足であるのは明らかだった。こちらが防衛線を引き下げたこともあって、まともな抵抗力を失っているものと決め込んでいたのだろう。いつも通りに戦っただけで、簡単に引っ込んでいった」
思っていた以上に帝国北部の兵力が健在だと思い知ったので、今は守りを固めて様子見をしているようだと、パトリックは敵の現状を語った。
「モンテルラン卿とも何度か連絡をとったが、東も似たようなものらしい。シレー王国も紅龍王国も、あてが外れたと見える」
「そうか。帝国も随分と舐められたものだな」
マクシミリアンは微苦笑を浮かべる。
「兄上の方はどうだ? 簒奪者フロレンツが差し向けてきた軍勢の実力は?」
「どうもこうもない」
弟の問いかけに、マクシミリアンはため息交じりに答える。
「敵将ルフェーブル侯爵は、家格は高くとも所詮はただの領主貴族だ。目の前の戦況を見て軍学の初歩をなぞるだけの頭はあるが、それだけだ。たとえ世辞でも戦上手とは呼べぬ。そんな大将に率いられる八万もの大軍ともなると、とにかく遅い。各部隊の連係が悪く、動きも単調だ」
数こそ脅威だが鈍重な敵軍に対し、マクシミリアンはパトリックの得意とする戦術を取り入れて抵抗した。
あえて防備の手薄な地域を作り、敵を誘引してその地を占領させ、それを何度かくり返してこちらの支配域の奥まで誘引した上で、伸びきった陣形を正面と左右の三方から攻撃。そのような作戦を実行した結果、こちらの攻撃時の兵力は四万ほどであったにもかかわらず一方的な勝利を成した。敵軍は五千を超える死傷者を出して這う這うの体で退却していった。
「フロレンツは戦いの経験がない。政治力のあるルフェーブル侯爵を総大将に据え、兵の頭数だけ揃えれば互角に戦えると、あわよくば正面から殴り合って勝てると思ったのだろうが……あ奴は私たちを舐めすぎだ」
もう二十年以上も、隣国と睨み合ってきた。刃を交えてきた。腑抜けた父に代わって。
マクシミリアンとパトリックの、東部や北部の貴族たちの、この地で生きる民の、その実力は伊達ではない。中央の貴族や民が寄り集まっただけの軍勢に負けはしない。
「なるほど……敵がそのような有様であれば、決着も近いか?」
「ああ。支配域防衛のため各地に展開させている部隊を冬の間に集結させ、編成と訓練を済ませ、冬明けと同時に決戦に臨もうと思っている」
淡々とマクシミリアンが答えると、パトリックは不敵に笑った。
「いよいよだな。それで、その後は?」
「ルフェーブル侯爵の率いる軍を撃滅すれば、他に敵はいない。帝都まで進軍し、包囲するつもりだ……大陸西部にも連係を呼びかけた」
「はははっ! 例の西サレスタキア同盟と共闘か」
「ああ。私もこんな日が来るとは思わなかった」
パトリックは楽しげに膝を叩く。マクシミリアンは皮肉な微苦笑を見せる。
「少し前に、スタリア共和国を介してオルセン王国の外務大臣が接触してきた。向こうは向こうで、冬明けに大規模な反転攻勢を仕掛ける計画があるらしい。詳細を打ち合わせるため、プロスペールに全権を委任して大陸西部に送り込んだ」
「そうか。兄上の最側近のドーファン卿であれば、上手くやってくれるのだろう……にしても、反転攻勢とはな。大陸西部のような田舎地域が為せるものなのか?」
パトリックの疑問に、マクシミリアンは迷わず頷く。
「為せるだろう。同盟を実現したオルセン女王と、策士であるハーゼンヴェリア王がいるのだ。あ奴らの実力ならば、最低でも西部直轄領あたりまで踏み込み、フロレンツが西に差し向けた軍勢をそのまま引きつけておく程度のことはできるはずだ」
「相変わらず、兄上は大陸西部がお好きなようだな。高く評してばかりだ」
そう言われたマクシミリアンは、笑い声を零しながら首を横に振った。
「好きなものか。今は共通の敵を持つ友軍だからいいが、この先皇帝としてあのような隣人と何十年も付き合っていくのだと考えると、既に頭が痛い」
特に、あのスレイン・ハーゼンヴェリアとは間違っても敵対したくない。あれは持っている国が小さいので強大な敵にはならなかったとしても、死ぬほど厄介な敵になるだろう。
だからこそ、今はあてにできる。今だけは。
・・・・・・・
サヴィニャック伯爵率いる侵攻軍の降伏からおよそ二週間ほどで、リベレーツ王国の秩序回復と、フェアラー王国西部の掌握はひと段落した。
フェアラー王国西部に関しては、貴族たちが協力的だったことが幸いした。全員が身分そのままにリベレーツ王国貴族として迎えられ、特権も所領も安堵されることが確約されたことで、彼らは概ね穏やかに吸収された。
古参のリベレーツ王国貴族たちとの融和をはじめ、長期的な課題は残るが、最初の段階は成功したと言える。
侵攻軍に占領されていたリベレーツ王国の王都ハイラシオネに関しても、復興は速やかに進んでいる。ハイラシオネを巡る戦いが激戦とはならなかったことに加え、侵攻軍を指揮していたサヴィニャック伯爵の振る舞いも功を奏していた。
サヴィニャック伯爵は決して甘い侵略者ではなかった。武力をもって抵抗した王都民などは、容赦なく拘束され、王都の広場で吊るされた。
一方で、彼は自軍にも厳しかった。侵攻や占領の効率を悪くする行い――例えば占領地での無駄な略奪行為や、地元民への暴行や強姦に対しては厳しく当たった。
結果、同盟軍がハイラシオネに入ったとき、広場には抵抗した王都民の死体だけでなく、軍規を乱した侵攻軍兵士の死体も吊るされていた。
サヴィニャック伯爵のこの方針のおかげで、ハイラシオネの民の大半は、占領下でも平時と概ね変わらない生活を送っていた。死者に関しても、数そのものは少なかった。それらの事実も、早期の秩序回復を助けた。
復興に関して目途が立った段階で、同盟軍のうちハーゼンヴェリア王国をはじめ北東地域の国々の部隊は、ザウアーラント要塞防衛に注力するため撤退が決まった。
「リベレーツ女王。ここにいたのですね」
帰国まで数日となったある日。スレインは王城のバルコニーに立っていたセレスティーヌに声をかける。
「……ハーゼンヴェリア王」
バルコニーからハイラシオネを一望していたセレスティーヌは、スレインに視線を向ける。スレインは彼女の隣に立ち、共にハイラシオネの街並みを眺める。
戦後処理で慌ただしい状況下、こうして二人で落ち着いて話すことのできる時間は久々だった。
「取り戻しましたね。あなたの国を」
「ええ。取り戻しました……これも、あなた方のおかげです」
その言葉に、スレインは微笑を浮かべる。
「秩序の回復や復興がここまで早く進んでいるのは、あなたの女王としての求心力があるからこそです。おかげで私たちは、この先の戦いに注力することができます」
「……そうですね。戦いはまだ終わっていない」
フロレンツは生きている。彼の軍勢は、攻勢の出鼻をくじかれて大損害を負ったとはいえ、それでもまだ数万から成る兵力を維持して大陸西部に対峙している。
「私もこれから、西サレスタキア同盟の一員となります。私も、この大陸西部の一員としてあなた方と共に戦います」
「心強いです。皆で戦いましょう。そして勝利しましょう」
これから冬が来る。その間にスレインたちは準備を整え、冬明けには反転攻勢に出る。
帝国領土へ進撃する。
★★★★★★★
ここまでが第六章となります。お読みいただきありがとうございます。
次の第七章で本編完結します。どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。
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